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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

鳥篭

作者: 吉田尚美

ねぇ、それでもまだ、こんな私を綺麗だと、美しいと言ってくださる?

彼女はそう言って泣いた。いつものように美しい微笑みを顔に貼り付けたまま、涙を流さずに。

それは、何時かの時代であって、何時かの時代でなく、何処かの場所であって、何処かの場所でもなく。

もしかしたらそれは、快楽が見せた束の間の幻想だったのかも知れない。


鳥篭


彼女と会ったのはたまたまだった。

たまたま立ち寄ったある町の外れに隠れる気の全く無いほどに豪華絢爛な東洋趣味を拗らせた、正直自分にはよく分からない館の主に誘われて行った気乗りのしないパーティーでのたまたまの出会い。

貧乏暇なしの真逆にある、暇を持て余した金持ちの暇つぶし。

正直、色々と仕事を抱えている身としては遠慮したいくらい悪趣味なパーティー。セックスに溺れたり、ファッションを無駄に見せあったり、人間の欲望を凝縮したくだらない集まり。

なら何故いるのか?そんな事は分かりきっているのではないか?

自分もまたそんな欲に塗れた俗物だからだ。

「やぁ、こんばんは。」

ウイスキーグラスを片手にこの館のオーナーで、このくだらない遊びのホストがにこやかに話し掛けてきた。

しなやかな身体に、切れ長の目をした、冷たくて美しい青年。

俺は苦笑をわざと浮かべてやった。

「こんばんは。今日も大盛況だね。」

「相変わらずだなぁ。それに一役買っているのは君だろう?」

「何のことだか。」

「とぼけても無駄さ。今大人気の美人画家。君に近づきたい連中もたくさん居るだろうよ。」

彼は嫌味な笑みを浮かべて、俺の胸を軽く拳で叩いた。

「華宵や夢二の時代じゃない。俺なんか利用価値などないぜ。」

「よく言うよ。この間の、読んだぜ。」

そう言ってにやりと笑うと彼は、別の顧客の所へむかった。

相変わらず嫌な奴だ。

そう思いながら俺は、目当ての人を探す為にパーティー会場の中を歩いた。

時折声をかけられては、適当に言葉を交わす。暇を持て余した人間というのはどうも浅ましく見えていけない。

そうこうしているうちにようやっと目的の人を見つけた。彼女はつまらなさそうに窓際で椅子に腰かけていた。

北欧系の美人だった。

長い金髪に、人形のように整った顔。男受けの良さそうな細すぎない柔らかそうな体つき。

瞳と同じシルバーグレーのエンパイアスタイルのドレスは、一目で高いものと分かる繊細なシフォン。

彼女は、俺に気づくと優雅な微笑みを浮かべた。

今日はまだ誰も声をかけてはいないらしい。

「あら、久しぶりですね。」

俺に気がついた彼女は、穏やかな笑みを浮かべた。先程までの無表情が嘘のようだった。

「こんばんは、今夜も美しいね。」

「ありがとうございます。相変わらずお上手で。」

「相変わらずだなぁ。君に会う為だけにここに来たっていうのに。」

「あら、そうなんですの。」

彼女は、それっきり黙ってしまった。またしても空振り。

俺は苦笑を浮かべて、彼女を見つめた。

相変わらず椅子に腰かけたまま、何処かをじっと見つめている。それはまるで生き人形のようで、何処か物寂しく儚くて。

俺はそれ以上の軽口も叩けず、ただ彼女の目線の先を追って何がそこにあるのかを確かめようとしてみた。

快楽の波に呑まれた醜い人々の中に、彼女のようにシラフで、つまらなさそうに立つ一人の青年。

黒髪をラフに下ろした背の高い美青年。オーナーとはまた違う、細身で病的な程に神経質そうな色白の肌。憂いを帯びた表情は、耽美としか言えなかった。

彼女はそんな俺の視線に気づいたのだろう。こちらに目を向けると困ったように笑った。

「行かないのかい?」

その言葉に彼女は首を横に振った。

「今は行けませんの。」

「じゃあ、呼んでこようか?」

「いいえ、結構ですわ。あちらも大変ですしね。」

その言葉に青年の方を見ると、先程まで一人だったはずの彼の周りには何人かの女性が集まっていた。

「もてるね。」

「どうせ体目当てですわ。皆、考える事は一緒ですから。」

「言うね。」

「このような所に集まるような方達ですから。」

そう言い切ると彼女は、立ち上がり窓を開け、バルコニーから庭へ降りていった。

一人になりたいのだろう。

そう思った俺は後追いはせずに遠ざかる彼女の華奢な背中を見送った。


翌朝、俺は頭の痛みで目を覚ました。

昨夜のパーティーでいささか酒を呑みすぎたらしい。酔っ払って機嫌よくなった俺を館の客室に送り届けてくれたのは、残念ながらオーナーだった。

白いリネンのシーツの敷かれたベッドから離れると、備え付けられたバスルームの鏡を覗いた。

久しぶりに軽い二日酔いかと思ったが、顔色はむしろ良かった。

顔を洗って服を着替えていると、ドアをノックする音が聞こえた。

手早くシャツとズボンを着た俺はどうせオーナーだろう、と期待もせずにドアを開いた。

そこに居たのは、あの嫌味なオーナーでは無かった。居たのは、アイスブルーの長袖のワンピースに、髪を緩く纏めた例のあの彼女だった。

「おはようございます。朝ごはんはいかがなさいますか?」

「え、あ、ああ。おはよう。いただくよ。」

「分かりました、お部屋で?それとも食堂で?」

「食堂で食べるよ。」

「かしこまりました。では、準備をしてきます。先に行ってらして。」

その言葉に俺は頷いて、台所へ向かう彼女を見送ってから上着を羽織って、食堂へ向かった。

「やぁ、おはよう。」

食堂では、オーナーが相変わらず嫌味な笑みを浮かべて待っていた。

「おはよう。朝からお前の顔を見るのは楽しくないものだな。」

「だと思ったからシルフィーを行かせただろ?」

「まったくもって、気の利いた事だったよ。」

食堂のドアが開いて、三人分の朝食をワゴンに載せたシルフィーが入ってきた。

彼女は手早く三人分の食事をサーブすると、向かい合わせに座っているオーナーと俺から二つほど離れたオーナー側の席に座った。

「ありがとう。」

俺は彼女にお礼を言うと、暖かそうな湯気をたてたおじやを食べ始めた。

呑み過ぎた後のご飯はこのくらいがちょうどいい。

流石に気が効いている。

「昨夜は珍しく深酒だったな。何かあったのか?」

「何が?」

嫌な事を聞いてくる。分かっているくせにだ。

「何、友人として心配しているだけさ。」

「そうか。なら、大丈夫だ。いい酒だったから呑み過ぎただけだよ。」

そんな嘘が通じる相手では無いことは重々承知だ。だけれども、本当の事を言ってどうする?目の前に、深酒の理由が居るのに。

「ごちそうさま。」

俺はおじやを食べ終わると、早々に立ち上がった。これ以上彼女を見ているのは辛かった。

朝の彼女は清らかで、とても美しい。美しいから、自分の汚れ具合が嫌になる。

「今日はどうするんだ?」

オーナーの言葉に俺は考えた。

仕事はまだ焦らなくてもいい位のスケジュール。道具はもちろん持ってきている。

「いつものように1週間くらいいるのか?」

「そうだな。」

ここに来る時は長居させて貰っている。たまに違う環境で居るというのは、刺激になっていい。

それに、彼女がいるから。

「せっかくだから、シルフィーにモデルをまた頼もうかな。評判がいいから。」

その言葉に彼女はオーナーを見た。彼は頷く。彼女は安心した顔を浮かべる。

その1連の流れがあまりに美しすぎて、俺は思った。

古い映画の中に迷い込んだようだな、と。


「本当にあなたは変わり者ですわね。」

ソファに寝転んだまま、こちらを見つめてくる彼女は、相変わらず美しい。

「そうかな。」

「ええ、だってこんな私を絵にしようだなんて、可笑しいですわ。」

「なんでだい?君はとても美しいし、君がモデルになった絵はとても評判がいいんだよ。」

「美しい、ですか?」

困惑した顔で彼女はこちらを見つめてくる。銀鼠色の瞳が信じられない、と言ってくる。

「君を見て、美しくない、という奴は目が悪いかセンスの欠けらも無いか妬んでいるかのどれかだろうね。好みとか関係なく、造形が美しいのは間違いないね。」

「私はそうは思いませんことよ。」

はっきりと言い切った彼女は微笑んだ。

悲しげな泣きそうな微笑みだった。

俺はその言葉に妙な胸騒ぎを覚えた。どんなモデルでもそれなりに自惚れがあるものだ。なのに、彼女ときたら本当に全くそう思っているのだろう、としか思えない顔をする。

沈黙が続いた。

俺は何と言ったら分からずにただスケッチを進めた。

彼女は、ポーズを取ったまま、何を考えているのだろうか。

鉛筆を走らせる音が部屋に響く。

何故だろうか。この部屋だけ時がこのまま止まってしまえばきっと何もかも平和に終われるのに、と考えてしまったのは。

ソレハマルデアラシノマエノ


彼女から突然の電話をもらったのは、俺があの屋敷から自宅へ戻ってちょうど1週間後の事だった。

淡々とどうしても会って話したい事がある、と伝えられて、正直嬉しかった。頼られている、という優越感もあった。

仕事も終わったばかりだったから、すぐに行く、と彼女に伝えてから文字通り飛ぶように車を走らせた。

待ち合わせは、屋敷。

俺は高鳴る胸を抑えながら屋敷の扉を開いた。

いつもは騒がしい玄関ホールには、誰もいない。

「シルフィー?」

俺の声がホールに響き渡る。なんだか気持ち悪かった。

「…本当に来ましたの」

ぼんやりとした彼女の声が聞こえて、奥から彼女が現れた。

色白の肌が青ざめていた。

引きずる程長い、純白のレースのドレスのデザインは、古めかしかった。

「呼ばれたから来たんだよ。それにしても、その格好は?」

「私、結婚するみたいですの。」

「結婚?誰と?」

「想像通りですわ。」

「…あいつか?」

「ええ、彼、ですわ。」

「なんで…そんな」

「私は、母の代わりですの。」

「代わり?」

「ええ。彼は母に執着していまして、出会った頃は既に結婚が決まっていましたけれど。

確か、母が23歳の頃でしょうか。一目惚れ、らしいですわ。まぁ、もちろん叶わぬ夢でしたが。

それでも諦めきれなかった彼は、母が駄目なら娘を、と思ったみたいで。

幸か不幸か、私は母と瓜二つみたいでして。

だもので、偶然りょうしを無くした7歳の私を引き取って、23まで育てたのですわ。

本当に母に似ているかなんて賭けですのにね。」

「それが本当なら、随分と馬鹿げた話じゃないのかい?」

「ええ、私もそう思いますわ。でも、このドレス、どうやら母のドレスと同じ物らしくて。

どう思います?」

彼女は、ドレスの裾を持ち上げた。

マーメイドラインを描くそれは、彼女の体の線を強調し過ぎているように見えた。

「あまり、上品には見えないね。想像の余地が無くて、世俗的に見える。」

「そうですわね。私も、いつもと違って戸惑っていますの。…ねぇ、私はもっと怒るべきなのでしょうか」

「君が怒りたいなら。」

「不思議ですわね。私、感情が何も湧いてきませんのよ。嬉しい、悲しい、楽しい、面白い、つまらない…何も無くてよ。」

能面のような無表情で彼女は見つめてくる。その瞳に感情は読み取れなかった。

「私、生きているのでしょうか?23歳の女として、存在しているのでしょうか?なんだか、未だに夢の中のようですの。

なんだか信じられないですわ。私が、彼のワインに毒を盛って先程飲ましてきただなんて、まるで嘘みたい。」

「え?」

その言葉に俺は固まった。まるで手を洗ってきた、みたいに彼女は言ったのだった。

「私、彼に引き取らてからこの日をずっと待ちわびていましたの。両親を殺した敵、私の幸せを奪った敵。あの男を殺す事をずっと…。なのに、何故でしょう。あまりにも現実感がありませんの。」

淡々と喋る彼女は相変わらず青ざめた顔をしていた。

俺はそんな彼女の姿に息をのんだ。

何故だろう、今までで一番彼女が美しい。

「私は、醜い人間ですのね。罪悪感1つ持たないなんて。こんなのでは、もう美しいなどと言ってもらえない…。

ねぇ、それでもまだ、こんな私を綺麗だと、美しいと言ってくださる?」

そう言って、彼女は泣いた。その相変わらず美しい顔に笑顔を貼り付けたまま、涙を流さずに。

「私、もう死にますわ。毒を飲みましたの。彼のとは違う遅効性。でももうそろそろ効いてきましたわ。ええ、誰にも渡しませんことよ。私は私ですもの。誰の代わりでも無いですわ。私は私はワタクシワタク…」

壊れたラジオのような声が消えたと共に彼女の体は崩れ落ちた。

痙攣が続いて、そして死んだ。

俺はそんな彼女の一連の様子を眺め終えるとそっと彼女の脈を測った。

動いていない。確かに死んだ。

俺は高鳴る鼓動を抑えながら、オーナーの部屋へと向かった。

部屋の中では、彼女に毒を盛られた彼が、喉を掻きむしった姿のまま死んでいた。

「…」

俺は念の為、脈を測った。確かに死んでいた。

「死んだ、か…」

俺はこみ上げてくる笑いを何処か人事のように感じながら、彼女の下へと急いだ。

早く処理をしなければ駄目になってしまう。そんな事は嫌だ。

やっと手にいれた。この世でもっとも愛おしい物。

ああ、これでやっと。


それから何年時は過ぎたのだろう。

気づけば俺は、挿し絵の第1人者として名声を欲しいがままにしていた。

そんな事はどうでも良い。

今でも彼女は美しいまま、側にいて微笑んでくれている。

幸せだと思う。

ああ、でも最近体の調子が良くない。

もうお迎えが近いのだろうか。

まぁ、それも良かろう。もう手に入れたいものは何も無いのだから。

向こうで再会したら彼女は何と言うだろう。

あの美しい微笑みで泣いてくれるだろうか。

ああ、もうそろそろ…。


ある年の冷え込みの激しい冬の日に、1人の画家が心不全で死亡した。

彼が残した日記には、嘘なのか本当なのか分からない物語が残されていたという。

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