09「お兄さまの動揺」
「かくれんぼでも無いのに、マーガレットが書庫に入りたがるなんて。どういう風の吹き回しなんだろうな? ――もう少し、下のほう」
ベッドでうつ伏せになり、顎を組んだ腕に乗せながらギルバートが言うと、フェルナンデスは、腰を指圧でマッサージしながら言う。
「向学心に燃えるのは、悪いことじゃありませんよ。いつまで続くか、分かりませんけど。――このあたりですか?」
「後半が余計だ。たまには、手放しで褒めろよ。――あぁ、そこだ。そこそこ」
「そうは言っても、熱しやすく冷めやすい、雪平鍋のような性格ではありませんか」
「ユキヒラ鍋ってのは、何だ? 銅鍋か?」
「いえ、アルミ鍋です」
「あぁ、アルミか。熱伝導率は高いが、酸に弱いな。――腰は、もう良いぞ」
ギルバートが頭を持ち上げ、斜め後ろに向かって言う。
「はい。では、今度は肩凝りをほぐしていきましょう」
フェルナンデスは姿勢を変え、両手を首の近くに持って行き、揉み始める。
「もっと強めでも良いぞ。――特に、今日みたいな快晴日は、勉強を嫌がって性懲りもなく逃げ出すのが常だったのに、外から帰ってきた途端、教養が無いと駄目だと言い出すんだものなぁ。心変わりのキッカケは、何なんだろう?」
「かなり固くなってますね。――学問に目覚めるような、何かが特別な出来事があった、とでも?」
「俺の両肩には、マーシャル家の重圧が掛かってるからな。――あぁ、そうだ」
「溜まったストレスの捌け口が、妹さまを溺愛するという形に変質するのでしょうか?。――なるほど」
「昇華と言え。さもないと、お前を捌け口にするぞ。労をねぎらえ。――録音したデータを再生した限りでは、イマジナリーフレンドがいるみたいだけどさ」
「イツモ、オツカレサマデゴザイマス。――ところどころ、風の音で掻き消されてますから、本当に誰かと話していたのかもしれませんよ?」
「棒読みだな。――誰かって、誰だ?」
「さぁ、そこまでは。僕は、あいにく生命人形なので、客観的に観察した様子から推測するしか無いのですが、一つ、考えられる原因があります」
「何だ? 言ってみろ」
「妹さまは、恋煩いをしているのではないかと」
フェルナンデスが言った直後、ギルバートは身体を百八十度捻って起き上がり、片言に単語を並べる。
「恋、だと。コウノトリ、サンタクロース、信じる少女、マーガレットが」
「鳩が豆鉄砲を食ったような顔ですね」
軽口を叩くフェルナンデスに対し、キッと睨みを利かせるギルバート。
「……コスプレしたいのか?」
「口を慎みます」
すごみに押されてフェルナンデスがダンマリを決め込むと、ギルバートは思案顔をしながら、再びうつ伏せになる。
「たしかに、そうだと仮定すれば、腑に落ちなくもない。しかし、あのマーガレットが恋なんて。――仕上げに、足のほうを頼む」
「マーガレットさまは、もう十二歳ですよ。むしろ、遅すぎるくらいではありませんか? ――承知いたしました」
フェルナンデスは、ギルバートの脚を膝下から九十度に曲げ、足裏をマッサージしていく。
「初日に、お友だちから始まり、二日目に恋心が芽生えた、といったところか。考え物だな。――指先は良いから、土踏まずのあたりを押してくれ」
「そうして一歩ずつ、妹さまも大人の階段を上っていくのですよ。そのうち、一緒に風呂に入るのを嫌がるようになるでしょうね。――はい。それでは、遠慮なく」
「喜ばしいことなんだろうけど、俺としては寂しいな。――イテッ!」
ギルバートは、一瞬、ビクッと身体を痙攣させると、首をそらし、思い通りに事が運んだ達成感でにやけているフェルナンデスを睨みながら、低い声で言う。
「フェルナンデス?」
「涙目になってますね。でも、ツボは強く押さないと効きませんから。頭頂のツボも押しましょうか?」