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メシマズ異世界の食糧改革  作者: 空亡
第四章 魔王の仲間

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第89話  「二年前」




 ミアキスがルートミリアに辞任を申し出た夜――その翌朝。

 八時という使用人達の活動時だというのに、屋敷の中はそこかしこに重い空気が立ち込め、皆の表情には暗雲にも似た暗い影が宿っている。



「……どうでした?」



 客間で待機していたナナは、部屋に戻ってきた稲豊に声を掛けた。

 彼を一目見れば、首尾が良くない事など容易に想像出来たのだが、それでも少女は聞かずには居られなかったのである。



「扉の前から色々と声を掛けて見たけど、全く反応なし。唯一声が聞けたのは、扉の前を離れた時に聞こえた『すまない』だけ。あのミアキスさんに無視されるのは、心に来るモノがあるな」


「ナナが行った時と同じですね。ミアキス様……まさか騎士を辞めて……。明日には屋敷を出て行っちゃうなんて……」


「かなり急だよな」

 


 稲豊とナナは同時に客間の天井、その上にいるであろうミアキスの部屋の方を見る。そこで今も苦しみつつある人狼の姿を想像し、二人は胸が締め付けられるような想いを感じていた。


 そんな中、再び客間の扉が「ギィ」と音を立てる。

 


「……はぁ」



 扉の奥からため息を吐きながら現れたのは、ルートミリアの様子を窺いに行っていたアドバーン。やはりと言うべきか、その表情はとにかく暗い。



「ルト様も部屋に?」


「ええ。ミアキス殿とは違い、扉の鍵は開いておりますが……。心の扉は依然として閉ざしたままですな。その落ち込み様は、見ている私めも辛くなりましたぞ」



 四年間の苦楽を共にした、信頼を寄せる騎士の辞任。

 たった二ヶ月過ごしただけの稲豊ですら、ミアキスとの別れにはかなりの心痛が伴っているのだ。その何倍もの苦痛を感じている筈のルートミリア。客間の三人は、同時に大きく肩を落とした。



「執事長を除いたら、ミアキス様はご主人様と一番長く関わっていましたから……。ご主人様はお辛いですね」


「そうですな。お嬢様は家族のように想っていたのかも知れませんな」



 ナナとアドバーンの会話を、椅子に腰掛けながらぼんやりと聞いていた稲豊。

 彼の頭にふと、先程の会話のワンフレーズが引っ掛かった。



「ちょっと待った。ナナは生まれてからちょっとしてこの屋敷に来たんだよな? だったら、アドバーンさんを除いたらお前が一番ルト様と付き合ってるんじゃないのか?」



 過ごした時間と絆の深さは比例しない。

 しかし、ナナはミアキスの四倍もの期間をルトと過ごしているのだ。

 にも関わらず、少女が自分を省いた意味が、稲豊には理解出来ずにいた



「……んっと」



 ナナは一度、困った様子でアドバーンと視線を交わす。

 そして老執事が頷くのを見届けた後で、少女メイドはおずおずと口を開いた。



「実はナナ。ご主人様とお話ししたの、二年前が初めてなんです」


「はぁ!? あっ、でも。そういう事もある……のか?」



 思わず驚きの声を上げた稲豊だったが、直ぐに考えを改めた。

 ルートミリアは次代の魔王を担う可能性のある王女であり、ナナはその一従者に過ぎない。身分の違いは、彼が元いた世界でもかなりの重要性を持っている。主従が何年もの間に会話をしていないことも、一概には否定出来ないのである。



「ナナを育ててくれた奥様が『娘には近付いたらダメ』と。ナナとしては残念でしたけど……。言い付けでしたので。遠くから眺めるだけに留めました」


「同じ屋敷で、人数だってそんなに多くないのに? なんか寂しいなぁソレ」



 十年もの間、ルトに近付けなかったナナ。

 彼女の境遇を考えると、稲豊の胸の奥には悲哀の感情が込み上げて来る。



「い、イヤイヤ! それには海よりも深い深ぁ~い事情があるので御座います!」


「事情って何ですか?」


「うっ!? そ、それは…………」



 魔王やその妻の名誉のために弁護したアドバーンだが、遠慮なく飛び込んで来た稲豊の質問に言葉が詰まってしまう。そんな老人が次に取った行動はやはり――――



「むっ! 持病の痛風が!! アイタタタタ!!」


「貴方の持病は一体幾つあるんですか? まぁ、言い難い事なら無理には聞きませんけどね」



 逸らかす老執事を軽くあしらった稲豊は、少女メイドが何処か穏やかな表情をしていることに気が付く。「ナナの心境の変化は?」彼がそんな思考で次の言葉を言いあぐねていると、ナナはそんな少年に助け舟を出すかのように、表情の変化の理由を語った。



「すみません。二年前の事を思い出していたんです。ナナとご主人様が初めて会話をした……あの日のこと」



 俯きながらも幸せそうな顔を浮かべている少女。

 稲豊は自分の心が暖かくなるのを感じながらも、更なる温もりを貪欲に欲した。そんな想いが、少年の口から「聞いても良いか?」という言葉を引っ張り出す。ナナは恥ずかしそうに両の指を絡めた後で、小さくコクと頷いた。



「良い事と悪い事が一緒に起きた二年前のあの日。ナナは自分の部屋で……独りで泣いていました」


「泣いてた?」



 事情を知らない稲豊がナナにそう問い掛けると、少女の顔は酷く辛そうなものに変わる。そんな彼女の様子を見兼ねたのは、よわいを重ねたアドバーン。老執事は少女に代わり、簡潔に告げた。



「奥様がお亡くなりになられた日で御座います」



 稲豊はここで初めて、ルトの母親がこの世にいない事実を知る。

 誰も語りたがりはしなかったし、彼も敢えて触れなかったその存在。だが、二年前まで確かに生きていた人物は、その証明を幾つか屋敷に残していた。


 一階奥にある、鍵の掛かった開かずの部屋。

 そこが誰の部屋であるのか? 稲豊は当然理解している。そして厨房にある、明らかに造り込みの違う三セットの食器達。仲良く寄り添うカップからは、絆のようなモノを漂わせていた。



「やっぱり……亡くなられてたんですね。しかも、結構最近」


「……はい。とても可愛がって頂きました。本当のお母さんよりも大好きな、ナナの恩人です。でもただの使用人が、奥様の亡骸の傍にいる事は出来ません。最期の姿を見ることも叶わないのが辛くて、ナナは部屋でずっとずっと泣いていたんです」

 


 過去を語る少女の顔は、憂いを通り越して悲痛ですらある。

 居た堪れない気持ちになった稲豊が「無理に語らなくても」と、言葉を掛けようと思い始めた頃。ナナは唐突に面を上げる。その瞳には数秒前とは違い、確かな光が息づいていた。



「でもそんな時! ミアキス様がナナに声を掛けてくれたんです!」


「――――ああ。なるほど」



 稲豊は納得と安堵の息を吐いた。

 確かに彼女ミアキスならば、泣いている少女を放っておくなんて事は絶対に出来ないだろう。そう考えたと同時に、少年は人狼の存在の大きさを再度認識した。



「ミアキス様は魔王様とアドバーン様の許可を取り、ナナを奥様と会わせてくれたんです。部屋の中にはベッドに横たわる奥様と、部屋の隅で小さくなったご主人様が居ました。ナナは初めてご主人様に近付いたっていうのに、あまりの悲しさから失礼な行動を取ってしまったんです」



 小さく笑い恥ずかしがる少女だが、稲豊はそれを笑ったりはしなかった。



「ご主人様を無視しただけじゃなく、奥様の亡骸に泣きついてしまいまして。あの時は膝を抱えていたご主人様も顔を上げて、目を丸くしていました」



 当時十歳になる少女が、育ての親とはいえ死別を体験したのだ。

 “似たような”経験をした事のある稲豊は、彼女の気持ちを痛いほどに理解出来た。

 


「そんな事があった数日後でした、ご主人様の方からお声がかかったのは。『裁縫が得意と聞いた。ぬいぐるみは作れるか?』って」


「お嬢様はその時のぬいぐるみを偶に持ち歩いておりますな。余程大切に思っているのでしょう」


「ああ、見たことあります」



 稲豊は、以前ルトが右手に抱えていた、豹に似たぬいぐるみの事を思い出していた。それがナナの作った物であることは理解していた少年だが、綿の他に大切な想い出まで詰められている事は初耳である。



「あの時にミアキス様がいなかったら、今のナナもいないんです……それなのに……」



 少女の瞳には、再び大粒の涙が浮かぶ。

 それを見たアドバーンは表情を曇らせたが、稲豊は違った。

 首を斜め上に向け、とても難しい顔を浮かべている。そんな彼の様子が気になった老執事は声を掛けた。



「如何致しましたかな?」


「いやぁ。やっぱり今回の事はらしくないなぁ……って考えてたんです。人助けを趣味とするミアキスさんが、誰かを泣かせたり困らせたり……」


「それは私めも引っ掛かっておりました。ミアキス殿にしては、あまりにも唐突で不誠実。どうも違和感を覚えます」



 しかし、ここで首を捻ったところで、問題の解決が訪れる日は永遠に来ない。

 稲豊は意を決したように正面を見据え、そして言った。



「護衛無しで行動するのはルト様に怒られるかも知れません。でも俺は……ちょっとモンペルガまで行って来ます」


「えっ?」



 この稲豊の言葉には、赤くなった目を擦っていたナナもその仕草を止めた。

 そしてキョトンとした顔で、少年の瞳を真っ直ぐに見つめる。彼女の充血した瞳からは、微かにだが“期待”の二文字が浮かびつつあった。



「イナホ殿。訳を伺っても?」



 当然。その理由を尋ねるアドバーン。

 すると少年は眉を顰めた後に腕を組み、不機嫌そうに口を開いた。



「実は昨日。非人街である男にあったんですけど……。ソイツに会ってから、ミアキスさんの様子がおかしくなったように思うんです。極めつけは、その男が去り際にミアキスさんに放った言葉『用件は以上だ。明後日の昼までに済ませておけ』。それがどうも、今回の件に関わってる気がしてならないんスよ」


「男の言った『明後日』。ミアキス殿が屋敷を去る日ですな。確かに偶然にしては出来過ぎている気がしますなぁ。ふむ」


「もしソイツが、“屋敷を出る準備”を『済ませておけ』と言っていたのだとしたら……」


「しかし、それだけでは……やはりその男に確認を取らぬ事にはハッキリしませんな」


「ええ。だからモンペルガに行くんです。ソイツを見つけて、問い質す為に!」



 力強くそう放った稲豊の言葉には、有無を言わさぬ決意が込められていた。

 護衛も無く王都を歩くのには、多少の危険を孕んでいる。だが、今は緊急事態。部屋で憔悴していたルートミリアを知っているアドバーンは、頷く以外の選択肢を見つける事は出来なかった。



「な、ナナも行きます!!」



 稲豊を一人で行かせる訳にはいかないと、少女は護衛に立候補した。

 しかし、握った両拳は震え、その小さな頬は引き攣っている。元料理長の植え付けたトラウマが、未だ健在である証拠であった。



「うん。気持ちは嬉しいけど、今回は俺一人で行くよ。ナナはルト様とミアキスさんを頼む。女の子同士の方が心を開きやすいかも知れないしな。大丈夫だって。もう何度も行った場所だし、今は『異世界の歩き方』も心得てる」


「う、うう……わかりました。でもぜっっったい!! 無事に帰って来てくださいね?」


「約束するよ」



 ナナとの指切りげんまんを済ませた稲豊は、善は急げと準備を済ませる。

 そしてマルーを厩舎から出すと、彼を手早くキャリッジと繋げた。



「じゃあ行って来ます! ルト様の“朝食”までには帰ってくるので!」


「イナホ殿。お気をつけて!」


「約束ですよ!」



 老人と少女に見送られ、稲豊の乗車する猪車は森の屋敷を後にする。

 目指す先はモンペルガ。その一角にある非人街である。




:::::::::::::::::::::::::::




「な~んて大袈裟に出発したのに……。あっさり目的地に着いちゃったよ。まあ、その方が良いんだけどね?」

 


 そんな独り言を零したくなるほど、非人街には何事も無く到着した稲豊。

 今までの壮絶な経験を思い返して拍子抜けした彼だが、寧ろ本番はこれからと気持ちを入れ替える。



「あのいけ好かねぇ奴を捜さなきゃならないとはな。見掛けても声を掛けないっつった次の日なのに、今は猛烈に声を掛けたいぜ。……さて、闇雲に捜して見つかるほど俺の『運』のパラメーターは高くないはず。ここはやっぱり――――」



 そう言って稲豊が向かったのは、街の人間について一番詳しいとある人物。

 非人街を代表する、リーダーの家である。



「おっ? どうした? まあ入れよ」

 


 オサの家の扉をノックすると、顔を出したのは息子のパイロ。

 二日続けての稲豊の訪問を彼は少し不思議がったが、それでも心良く少年を室内へと招き入れる。



「おやイナホ様?」



 稲豊が室内へ入ると、そこにはテーブル前の椅子に腰掛けたオサの姿もあった。

 茶を嗜んでいた彼は、その息子同様に不思議そうな表情を浮かべる。



「いきなり訪ねてスイマセン。でも時間があまり無いんで、早速本題に入らせて貰いますね?」


「は、はあ……?」



 パイロがオサの隣に腰掛け、稲豊は二人の正面に座る。

 そして唐突に切り出した本題宣言に、今度は親子同時に首を傾げた。



「非人街の人間で、『ネロ』って奴を知ってません? 青髪にメガネを掛けた、“いけ好かない”が服を着たような男なんですけど」



 稲豊がそう切り出すと、二人は見て分かるぐらいに目を大きく開く。

 そして数秒の沈黙の後に、パイロが自分の頬を人差し指で掻きながら言った。



「……ああ。“アイツ”ね。モチロン知ってる。インテリ気取ったような男だろ?」


「そうそう!!」


「出来るオーラを出したがってるような男ですね?」


「そうそうソイツです!! 知ってるんスか!?」



 パイロとオサは苦虫でも噛み潰したような顔をしながら、昨日の男の事を口にする。二人が男を知っていたことに歓喜した稲豊は、身を乗り出しつつ親子の顔を交互に見つめて問い掛けた。




 するとオサはバツの悪そうな顔をし――――






「代わりに謝ります。“愚息”が迷惑を掛けたようで……申し訳無い!」




 と、少年に頭を下げた。






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