55. クリスティーネさまに訊きました
その二日後に、ハーゼンバイン辺境伯夫妻はアダルベラス王城に到着した。
婚姻の儀のあと開かれる夜会に出席するため、すでに屋敷を発っていたそうだ。
「道すがら、いろいろと立ち寄りながら来る予定だったので、近くまで来ていたのです」
「そうだったんですか」
四阿にて、私はクリスティーネさまと向かい合って、話をしていた。
シルヴィスさまとフランツさまは、二人で王弟の処遇について話し合うということだった。
その間、私はクリスティーネさまのお相手をして欲しい、と頼まれたのだ。
テーブルの上には温かなお茶とお菓子が用意されていて、本当なら素敵なお茶会になるはずなのに、私たちの間には、なんとも言えない空気が流れていた。
「大変でございましたね」
クリスティーネさまは眉尻を下げて、私をそう労った。
「いえ、わたくしはなにも」
おおっぴらに今回のことを口にはできないので、私たちは言葉を探りながら話をする。
誰が誰と通じていて、どこから漏れるかもわからないからだ。
周りに人がたくさんいるわけではないが、侍女や衛兵たちが遠目にこちらを見守っている。
信頼できる者たちばかりであるとはいっても、念には念を入れなければならない。
だからだ。だから、なんとなく、こうしてクリスティーネさまと向かい合っているのが憂鬱なのだ。きっとそうだ。
「ケヴィン殿下のこと……ご病気だなんて、陛下も気落ちされていることでしょう」
クリスティーネさまは今回のことをすべて知っている。しかし事実を隠すために、そんなふうに語っているのだ。
「けれどエレノア殿下がお傍におりますこと、きっと陛下の励みになりましょう」
あの美しい微笑みを見せながら、クリスティーネさまは私にそう声を掛ける。
私は俯く。
本当に?
私が傍にいると、励みになる?
違うのではないの? 私ではないほうがいいのではないの?
本当は、クリスティーネさまがシルヴィスさまのお傍にいるべきではないの?
「エレノア殿下?」
クリスティーネさまは、返事をせずに俯く私に、戸惑っているようだ。
なんだか涙が溢れてきそうになる。
しんしんと、疑惑が心の中に降り積もっていくような気がする。
駄目だ。こんなのじゃ。
ローザは言った。前向きでひたむきなのが私だって。
こんな、俯いたままの私じゃ、ローザだってそっぽを向くわ。
私は、頬を両手で包んで、顔の筋肉を動かした。切り替えなきゃ。笑わなきゃ。
鬱々となんてしていないで、はっきりさせちゃおう。
ちょっとはしたないかもしれないけれど、そのほうが私らしいもの。
「あの……エレノア殿下?」
不安そうな声が私を呼ぶ。
そうよね、クリスティーネさまにだって、こんな態度じゃ失礼だわ。そんなの、良くない。
それくらいなら、はっきりさせてすっきりしたほうがいいわ。
よし、言っちゃおう。
「どうかされまして? ……そうですわね、エレノア殿下もその場におられましたものね」
頬に手を当てて、憂いを帯びた瞳をこちらに向けている。
違うんです。情けないことに、私の今の憂鬱はそれではないんです。
「クリスティーネさま」
私はなんとか顔を上げて、ふーっと息を吐く。
そしてテーブルの上のお茶を手に取ると、ぐいっと飲んだ。少し冷めていて、一気に飲むにはちょうどよかった。
間違いなく、王女たる者のお茶の飲み方ではない。その様子にクリスティーネさまは目を丸くしている。
お茶を飲み干したあと、私はカップをテーブルの上のソーサーに戻した。
そしてクリスティーネさまの顔に視線を移す。
「わっ、わたくし実は、クリスティーネさまに訊きたいことがありますの」
突然そう問われた彼女は、自身の胸に手を当てた。
「わたくしに?」
「はい」
私は決意を込めて、口を開く。
「あのとき……その現場で」
「はい」
そう話し始めると、いつのことなのかはわかったようで、彼女はうなずいた。
「ケヴィン殿下が仰いましたの」
「ケヴィン殿下が? なんと?」
「クリスティーネさまを、その……陛下が……手に入れた、というようなことを……」
はっきりさせようと決心したのに、私の声は消え入りそうだ。
ああ、私のいくじなし。がんばれ、私。
「わたくし……わたくしね、それを聞いて、とても悲しかったのです」
「……そうですか」
クリスティーネさまは、そう返してきて微笑んだ。でもそれは、いつものような完璧な笑みではなく、どこか寂しそうな、そんな表情に見えた。
「本当にお慕いされているのですね、陛下のこと」
「はい」
私は迷いなく、うなずいた。クリスティーネさまは、それを見て口元に弧を描く。
「ケヴィン殿下が仰ったこと、それは誤解です。ですから、お気になさらないで」
そう言い聞かせられたからといって、そのまま納得はできなくて、私は食い下がった。
「本当のことを仰ってください。クリスティーネさまを責めようだなんて気持ちはありません。私はただ、知りたいのです。言いたくないかもしれませんが……」
「いいえ、本当に誤解なのです」
彼女は首を横に振る。
そして続けた。
「そうですね。見ようによっては、手に入れた、という表現も、間違いではないのかもしれません」
クリスティーネさまは、私の目をじっと見る。
嘘はない、と彼女の目が語っている。
「わたくしは、保険でした」
「保険?」
「ええ、オルラーフの姫君とのご婚約が解消となった場合の、保険」
そう語ると彼女は目を伏せて、テーブルの上のカップの縁を、その美しい指先でなぞった。
「もちろん、表沙汰にはしておりません。オルラーフに対して不誠実と思われてもいけませんから、誰もいないということにはなっておりました。もしオルラーフについに姫が生まれず、今世代の婚姻は諦めようということになった場合、そこから妃候補を集めたりしていると、陛下の御子が望めなくなるかもしれませんから、保険となる女性が必要だったのです」
彼女はカップを手に取ると、私と違って一口だけ、お茶を口に含む。
「陛下が二十四歳になるまでに王女が生まれなければ、今世代の婚姻は諦めるという話になっていたと聞き及んでおります。ですから」
そしてこちらを振り返ると、静かな口調で語った。
「あと一年、エレノア殿下がお生まれになるのが遅ければ、王妃となっていたのは、わたくしでした」




