58. 告白されました
翌日、私はローザとこっそりと王城を抜け出した。
とはいってもシルヴィスさまの許可は取っているようで、馬車の手配もなにもかも整っていた。
昼間、人通りの多い時間帯、馬車がせわしなく行き交う城門を、私たちの馬車もくぐり抜ける。
ローザは黙ったまま、私の斜め前に座っている。
私もレースのカーテン越しに、流れる風景を口を開かぬまま眺めていた。
弓場に向かうのに、こんな沈んだ気持ちでいるのは初めてだ。とはいっても、三回目だけれど。
二回。たった二回、訪れただけなのに、なんだかそこは輝いている場所のような気がしていた。
なのに弓場に到着して、その門をくぐり抜けても、日は照っているのにどんよりと色がないような気がする。
射手の隊長が、私たちを射場の手前で待ってくれていた。そして彼は、私一人を中に促す。
「なにかありましたら、ここに控えておりますのでお申し付けください」
「ありがとう」
なにかあるだなんてことはあるのだろうか。
ないだろうが、警戒はされる。シルヴィスさまの恩情でこんなふうに人払いができているけれど、もう二度と許されはしないだろう。
私は一人、中に入り、そこにあった椅子に腰掛ける。
すでにその人は射場にいて、今までと同じように的に向かって弓を引いていた。
でも、じっと見ていても、矢は的のすぐ横を素通りするだけだ。
「……当たらなくなったのだ」
ぽつりと彼、クロヴィスさまが零す。
私はなにも口にすることができずに、ただ彼を見つめるだけだ。
「今までとなにも変わらない気がするのに、さきほどから射っているが、ちっとも当たらないのだ」
そう話して、彼は脇に弓と矢を置く。
こちらには振り返らないまま、クロヴィスさまはその場に立ち尽くしている。
肩が、震えている。けれどその場は静寂に包まれたままだ。
降ろした腕の先で、拳を握っている。なにかを堪えるかのように。
「結局、なにもできなかった」
私は黙ってその言葉を聞いた。
いったい私に、なにが言えるだろう? なにも言えやしない。今、この場で彼に言える言葉など、私は持っていない。
「母上を守りたかったのに、なにもできなかった。父上を追い抜いて、止めたかったのに、できなかった」
そう心の内を話してから、はーっと息を吐く。
「母上は、弱い人だからな。守って差し上げたかったのだが」
息子に弱い人だと思われているような母親では駄目だ。むしろ彼女はこれからクロヴィスさまを守っていくべきだ。
彼女はこれから、強くならなければならない。
今の彼女にそれを求めるのは、きっと酷な話なのだろう。それでも。
「伯父上に助けてもらおうと提案もしたのだが、母上が嫌だと言ったのだ。だから言わなかったのだが……私の判断が甘かった」
あの食堂での一件を見ても、エルマ夫人が国王に助けを求めることはないだろうというのはわかる。
それでも。母親の希望を突っぱねてでも助力を請うべきだったのかもしれない。そうすればこんな事態にはなっていないのかもしれない。
その判断ができなかったことを、彼は悔いている。
でもそれは、クロヴィスさまの責任ではないのに。
ないけれど、彼の心の中でそれは、澱のように沈んでいるのだ。
「私がもっと大人だったなら、きっとできたのに」
クロヴィスさまはこちらを振り向く。もしかしたら泣いているのではないかと思ったが、彼は涙を零してはいなかった。
「お別れを、言いたかったのだ」
私はうなずく。
「エレノア、来てくれてありがとう。伯父上に、エレノアにお別れを言いたい、とお願いしてしまったのだが、来てくれてよかった」
「お声掛けいただき、光栄ですわ」
私はそう返す。そして、隣にあるもうひとつの椅子に彼を促した。
クロヴィスさまはこちらに歩み寄り、そして椅子に腰掛けた。それからぷらぷらと足を交互に揺らす。
彼はその揺らした自身の足に視線を向けたまま、口を開いた。
「婚姻の儀が終わったら、確実に二度と会えなくなるからそれまでに、と伯父上に融通してもらった」
「そうでしたの」
二度と。もう二度と、会えない。
いくら内々に済ませるとはいえ、クロヴィスさまは二度と王城に戻ってくることはない。
もしも彼が王位継承に名乗りを上げるような動きを少しでも見せれば、その時点でケヴィン殿下のことが表立って問題となり、彼は潰されることになるだろう。
シルヴィスさまの恩情だけで、なんとかできることではない。
クロヴィスさまは、どこか遠い土地で、政とは無縁に生きていくしかできない。
彼が穏やかに命の危険を感じることなく生きていくには、それしかないのだ。
つまり。
王妃となる私とは、もう会ってはならないのだ。
「行き先は……決まりましたの?」
「いや、まだだ。伯父上が探してくれている」
「そう、ですか……」
どこか遠い土地。そう一言で簡単に言えても、すぐに見つかるものではない。
事を表沙汰にしないためには、知らない者たちに王都追放と思わせてもならない。
シルヴィスさまは、今きっと、必死になって預け先を探しているだろう。
クロヴィスさまは揺らしていた足をぴたりと止めると、こちらを振り返る。
「父上が、酷いことをしてしまったな。すまなかった」
「……謝ることではありません。クロヴィスさまはなにもしていらっしゃらないのですから」
私がそう返すと、クロヴィスさまは小さく笑った。
「そうでもない」
「え?」
まさか彼が関与しているとでも言うのだろうか。そんな馬鹿な。
クロヴィスさまは、まっすぐに私の顔を見つめる。
「私は王城を離れる程度の罰しか与えられないが、本当は、極刑にされても文句は言えないのだ」
「……え?」
「父上の暗殺がもし成功していたら、エレノアが手に入ったのだろうか、と」
そう語って、口の端を自嘲的に上げた。
「そう、思ってしまったのだ」
しん、とその場が静まり返る。
どこかでかさかさと木の葉が音を立てているのが聞こえた。強くもない風を頬に感じる。
はあ、とクロヴィスさまはため息をついた。
「それは、とても醜い感情だ。もし王位を手に入れたとしても、私はそれにふさわしくない。私は父上と同じだ。よくわかった」
「クロヴィスさま、同じではありません。行動に移すことと移さないこと、このふたつには大きな隔たりがあります」
私は慌ててそう慰めるが、彼は自分が抱いてしまった感情を嫌悪しているのだろう。そうか、と納得する様子はなかった。
私の言葉はなかったかのように、クロヴィスさまは続ける。
「だが安心してくれ。今、エレノアとどうこうなろうとしているわけではない。どうこうしようとしているわけでもない。でもただ、最後に、言っておきたかったのだ」
クロヴィスさまは、ぴょんと飛ぶように椅子から降りるとこちらを振り向き、シルヴィスさまと同じ濃緑の瞳で、私の目に視線を合わせた。
そして。
「私は、エレノアが、好きだ」
はっきりと、そう、告げた。




