前編
風がそよそよと穏やかに吹く暖かな日差しが届く過ごしやすい陽気。宮殿の所々にある中庭には色とりどり華やかなものから可愛らしいものまで様々な花が品良く咲いており、手が込んでいることが分かる。花々を飛び回る蝶に、木に止まって可愛らしい声で鳴く鳥。
この光景を地上の楽園だと言う者もいるだろう。妖精の庭だと言う者もいるかもしれない。それくらい美しくどこか儚い夢のような場だった。
ただその一角だけを見ていたら時が停滞していると錯覚しそうなくらい静かな美しい光景だ。
そのような永久に変わらないと信じてしまいそうな場所だったが、それはただ長い凪の時というだけだった。すぐ側にはその停滞に一石を投じる存在が近寄ってきていた。
昔から嵐の前の静けさという言葉があるのに、ほとんどの者たちは嵐が来るまでその言葉を思い起こすこともしないのだった。
ミリアは憤懣やるかたない心持ちで回廊を歩いていた。そこまで憤っていても足取りはなるべく落ち着けて、しかし急ぐ。感情のまま走れば人の一挙手一投足に目を光らせる口さがない連中があることないこと吹聴するのが目に見えている。だから、どんなに急いでいても心の内が吹き荒れていてもそれを表に出してはならない。ミリアはそれを齢十にして悟り十五になった今もそれをいついかなる時も忘れたことはない。普段根城にしているところはそこまで気を張らなくてもいいが、ここは違う。彼女は、ここは伏魔殿だと思っていた。ほんの少しでも油断すれば足をすくわれる、そういう場所だと。しかも、ミリアは見るものが見れば所属がどこか分かる服装をしていた。急いでいたこともあるが、表向きは煌びやかで美しいここにこれる服装はこれしかなかったのだった。
周囲から見ればミリアはその内部がこれ以上ないほどに火を噴き暴れているか想像もつかぬほどに落ち着いており、まさに普段通りだった。もっともこの場に彼女の普段を知っている人はいないが。
幸いにして誰にも見とがめられることなくミリアは目的の場所にたどり着いた。
「お開けなさい」
ミリアは扉を守る衛兵に命ずる。こういうときに下手に出ても自分の求めるものを手に入れることはできないことを知っていたからあえて居丈高な口調を使う。
「貴女にはこの中に入る資格はない」
「わたくしはここを開けなさいと申したのです。招待を受けていないのですから資格云々のことなどもとより承知しております。その上で扉を開けよと命じたのです。第一わたくしは今この中で行われていることと無関係ではありません。そのことからわたくしにはこの中に入る権利があると存じます」
「関係あるか否かの問題ではない。貴女は入れない、それだけだ」
「そう……」
職務に忠実というか何というかとても融通が利かない人間らしい。端から話を聞く気がないのがこの短い遣り取りで嫌と言うほどよく分かる。
しかし、ミリアにもそう易々と引き下がれぬ理由がある。普段であれば後のことを考え逆らうことは得策ではないと諦めるところだが、今日この時ばかりはそうはいかない。
「ならば無理矢理にでも入らせて頂きます」
「なっ」
「怪我をなさりたくなければ、お退きなさい。開けたくないというならばそれで結構。勝手に入らせて頂きますから。ただ、邪魔立てをするならば身の安全は保証できかねます」
あまりわたくしを困らせないでくださいね。
そう言って彼女はクスクスと軽やかに笑うがその目は怒りの炎が燃えていた。
「し、しかし」
「おい、もういいだろう。その者が勝手に入っていったことにするぞ」
「それで通じると思うのか?!」
「そう証言してもらえばいいだろう。それに、神殿関係者を無碍に扱うことは得策ではない――というわけでよろしいのですよね?」
どうやら頑固者の相方は『話の通じる』人間だったようだ。
「ええ、貴方方が咎められぬように計らいますよ」
「……わかりました」
さすがに怪我をするのはごめんだったのか二人の衛兵は渋々とではあったが道を開けた。
ミリアは二人がどいた扉を――魔術を使って開ける型だったので魔術に深い造詣があるミリアにとっては開けるのは造作ないことだった――開けた。急いで開けたせいなのかどこかで怪しい音がしたが聞かなかったことにした。
扉が完全に開ききる前に彼女は毅然とした態度で決戦の間へと歩を進めていった。
双子というのは古から今に至るまで凶事の前触れとされ忌み嫌われてきた。それは、滅多にないことであるが故に何かしらの意味を見いだした結果そう考えられるようになったのかもしれないが、少なくともこのクーツライル王国では国教のスレイル教の影響が多分に含まれている。スレイル教の神話で双子神が争ったことが原因で世界が滅びかけたというものがあり、また過去に貴族の双子が家督を争ってそれが大変な事態に発展したという言い伝えも残っている。それが根強い双子蔑視につながっているのだろう。
ある日、そのような国である子爵家で、待望の第一子が生まれようとしていた。
例によって夫である子爵は邪魔にしかならないと追い出されて部屋の外でまんじりとせずに夫人が無事子を産むのを待っていた。
「まだか」
「落ち着いてください、旦那様。奥様はきっと大丈夫ですよ。お強い方ですから」
「しかし、始まってからもう大分経っているではないか」
これが何回も繰り返される。このようにして出産に携わる者たちからとても鬱陶しいと思われていた。
そうこうするうちに赤子の泣き声が子爵の耳に届いた。
「生まれたかっ」
「そのようですね」
彼は喜び勇んで部屋の中に入っていった。慌ただしいその様子を側に控えていた執事は苦笑して主に続く。
「よくやった!」
部屋に入った子爵は開口一番そう言った。当然彼は、子は一人だけだと思っていたし、まさか双子だとは夢にも思っていなかった。
「男か?女か?」
「旦那様……。それが、」
「どうした?」
今更ながら子爵は中の様子がおかしいことに気付く。どこか恐れのようなものを感じる。
「どうしたんだ」
「まだ、なんです」
「は?」
「その、双子だったようなのです!」
悲鳴のような産婆のその言葉を聞いたとき子爵はぽかんとした。何を聞いたのか理解できなかった、というより頭が受け付けなかったのだ。
結局生まれたのは双子の姉妹だった。
そもそも、貴族であれば妊娠が分かった時点で透視魔術が使われ、男児か女児か見分けられる。同時に双子かどうかも分かるのだ。その時にしかるべき処置が行われる。なので、貴族が双子を産むということはまず有り得ないことだった。
しかし、その子爵家は所有する領が数年前に飢饉に見舞われ財政が圧迫され、大多数の貴族が出産する前に受ける透視魔術を受けられなかった。子爵は双子のはずがないと思い、かなりの支出を伴う透視魔術を受けさせなかった。
彼はその判断を今更ながらに後悔した。多少生活が苦しくなったとしても受けさせればよかった、と。
子爵夫妻は貴族には珍しい恋愛の末の結婚で、今も変わらず子爵は夫人を溺愛しており、社交界でも有名な仲睦まじい夫婦だった。なので、もし双子を産んだことが外部に漏れれば夫人がいわれないことで噂され貶められると思うと彼は後悔の念にさいなまれた。さらに、その夫人が産後に弱って床に伏せってしまい、彼は追い詰められていった。
その日も子爵は夫人と子どもたちの部屋を訪れていた。
「可愛いですわ。本当に」
「……そうだな。しかし、二人共を育てるわけにはいかない」
夫人は夫との子である二人を手元で育てられたら、と思っていたが子爵家の財政は二人をも育てられるほど余裕はなかった。そして、
「どちらがどちらだかよく分からぬ」
そう、今からすでにそっくりな姿形をしており、親でさえ見分けるのは困難なほどなのだ。たとえ余裕があって年子としようとしても、憶測が流れ最悪の場合双子であることがばれてしまいそうだった。
そう伝え、子爵は二人のうちどちらか一方を手放すように夫人を説得した。
「残念ですけど、この子たちが辛い目に遭うくらいなら手放すくらいなんともないです」
夫人は沈んだ顔をしたが、すぐに微笑んで手放すことを了承した。
次に起きる問題は、一体どちらを手元に残しどちらを手放すのか。そして、手放すにしてもどこに預けるのか。子爵が考え込むと、
「ですが、どちらかの子は貴族となることは難しいでしょう。それでも幸せになって欲しいと願っているのです」
夫人は双子を見ながらそう言った。どちらを残すのかは貴方に任せます、と続ける。
これで子爵は双子のどちらかを他の貴族や平民のように『処分』することはできなくなった。
しかし実のところ、子爵は双子を気味が悪いと思う人間の一人で、片方は勝手に愛しい妻の胎内に入った悪魔だと考えていた。妻が両方を愛おしく慈しんでいるのも悪魔が生き残るための悪知恵だとも思っていた。早いこと悪魔を家から追い出し、さっさと目の届かないところにやってしまいたいと思っていた。もう見ることがないという点では『処分』が一番手っ取り早い方法だったのだが、この言葉によりその簡単な方法が禁じられたので、なおさら双子の片方になりきっている悪魔を憎んだのだった。
「どうする、我が子と悪魔を見分けるには……、悪、魔………、そうか魔力だ。魔力を調べよう」
彼は悪魔ならば魔力にそれが現れるはずだと考えて、急いで魔力審査用の魔術具を値は張るが取り寄せた。そうして届いたらすぐに二人の魔力を調べたのだ。
結果は二人とも魔力は珍しく特殊属性を含む全てに適性を持っていた。特殊属性は基本となる火、水、風、土属性が使えなければならず、つまり二つある特殊属性のうち両方に適性があるのだから全属性なのは当たり前のことだった。また、全属性に適性がある者は珍しいが全くいないわけではない。そもそも、貴族の大半が特殊属性に適性を持っている。しかし、その中でも得意不得意があるのが普通だった。逆に言えば全てが同じくらい扱える者はまずいないということだ。もっとも王族や上級貴族、相当高位の神官くらいになればどれも高い水準で操ることができる者が多い。そうではない者が大半とはいえ。
そして実際二人も得意な属性があった。先に生まれた方は自然属性、そして特殊属性のうちの闇属性に特化しており、後に生まれた方は自然属性はいわゆる平均値、そして闇属性は申し訳程度、ただ特殊属性のもう一つ聖属性とも呼ばれる光属性は特に強い力を持っていると出たのだった。
子爵は聖属性が強く出た後の子を自らの本当の子だとし、先の子を悪魔なのだと断じて神殿に放り込んだのだ。神殿は聖なる場所だから悪魔であっても――悪魔であるからこそ封じ込めることができるだろうと考えたのだった。そして、神殿であれば基本的に世俗に干渉しないことと夫人の希望両方が叶うと考えたのだ。
「先に生まれた方を神殿に入れることにした」
子爵は床に伏せっていた夫人にある日そう告げ、その日のうちに神殿に預けてしまった。
夫人としてはお別れを言いたかったが、体調も悪かったので諦めたのだった。ちょうどこの頃が一番体調の悪い時期だったこともあった。少しでも起きあがって動こうとすると子爵に止められていたのだ。
ところが双子が一人娘に変わってからは、夫人の調子も少しずつ良くなっていったのだ。それを側で見ていた子爵はやはりアレは悪魔だったと自らの選択に自信を持った。
そして子爵は残した方をノエラと名付け溺愛することになる。一方神殿に入れられた方はミリアと名付けられ、育てられることとなった。入れられた神殿は地方の小さなものであったがその神殿長は高名な魔術師でもあったためそれなりに有名なところでもあった。また、その神殿長は双子に対して珍しく蔑視をしない人であったので、ミリアは将来有望な魔術師のたまごとして教育されたのだった。
幸いにも出産からの一連の出来事に関わったのは子爵夫妻の腹心の者たちだけでこのことが外部に漏れることはなかった。そのほかの子爵家で働いていた者たちは、理由は分からないものの上司たちが混乱していたから一緒になって混乱していただけだった。
こうして双子は生き別れることになったのだ。
しかし、二人は子爵夫妻の心など知らず物心つく頃にはすでにお互いのことを知っていた。夢の中鏡の中でお互いと会い、会話していたのだ。最初がいつだったのか覚えていないが、記憶にある中ではいるのが当たり前となっていたのだから、そうなるくらいには会っていたのだろう。歳が八つになるくらいには夢や鏡を媒体とせずとも会話できるようになっていた。
このことは二人だけの秘密で保護者にも言っていなかった。誰かに言おうと思ったときもあったが、両親や神殿長さえ二人に片割れがいることを教えることはなかったため、この秘密を話すのはためらわれたのだった。
結果としてその選択は間違っていなかった。もし、大人に言っていたとすれば。よければ子どもにありがちな夢だと微笑ましい、或いは変なものを見る目で見られるだけで済むが、場合によっては――例えばノエラが親に言っていれば――、ミリアの命がなくなっていた可能性もあったのだ。そのことに思い至ったとき、二人が深く安堵したのは想像に難くない。
二人はそうして夢で毎日と言って過言ではないほど会って話ながらそれぞれの場所で育っていった。
二人にとっては夜、片割れと会えることが何よりの楽しみになっていた。
「ふふふー」
天真爛漫という言葉がそのまま当てはまる性格をしたノエラが会って早々に笑い始めた。
「なに。気持ち悪いんだけど」
対するミリアはどちらかというと人付き合いが苦手で無口な方だ。人見知りともいう。親しい者には普通に話すが。
「今日ね、御本をもらったの」
「なんで?」
「新しい家庭教師の先生がいらっしゃったんだー」
このときの二人はちょうど九歳だった。
「何を習うの?」
「魔術学っ。ようやく魔術を使えるようになるんだ!」
「ふうん」
ノエラは興奮しているがミリアはとても冷静だ。反応が薄いせいでノエラが不満そうな顔をする。
「だって、わたしはもう教えてもらっているもの」
ミリアは神殿長から少し前から基礎を教えてもらっていた。
「ええー?!そんなあ」
ノエラは目に見えて落胆した。ミリアは何故ノエラがそのような反応をするのか分からず、首を傾げた。
「なんでそんなに残念そうなの?」
訊くとノエラはバッと顔を上げた。
「だってだって、私の方が先だと思ったんだよ。なのに……」
どうやらノエラはミリアよりも先にできるようになりたかったようだ。
「そんなこと言ったって、ノエラの方が先に始めたものだっていっぱいあるじゃない」
「でもぉ」
「それに、先に始めたからって上達も先かなんて分からないでしょう?」
「むう、そうだけど」
「そうだ!だったらこれからはここで今日習ったことを報告しあおうよ。そうしたら、どちらが先とかなくなるんじゃないかな」
「それで覚えられるとは限らないし、その日習ったこと全部覚えているわけではないと思う」
ノエラがもっともな反論をすると、
「そう?以外と覚えているものだけど。それに、寝る前におさらいしよう、って思うでしょう?」
「うぅ」
「できないの?」
「ぐぅ……、できる。できるよ!」
ノエラはぐっと顔を上げて答える。それを見たミリアはどこか満足そうに笑った。
「じゃあ、約束。わたしもその日習ったことちゃんと復習してノエラに教える」
「……はあ。まあ、いっかあ。ミリア楽しそうだし」
ノエラはどこか嬉しそうにしているミリアを見て微笑った。
そして約束通り二人は早速次の日から教え合いを始めたのだった。
教養と呼ばれる語学、歴史、神学、算学、作法などと、魔術学と呼ばれる魔術を使う上で必要な知識をそれぞれの場所で学んでいった。歴史や作法といったものは貴族の方がよく学ぶのに対して神学、魔術学に関しては神殿の方が高度なことまで習うことができる。
二人はそれぞれ習ったことを教え合い、お互いに切磋琢磨して貴族院に入る十二になった時にはすでに勉学の方面では卒業生と比べても遜色ないほどまで習得していた。ノエラはそれを知った子爵によって天才だと社交界に知れ渡りもてはやされた。
ある日のお茶会では、
「本当にノエラ様は素晴らしいですわね。わたくしも見習いたいものです」
そう、ノエラを持ち上げる人がいた。それは感嘆でもあり嫉妬も含まれたことばでもあった。
「わたくしにはもったいないお言葉です」
ノエラは波風を立てぬように当たり障りのない言葉で返す。決してそのことを鼻にかけることはしない。
「またそのようなことを。過ぎた謙遜は傲慢と紙一重ですよ」
歯牙にもかけられていないと思ったのか表面上はにこやかにノエラを持ち上げる。大体のものは少しくらい自慢げにすれば可愛げがあるのにとノエラを見て思うのだ。もし自慢すれば手のひらを返して底が浅いとか、はしたないとか貶すだろうに。
ノエラが実際持ち上げられていい気にならなかったのはひとえに自分以上の天才を知っていたからだ。片割れのミリアは魔術に関してはこれ以上ないくらいの天才で、魔術に必要な神霊語も算学も誰よりも秀でていた。しかし、そのほかの語学や歴史、そして何より常識というものをよく理解していたのはノエラの方で、いつもいつもやり過ぎないギリギリを見極めてそれを超さないようにと指示するのはノエラであった。また、ノエラは努力をよくしてミリアのようにすぐに理解できなくてもじっくりと自分なりに理解していたのでとても優秀ではあったのだ。ただ比較対象が悪かっただけで。言うなればミリアは天才型でノエラは秀才型だった。
二人を知る神殿長は、心の中でミリアのことは研究好きの魔術馬鹿、ノエラのことはとても優秀な子と評している。彼からするとミリアは我が道を行く自分の興味のあることしかしない困り者で、ノエラは周りのこともちゃんと見ることができるどこに行っても恥ずかしくない子、なのだった。