28. 図書室に行きました
そう話し合ってみても、これだ! という場所はなくて。
ひとまず研究、調査が必要です。
そういうわけで、私はローザとフローラを引き連れて、王宮に向かっていた。
遠乗りはともかくとして、景色のいいところで愛を語り合うというのは憧れるじゃない?
だからそういう情報とか集めてみようかと思って。
「王宮に図書室もありますが、王城には図書館が隣接されております。もし図書室にいいものがなければ、そちらから取り寄せもできます。司書に訊けば、いいものを紹介してくれると思いますよ」
などとフローラが教えてくれたので、それなら図書館のほうがよかったかしら、と悩んでいたら、たどり着いたそこは、十分に蔵書を抱えた広い部屋だった。
図書室でこれなら、図書館なんて多すぎて目移りしてしまって決められないかもしれない。
でもこれだけ本があっても、『恋夢』がないなんて残念だわ。
私は司書に案内され、アダルベラス国内の観光名所が紹介されたものや、各所の簡単な歴史や風景が書かれている本が集まっている本棚の前に立っていた。
「あなたたちは、自由に見て回っていいわよ」
ローザとフローラにそう許すと、では、と二人は散っていった。
私は本棚から適当に本を取り出すと、ぱらぱらとページをめくっていく。
ここはどうかしら、少し遠いかしら、馬車が入れる場所でないと、などと考えこんでいたところで。
「おや、これはこれは王女殿下」
ふと声を掛けられて、顔を上げる。
「あ、あら」
どうしてこんなところに。
トラウトナー公マリウスさま。独身公爵さま。
彼は笑みを顔に貼りつかせたまま、棚に沿ってこちらにゆっくりと歩いてくる。
そして私の前で立ち止まると、口を開いた。
「どうして、というお顔をされていらっしゃる」
「えっ」
その通りです。
「あなたに会いたかったから、と言うと殿下はどのようなお顔をされるのでしょう」
自分の胸に手を当て、なぜか少し悲しげに、そんなことを滔々と語る。
なにを言っているんだ、この人。それは寝言なんですか。
「お戯れを」
ほほ、と笑うと、彼は口の端を上げた。
私はあなたの許容範囲外の人間なんですよ。
どうしてそんな女性を口説くような言葉を発するんですか。そんな言葉しか知らないんですか。
という放言を、私はぐっと呑み込んだ。
彼は私が持っていた本を覗き込むようにして問うた。
「なにをお探しで?」
「今度、陛下と遠出をしようかと思っておりますの。ですから、いい機会ですし、アダルベラス国内のことを知っておこうかと思いまして」
「なるほど。景色の美しい場所とか?」
「ええ」
「こういうのはどうでしょう」
マリウスさまは本棚の中から一冊を抜き取ると、私に差し出した。
受け取って開いてみれば、美しい風景の挿絵がふんだんに盛り込まれた本だった。
「まあ」
「その土地の説明とともに、絵が描かれているのです。その絵を描いたのは高名な宮廷画家ですから、信用もできる」
「素敵」
なかなか要所を押さえた本ではないか。
「助かりますわ」
「それはよかった」
私はその本を簡単にめくっていく。地図と合わせて検討してみよう、などと考えていると。
その姿を見ていたのであろう、マリウスさまが声を掛けてきた。
「嬉しそうだ」
「えっ」
言われて顔を上げる。
「陛下との外出を、楽しみにしていらっしゃるご様子」
「ええ、とても」
そう返して笑うと、マリウスさまも笑った。
それから彼は少し考え込んだあと、口を開く。
「しかし陛下とはずいぶんとお年が離れていらっしゃる」
「ええ……まあ」
だからどうした。
可哀想に、とかいう寝言を口にしたらぶん殴るからね。
しかしマリウスさまの話は、予想外のところに飛んでいく。
「王妃となられて、これから年を重ねられて」
うん?
「エレノア殿下が女盛りとなられたとき、陛下では物足りないと思うかもしれない」
「……は?」
いったいなにを言い出しているんだろう。
「そのときは、ぜひ私にお声がけを」
話の内容とは裏腹に、実に爽やかな笑顔でマリウスさまは話した。
人妻狙いというのは徹底しているんですね。
私は、はあ、とこれみよがしにため息をついたあと、キッと彼を睨みつける。
「聞かなかったことにして差し上げますわ。ですから、二度とそのような下品なことは仰らないで」
怒気を含んだ声を向ける。
堪えているのかいないのか、彼は軽く肩をすくめた。
すると本棚の向こうから、ふっとローザが姿を現したかと思うと、こちらに早足で近付いてくる。
「ああ、これは侍女殿……」
首だけ振り返ったマリウスさまが言い終わるか終わらないかというところで、ローザは手を伸ばし、マリウスさまの背中から左手首を持ったかと思うと、捻り上げて背中に回させ、そして体当たりするように、右手首も押さえつつ、彼を本棚にドン、と押し付けた。
本棚が揺れ、上のほうにあった本が何冊か床にバサバサと落ちる。
「いたたたた!」
「大丈夫ですか、姫さま」
ローザはこちらを振り返り、マリウスさまを本棚に押し付けたままの体勢で、落ち着いた声音でそう問うてきた。
彼女は護身のために簡単な体術ならば使えるのだ。アダルベラスについてくるたったひとりの侍女が彼女になったのは、そういう理由もあるはずだ。
もちろん猛者たちに敵うほどではないだろう。でも、優男相手なら、この通り。
「大丈夫よ」
「なにやら不埒な言葉が聞こえてまいりましたので、馳せ参じました」
「ありがとう」
「お手当、お願いします」
「考えておくわ」
押し付けられた右手首から上で本棚を叩きながら、マリウスさまは焦るように声を上げる。
「痛い、痛い! 参ったから離してくれ!」
「私の行動に対して、お咎めなしとお約束してくれるなら」
「する、する!」
「では」
ローザは慎重に手を放し、そしてゆっくりとマリウスさまから離れた。
自由になったマリウスさまは、握られていた手首をさすったり、肩を回したりしている。
まったく、いい気味です。
マリウスさまは私に向かって、言い訳がましく話す。
「ほんの可愛らしい冗談のつもりだったんですが」
「冗談にしては、質が悪いですわ」
「それは申し訳なかった」
本当に申し訳ないと思っているのかどうなのかわからない口調で、マリウスさまは謝罪した。
むしろ、どこか楽しそうでもあった。
「せっかくの権力と財力をお持ちの殿方ですのに、残念で仕方ありません」
落ちた本を拾いながらそう零すローザに向かって、マリウスさまはわずかに眉をひそめた。
「権力と財力……そういうのに、興味があるんだ?」
「あります。むしろそれしか興味ありません」
ローザは本を抱えて立ち上がりつつ、堂々と言い放った。
ローザもローザで、徹底しているわよねえ。
彼女の返答を聞いたマリウスさまは、くつくつと喉の奥で笑っている。
「そこまで堂々と宣言されると、腹も立たないものだね」
「あの?」
「いや、失敬」
ごほんと咳払いをすると、マリウスさまは私のほうに向き直って、胸に手を当て腰を折った。
「王女殿下のお耳を、失礼極まりないことで汚してしまい、申し訳なく思っております。私のこの無礼な所業について、どうかお許しをいただきたく」
「二度と言わないとお約束していただけるなら」
「寛大なお言葉、痛み入ります」
そう述べると、マリウスさまは頭を上げ、そしてあの爽やかな笑顔で笑った。
「では御前、失礼いたします」
それからマリウスさまは立ち去って行く。
向こうのほうでフローラと行き当たったマリウスさまは、彼女の礼を受けて軽く手を上げ、そのまま図書室を出て行ったようだった。
フローラはその姿を見送ったあと、こちらにやってくる。
「エレノア殿下、いい本はありましたか?」
「ええ、今、マリウスさまにご紹介いただいたの」
「ああ、それでこちらから」
納得したようにフローラはうなずいた。この様子では、さきほどの騒ぎは耳に入らなかったのだろう。
「公爵閣下は本にお詳しいですから、きっと良い本でしょう。さきほども、何冊も本を返却なさっておいででしたし」
「へえ、意外」
「公爵位を継がれる前は、司書になりたかったとか聞いたことがありますわ。真偽のほどはわかりませんが」
「ふうん」
それで迷いなく本を薦められたのか。人は見かけによらない。
「本好きの方は誠実な印象がありますのに。本当に、残念な殿方ですね」
首を何度も小さく横に振りながら、ローザがつぶやいた。




