59. お返事しました
おそらくクロヴィスさまは、決着をつけたいのだ。
そして、次に進もうとしているのだ。
今、私が彼に返すべき言葉はなにか。誠意をもって考えなければならない。
「ありがとうございます。とても嬉しく思います」
姉のように思っていたのではない。
クロヴィスさまは一人の男性として、私に自分の想いを伝えたのだ。
初めて会ったあの舞踏会で、私を誘ったときのように。
「クロヴィスさまは、とても素敵な殿方ですわ」
大人になったら私でない人を好きになるでしょう、とか。
その想いは今だけですよ、とか。
そういうのは、とても失礼な言葉だ。
私は私の言葉で、彼に応えなければならない。
「でも、申し訳ありません。わたくしは、クロヴィスさまの想いには応えられません」
きっぱりと、はっきりと、そして容赦なく。
私は彼の恋を終わらせなければならない。
それが私にできる、最大限のこと。私の誠意だ。
「私がまだ子どもだからか?」
クロヴィスさまは首を傾げてそう問う。
彼は答えを知りたがっている。決してそれは、恋を成就させるためのあがきではない。それがわかる。
「だが、あと数年もすれば大人になる。身長だって追い抜くぞ。舞踏会で、可愛らしいなどとは言わせない」
あの舞踏会で言われたことを気にしていたんだな、と少し笑みが漏れた。
やっぱり、負けず嫌いだ。
「ええ、そうでしょうとも。クロヴィスさまはとても素敵な大人になるでしょう。いえ、今でも十分に素敵ですが」
その返答に、クロヴィスさまは苦笑する。
「世辞はいらぬ」
「本心です」
私はなにひとつ、嘘はつかない。彼はそんなことは望んでいない。
「本当に、恋というものはままならないものなのですね。わたくし、初めて知りました」
「どういう意味だ?」
クロヴィスさまは眉をひそめてそう訊いてくる。
私は自分の手を緩く開いて自分の目の前に置いた。
「年も離れているし」
語りながら、親指から折って数えていく。
「気遣いが変な方向にいって突拍子もない提案をされるし、わたくしの話をそのまま受け取ってくれないし、わたくしを子ども扱いするから文句を言ったら、大人の女性として扱うと言ったのになぜか肩に担がれるし」
私が指を折りつつ、つらつらと連ねると、クロヴィスさまはくつくつと笑った。
「悪口ばかりだ」
「なのに……、それなのに、そういう人のお傍にありたいと、どうしても願ってしまうのです」
私は指折り数えたその手を開くと、自身の胸に当てた。
「わたくしは自分のこの気持ちが恋なのだと、知りました」
クロヴィスさまは、目を瞬かせ、私を見つめる。
「だから、クロヴィスさまのお気持ちには応えられません。申し訳ありません」
私の返答を聞き終えると、彼は口の端を上げた。
「そうか、よくわかった。答えてくれてありがとう、エレノア」
「わたくしこそ、本当に嬉しく思っておりますの。感謝いたします」
クロヴィスさまは、最初から結果のわかっていた恋をしたのだ。ままならない恋をして、そしてそれを伝えてくれたのだ。
それはどんなに崇高な想いだろう。どれだけの勇気を必要としたのだろう。それを向けられた私が、その気持ちを受け止めただけだ。それだけだ。
「やっぱり伯父上は、なんでもできる人の気がするな」
ため息とともにそう愚痴る。
私は顔の前でひらひらと手を振った。
「いえ、一般的には、クロヴィスさまのほうがいい男ですわ」
きっぱりとそう断じると、彼は笑う。
「けれど、エレノアは私を選ばないのだろう?」
「ええ」
誤魔化すようなことはしない。私はうなずく。
クロヴィスさまは何歩か私に歩み寄り、そして私の前に立つと口を開いた。
「そういうエレノアだから、私は好きになって良かったと思う」
そして手を上げると、指先でちょいちょいと私を呼ぶ。
内緒話だろうかと顔を寄せると、彼も私の耳元に顔を寄せ。
そして、頬に口づけを落とした。
私は慌てて頬に手を当て、反射的に顔を離す。
「なっ、なっ、なんっ……」
うろたえる私を見て、クロヴィスさまは、ははは、と声を上げて笑った。
「顔が真っ赤になっている」
「なりますよ!」
本当に八歳なんですか! なんという積極性!
本当にもう……いい男なんだから。
そのうち自然と口から笑いが漏れた。それを見てクロヴィスさまもまた笑う。
二人でひとしきり笑ったあと。
私は椅子から立ち上がった。
「わたくし、先日は見ているだけでしたから、射ってみます」
そう宣言して立ち上がり、きょろきょろと辺りを見回した。
「ねえ、来てくださるー?」
なにかあったので申し付けてみました。
「はい、お呼びでしょうか」
扉の向こうで控えていたのであろう隊長が、すぐさま顔を覗かせた。
「以前、わたくしが射ったときの弓矢と、手袋をお願いできるかしら?」
「かしこまりました、王女殿下」
一礼すると、彼は準備に取り掛かる。
私はクロヴィスさまを振り返った。
「見せてください」
けれど彼は、少し身を引いて、一瞬の躊躇を見せた。
「……当たるだろうか」
「当たりますよ」
私がそう返すと、彼は少し考えたあと、うなずく。
そして置いてあった自分の弓と矢を持つと、また的に向かった。
集中しているのがわかる。いつかのように、精悍な横顔をしていた。
キリキリと弦を引き絞り、それから手を放す。
矢はまっすぐに飛んでいき、そして。
当然のように、的の板が割れた。
自分が射ったというのに、クロヴィスさまはしばらく呆然と、的のあった場所を見つめていた。
「……当たった!」
クロヴィスさまははしゃいだ声を上げた。
そしてこちらを振り返り、飛び跳ねながら声を掛けてくる。
「当たったぞ!」
「ええ、すごいですわ!」
「お見事です、殿下」
私たちはクロヴィスさまに向かって拍手をする。
彼は嬉しそうに、歯を出して笑った。
「わたくしも、負けていられませんわ」
私は用意してもらった手袋をはめ、弓を持ち、構える。
ええっと、この前やったときは、と考えながら弦を引き、そして矢を持った右手を放した。
すると、矢はへろへろと飛ぶと、的には届かず矢道に転がった。
「えっ、どうして?」
後ろでクロヴィスさまがお腹を抱えて笑い、隊長は俯いて肩を震わせている。
「この前、あんなに練習して当てたのに、どうしてそこまで元に戻ってしまったのだ?」
「わかりませんよ、そんなこと!」
私は、ぷうと頬を膨らませる。
なんとか笑いを堪えながら、隊長が口を開いた。
「ええと、矢の放し方をとにかくなんとかしましょうか」
「あら、そうなの。放し方が悪いの?」
隊長は弓矢は持たずに、格好だけをしてみせて説明する。
「こう……シュッと捻らず引いて、ピッと離すんです」
私たちはその助言に黙り込んだ。
「え? いかがなさいました?」
戸惑うように隊長が問うてくる。
私とクロヴィスさまは顔を見合わせたあと、ぼそぼそと話し掛けた。
「いえ……あなた、当てるのはあんなに上手いのに、教えるのは向いていないのね……」
「えっ」
「先生は教え方が上手いぞ」
「天才型はこうなるのよね」
「ええっ」
そのあと私たちは、笑いながら弓を引いた。
ローザが途中で交じってきて、一発で当てたりして、また笑った。
とても楽しくて輝いた時間だった。
このまま終わらなければいいのに、ときっと皆が感じたと思う。




