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ヒロインは蚊帳の外

作者: 音無威人

「キミハ・オレノモノダ公爵令嬢。私と婚約を破棄してほしい」

 婚約発表パーティーの会場で、真逆の言葉が響き渡った。中心にいるのは、今しがた婚約破棄された公爵令嬢キミハ・オレノモノダと、婚約破棄を宣言した王子バカーデ・ゴメンナサイ。王子の隣には浮気相手のシリガル・オトコスキー男爵令嬢が立っている。

「バカーデ・ゴメンナサイ王子、なぜですか」

 キミハは唖然とした表情を浮かべている。彼女にとって、婚約破棄は予想だにしないものだった。

「私をいじめたからよ」

 答えたのはバカーデではなく、シリガルだった。キミハは悔しそうに唇を噛み、シリガルを睨み付ける。シリガルは怯えたように身を翻した。

「確かに私はシリガルさんをいじめました。でもそれはバカーデ・ゴメンナサイ、あなたが離れていくのが怖かったからです。憎しみの感情でも良いから、あなたに私を見てもらいたかった。私はただあなたのことが」

 バカーデはキミハの口を手で塞いだ。目には熱い感情が揺らめいている。

「何も言うな。キミハ・オレノモノダ」

 キミハは悲しそうに目を伏せた。ポタポタと頬を滑り落ちる涙。その涙を見て、バカーデは顔を歪ませた。

「すまない。キミハ・オレノモノダ。私はシリガルに惹かれてしまったのだ。だが君は悪くない。悪いのは私だ。君を愛し続けることができなかった私こそが悪なのだ。だから私は君を断罪しない。君の罪は私の罪だ」

 シリガルは一瞬だけ、ニヤリと笑った。その笑みに気付いたものは誰もいなかった。

「キミハ様は私を傷つけたのよ。酷いこともたくさん言われた! 話しかけても無視された! 突き飛ばされたこともあったわ! なぜ断罪しないの。罪を放っておくつもりなの!」

 シリガルの叫びに対し、バカーデは首を横に振った。暗く淀んだ目でキミハを一瞥し、シリガルに視線を向けた。

「彼女を最初に傷つけたのは私だ。キミハ・オレノモノダを断罪するというのなら、私も断罪されるべきだ」

「いいえ! 断罪されるべきは私です。あなたに愛されなかった私に責任があるのです!」

「違う! 君に責任はない。裏切ったのは私だ。傷つけたのは私だ。君にいじめをさせてしまったのも私だ。いいか、キミハ・オレノモノダ! 全ての原因は私にある。責められるべきは君ではない私なのだ。責任なんて感じないでくれ。頼む」

 バカーデは震える声で懇願した。婚約破棄されたキミハよりも、婚約破棄をしたバカーデのほうが傷ついていた。

 彼のあまりにも苦しそうな表情と声に、キミハは何も言えなかった。言うべき言葉を見つけられなかった。

「悪いのは私なんだ。だから君に()()()()()()

 キミハは息を呑んだ。バカーデの意図に気付いたからだ。

 婚約破棄された場合、周囲は捨てられた相手に原因があると考えるだろう。婚約破棄された女性が、また次の婚約を勝ち取るのは難しい。触らぬ神にたたりなし。わざわざ好き好んで捨てられた女性を選ぶ男はいないからだ。

 だからこそバカーデは、婚約発表パーティーを婚約破棄の場として選んだ。あえて婚約破棄の場を見せ付けることで、原因がどちらにあるのか分からせるために。そう悪いのはキミハではなく、バカーデなのだと周囲に見せ付けるために。

 バカーデにとってキミハは誰よりも幸せになってほしい女だ。幸福を祈っているからこそ、自分が隣にいてはいけないと思ったのだ。

 素晴らしい婚約者を裏切るような自分ではなく、彼女を真に愛してくれる人と結婚してほしかった。パーティーには大勢の招待客がいる。彼女の素晴らしさに気付く男はいるはずだ。

 そうした考えから、バカーデはシリガルを引き連れやってきた。この婚約破棄はシリガルのために行っているのではない。キミハのために行っているのだ。

「……分かりました。バカーデ・ゴメンナサイ。婚約破棄を受け入れます。あなたが悔しがるくらい幸せになってやるんだから」

 キミハは泣き笑いのような顔を見せた。彼女は分かってしまった。長い付き合いだからこそ、痛いほどに彼の想いが分かった。

 あなたの愛こそが真の愛なのだと、彼女は言ってやりたかった。そうしなかったのは彼女もまた真の愛を持つ者だったからだ。

 彼女も不安だったのだ。彼の隣にいて良いのか、王になる彼を支えていけるのか、王妃に相応しい女性になれるのか、不安で不安で仕方なかった。

 だからいつかはこんな日が来ると覚悟していた。彼に相応しい女性がいたら、身を引こうと思っていた。シリガル男爵令嬢が相応しいと思っているわけではないけれど、それでもキミハは受け入れた。

「そうか。キミハ・オレノモノダ。世界で誰よりも幸せになってくれ」

 キミハは――バカーデは――分かっていた。お互いがお互いを強く想っていることを。その想いがお互いを傷つけあう刃になるだろうことも。

 強すぎる想いは時に牙を向く。愛とは諸刃の剣だ。決して甘いものじゃない。愛とは醜いものだ。ドロドロとした感情は時に嫉妬を生み、誰かを落としいれようとする。

 キミハがシリガルをいじめたように。シリガルがキミハの罪を告発したように。愛は人を傷つける凶器になる。

 バカーデはキミハを傷つけなくなかった。彼女を守りたいその一心が、シリガルという()()()()()()を見つけ出した。彼はシリガルの野心に気付いていた。甘い言葉を囁けば、きっと乗ってくる。そう確信していた。

 彼は知っている。自らが悪人であることを。シリガルに贈った言葉は全て嘘だった。愛してなどいない。

 シリガルを選んだのは、愛されて当然と思っているバカ女だったからだ。誰からも嫌われるような女だったからだ。

 婚約破棄をしても周囲の子息や令嬢たちはキミハの味方をするだろう。シリガルと違って、キミハは愛されているから。きっと幸せになれる。

「さようなら」

「祈ってる。君の幸せをずっと」

 キミハは取り巻きの令嬢を引き連れ、会場を足早に去った。彼女は一度も振り向かない。強い女性(ヒト)だと会場にいる人々は思う。

「バカーデ王子、やっと私たちは一緒になれるのね」

 シリガルは能天気に笑っている。バカーデに利用されたことも知らず笑っている。何も知らないシリガルはなんと哀れなことか。

「あぁ、シリガル。結婚しようか」

「はい。バカーデ王子」

 バカーデの声に感情は篭っていない。会場にいる人々は気付いていた。気付かなかったのはシリガルだけだ。





「あぁ、シリガル。結婚しようか」

「はい。バカーデ王子」

 バカーデとシリガルは熱いキスを交わした。シリガルはハッピーエンドを掴み、気分は絶好調だった。だからすぐには気付けなかった。周囲で起きている異変に。

「王子。結婚式は華やかにしましょう」

「……」

 王子は何も答えなかった。シリガルは首を傾げる。何度呼びかけても王子からの返答はない。イラッとした彼女は、王子を突き飛ばしてしまう。しまったと思うも時すでに遅く、王子は鈍い音を立て地面に倒れこんだ。

「ごめんなさい。悪気はなかったの!」

 彼女は青い表情を浮かべ、王子に駆け寄った。王子はピクリとも動かない。顔には一切の生気がなかった。まるで人形のように無表情だった。

 死んでしまった? 私は悪くない。王子が答えないからいけないの。顔面蒼白になりながら、彼女はつらつらと言い訳を述べた。

 はっと彼女は気付いた。ここは婚約発表パーティーの会場。目撃者は大勢いる。彼女の顔から血の気が引いた。

 何か言わないとまずい。焦った彼女は口を開こうとするも、結局何の言葉も出てこなかった。

 彼女は周囲を見渡し、異変にようやく気付いた。

「どうなってるの?」

 若手筆頭騎士や天才魔術師、最高の頭脳を持つ次期宰相候補を始め、会場にいる全員が静止していた。まるで糸が切れた人形のごとく。

 彼女以外の全員、顔から生気を失っている。明らかな異常事態に彼女は動揺した。

「こんなシナリオ、私は知らないわ」

 彼女は転生者である。前世で熱中していた乙女ゲーム『本当は悪役令嬢のこと好きだろ』のヒロインに生まれ変わったことに気付き、推しキャラであるバカーデ王子とハッピーエンドを迎えるため、悪役令嬢を陥れた。

 だが現状はハッピーエンドとは程遠い。登場人物が誰一人として動かないのだから。

 シリガルはゲームに存在しないはずの展開に戸惑っていた。ちゃんとシナリオは攻略したはずなのにどうして……パニックに陥る彼女の耳元で「だからこそだよ」と声がした。

 シリガルはビクリと肩を震わせる。いつの間にかそばに男が立っていた。見覚えのない男だった。

「誰よ。あなた」

 シリガルの声は震えていた。男は薄ら寒い笑みを浮かべている。

「オレは神様だよ。君を乙女ゲームの世界に転生させた」

 神と名乗った男は、ニヤニヤと楽しそうに笑っている。シリガルは無性に腹が立った。わけの分からない現状に不満が溜まっていたのだ。

「私は幸せになるの! 神様ならなんとかしなさいよ。早く王子様を元に戻して」

「それは無理だ」

「どうして!?」

 せっかく乙女ゲームのヒロインに生まれ変わったのに。王子様エンドを迎えたのに。どうしてハッピーエンドがやってこないのよ。

 彼女の心の中の声が聞こえたのだろうか。男は口を開いた。

「言ったろ。ここはゲームの世界。シナリオはエンディングを迎えたんだ。ゲームはすでに終わったんだよ。もうシナリオは存在しない。シナリオがないと彼らは動けない。だってゲームの住人だから。人間じゃないから。彼らは所詮プログラムで動くだけの人形。エンドを迎えた今、彼らが動くことはない」

 シリガルは唖然とした表情を浮かべた。すぐには男の言っていることが理解できなかった。否、分かりたくなかった。

「何を驚いているんだ。分かってたことだろう。この世界が乙女ゲームの世界だって。分かっていたからこそ、何の躊躇もなく悪役令嬢から王子を奪うことができたんだろう。ゲームのキャラだと思っていたから、悪役令嬢が傷ついても何も感じなかったんだろう」

 男の言葉は正しい。シリガルは乙女ゲームの世界だと気付いたからこそ、王子様と結ばれるために動いたのだから。

 最初から分かっていた。ゲームの世界だと。ただ彼女はその意味を正しくは理解していなかった。

「ここは現実じゃない、ゲームの中だ。文字通り乙女ゲームの中だ。だが君は違う。君の魂は現実世界のものだ。君だけがこの世界において部外者なんだ。だからゲームのキャラが役割を終えて活動を停止しても、現実世界の魂を持った君だけは生き続ける。君はプログラムでも人形でもゲームのキャラでもない。ただ一人の人間だから」

 シリガルは血の気が引いた。君だけは生き続ける。それはただ一人取り残されるということ。全てが終わった世界の中に。

「いやぁああああ!」

 彼女の脳裏に過ぎるは絶望の二文字。広い世界で一人ぼっち。頼れる人は誰もいない。ハッピーエンドは存在しなかった。王子様エンドの先に待っていたのは、バッドエンドが生ぬるいほどの地獄だった。

「一瞬だけでも良い夢を見させてやったんだ。オレとしては感謝してほしいくらいだ」

 その言葉を最後に、男の姿は霞へと消えた。一人残されたシリガルの結末は誰も知らない。

 彼女は悲劇のヒロインではなかった。彼女はずっと――哀れな道化(ピエロ)だった。





「傑作だったなぁ。天国から地獄に転落した顔。絶望に染まりきった顔。恐怖にゆがみきった顔。ホントオレ好みの顔だった」

 神様がシリガルを転生させた理由。それは絶望に染まった顔を見たかったから。彼は何度も王子様との結婚を夢見る女性を転生させてきた。乙女ゲームを選んだのは、醜い女性の欲望が垣間見える世界だったから。

 神様にとって全ての人間は遊ぶためのコマ。神様にとって乙女ゲームは遊ぶための舞台。神様にとって生きることは退屈なもの。

 永遠にも似た時間を生きる彼にとって、人間の一生など取るに足らない出来事に過ぎないのだ。たとえ人間にとって一生が長くとも。彼からすれば一瞬の出来事。なくなっても困りはしない。

 人間の癖に神様の暇つぶしの道具になれるんだから、ラッキーなことだろと彼は思っている。

「にしても王子はなんで婚約破棄なんてしたんだか。どんな理由であれ、人前で婚約破棄したら令嬢の醜聞にしかならないだろうに」

 人の不幸は蜜の味。令嬢の不幸をあざ笑う者はいる。権力者ほど、その傾向は強い。

「令嬢の幸せを思うなら、秘密裏に婚約解消すべきだった。彼女を悪者にしたくないなら、その後でじっくりと王子自身の醜聞を流せばいい。王族なんだ。その程度の情報操作くらい軽いだろうに」

 王子は子供だった。駆け引きを知らぬ子供だった。

「愚かな男だ。自分を賢いと思っているただのバカだ。本当に幸せにしたかったら、何が何でも隣にいるべきだった。顔を見れば分かるだろうよ。彼女の幸せはお前の隣にいることだって。恋は盲目というが、一番大事なものが見えないんじゃ考えものだな。乙女ゲームってのは王子がバカじゃないと成立しないのか」

 神様はぶつぶつと呟きながら、乙女ゲームを漁っている。暇つぶしをするなら楽しいほうがいい。

「『男の娘だけどいい嫁!』か、それとも『ヒロインの癖にのっぺらぼうかよ』か。お次はもうちっとマシなストーリーの乙女ゲームを選ぶとしよう」

 ってかこれ乙女ゲームというかギャルゲーじゃねと神様は思ったが、まぁ、どっちでもいいやと適当にゲームを選んだ。暇さえ潰せれば、何だって良いのだから。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 次々と視点が変わって、まさに急展開が続く流れに圧倒されっぱなしでした。 最後に書かれたのが神様視点ということで彼がバカーデのやり方を否定する部分が印象に残ってしまいがちですが、悪趣味な暇潰…
[一言] シュールでメタくて凄い好き 爆笑した
[一言] 名前がひどい(´・∀・`) できれば、名前はマトモなので……
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