第83話 「各々の誓い」
マリアンヌとタルタルも交えた朝食を終え、屋敷の中庭へと戻ってきた稲豊。
「燻し始めてから一時間は経ったけど……」
穴の中の枝は殆ど燃え尽き、煙は既に線香ぐらいになっている。
「んっと、コレは出来てるのか?」
赤身の肉には若干の茶色が掛かってはいるが、肉は柔らかく乾燥には程遠い。
稲豊の知る燻製肉とは、色々と相違点が目立っていた。
「ほぅ! コレが“くんせい”ですかな?」
「どんな味がするんかなぁ。ウチ食べてもええ?」
稲豊が持参した皿に燻製した肉を移していると、マリーとアドバーンの二人が顔を出した。好奇心旺盛な二人は体をソワソワと動かし、物欲しそうな瞳を少年へと向ける。
「俺が毒味してからな?」
そう言って豚肉の一片を口に放り込んだ稲豊は、咀嚼しながら複雑な表情を浮かべた。腐ってはいないのに若干の酸味があり、えぐみも強い。肉は必要以上に柔らかく、中心部分は生焼けである。そして何よりも稲豊が気になったのは――――
「…………すごく水っぽい」
以前作った干し肉とは比較にならないほど、水分量が多かったのである。稲豊は『失敗だ』と、首を左右に振った。
「作り直しだなコレは。アドバーンさん。ヒャクの枝は余ってます?」
「え、ええ。後一回分くらいは余っておりますが……」
「失敗なん?」
失敗の判断を下した稲豊の言葉に、アドバーンとマリーの瞳に悲しみの色が宿る。しかし、この完成度では到底ルトに振る舞う事など出来はしない。少年は穴の中から取り出した肉達を更に乾燥させる為、日の当たらない場所へと干した後、もう一つの山へと近付いた。
「見た目は良く分からんな」
初めて作った野菜の燻製を前に、稲豊は一呼吸置いてから「南無三」と芋の一つを口へと運ぶ。
「ど? そっちも失敗?」
一口大の芋を頬張る稲豊を見て、マリアンヌが興味を持って少年へと顔を寄せた。それに対し稲豊は、「んっ」と言葉にならない声を発し、野菜の燻製の入った皿を彼女へと差し出す。
それを許可と受け取ったマリーは、少年がそうしたように、芋の一つを右手の親指と人差し指で摘むと、八重歯を覗かせながら口へと放り込んだ。
「あっ。美味しい。クラっとくる香りはキツイけど、ほんのり感じる甘さはウチ嫌いやないわ」
「私めもこの味は中々だと思います。きっとお嬢様のお口にも合いましょうぞ」
マリーだけでなく、いつの間にか口にしたアドバーンも絶賛した野菜の燻製。「肉の方はダメだったが、野菜の方は何とかなりそうだ」と安堵した稲豊だが、やはり料理にメインディッシュは欠かせない。
稲豊はもう一度、肉の燻製作りに取り掛かる。
そして三時間後。
二度目の燻製肉が出来上がる。
「おお! 今度は良い感じだ!」
白っぽかった肉達には、見るだけで齧り付きたくなる魅力的な焼き色がつき、その香りは稲豊が思ったよりも悪くはなかった。朝食は既に食べているというのに、腹は「早く入れろ」と少年に食事を促す。今度の燻製に手応えを感じた稲豊は、成功を確信してガッツポーズを取った。
「ほほぅ。遂に完成ですかな?」
「さっきよりも美味しそうな色やねぇ」
例の如く集まってくる二人に、稲豊は先程と同様に、一切れの肉を頬張った後で皿を差し出す。そして「待ってました」と言わんばかりに豚肉を口へと放り込んだアドバーンとマリーは、二人揃って感嘆の息を洩らした。
「コレは中々! 何とも言えぬ深い味わい……酒に合いそうですなぁ」
「口に入れた瞬間スゥっと鼻に抜ける香りもええ感じやし、噛みごたえも充分。」
絶賛する二人だったが、作った本人の顔は以前難しい顔のままである。
それを不思議に感じたアドバーンは、もう一片を食べながら少年に声を掛けた。
「二度目でここまで完成度を高め、『流石はイナホ殿!』と、言いたいところでは御座いますが……。如何なされましたかな? どうやら納得のいっていない御様子ですが」
老執事の問い掛けに、稲豊はゆっくりと咀嚼していた豚肉を胃へと送り込み、俯きながら渋い顔で口を開いた。
「残念ですけど今回も失敗です。燻す前に火を通して、風にまで当てたってのに……。まだ水分が多すぎる。これじゃあ、冷蔵庫に入れても十日持つかどうか自信が……。もっと時間があれば長期間のスパンで乾燥させる事も出来たんですけど、今回は時間が足りません」
「なるほどのぅ」
「“塩”があったのなら、味付けと水分抜きも同時に出来るんですけど……」
「ほぅほぅ」
料理屋の息子であるのに、料理の知識はまるで無い。
稲豊は拳を強く握りしめ、己の無知を呪った。
「十日後に味見も出来ない現状じゃ、この料理は失敗と呼ぶしかありません。残念ですけど、次の料理を考えないと……!」
「まだ失敗と決めつけるのは早い。とにかくコレを乾燥させれば良いのじゃな?」
「それはそうですけど、先程も言ったように時間が――――って!? ルト様!?」
驚いた少年が顔を上げると、そこには紛れもないルートミリアの姿。
彼女は稲豊の二の句を待つことなく、細く美しい人差し指を皿へと向ける。そして――――
「乾燥魔法」
と、ルトが詠唱した次の瞬間。
皿の中の肉達は黒く変色し、まるで何日も乾燥させたかのような肉へと変貌する。
「おお! コレならいけますよ! 下手したら十日どころか、もっと長く持つかも知れない!! ルト様、ありがとうございます!!」
出来ればルートミリアの手を煩わしたくなかった稲豊だが、こうなってしまっては仕方が無い。彼女へ膨大な感謝をしつつ、魔法の便利さに舌を巻いた。
「別に構わん。仲間に手を貸すのは当然の事じゃからのぅ」
「ふん。それは建前で、ホンマは“酒のツマミ”が欲しいだけなんとちゃう?」
「何を馬鹿な」
嫉妬するマリアンヌの言葉を鼻で笑ったルートミリアだが、老執事は彼女の眉がピクリと動いたのを見逃さなかった。「やれやれ」と首を振るアドバーン。そんな外野を置き去りにし、ルトは稲豊へと一歩詰め寄る。
「シモン。困ったならもっと頼れ。何せ妾達は“仲間”なのじゃからな?」
「あ、ありがとうございます」
ルトに真っ直ぐ瞳を見つめられると、どうしても照れが隠せない稲豊。
感謝の言葉を述べつつも、少し視線を逸らしてしまう。
「それに妾もお前と同じく、ミアキスの事を憂いておる。何とかしてやりたいのだが、運命は今回シモンを選んだらしい。妾にはこれくらいしか出来ぬが――――」
そこで一拍置いたルトは、稲豊の両の手を握り締め。
「我が友を頼む!!」
そう力強く言を放った。
ルトの想いは言葉以上の重みを持って少年の胸の中へと吸い込まれ、その心の中で熱を放出し続ける。やがて熱は稲豊の全てへと伝播し、湧き上がる闘志と共に、再び言葉となって現れた。
「勿論です! 任せて下さい!」
手を握り合う両者をアドバーンは涙を拭いながら見守り、マリーは頬を膨らませて目を逸らす。そして稲豊とルトは、いつまでも互いを見つめ続けていた。
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遂に訪れた出発の時間。
朝早くに玄関前へと集まった屋敷の者達は、暫しの別れを惜しんでいた。
「食材の場所とメニュー、温め方なんかはこの紙に書いてます。そして申し訳ないッスけど、ネブの事や非人街の人達。後の事をよろしくお願いします」
「承知致しました。この私めとナナ殿が責任を持って務めましょうぞ」
稲豊はナナに貰った黒コートに身を包み、アドバーンに数枚のメモ用紙を手渡す。そのメモ通りに食事を摂れば、十数日は持つ計算である。
「イナホ様とミアキス様。行ってらっしゃいませ! どうか体にはお気を付け下さいね? ナナとの約束ですよ?」
「承知しているさ。少年の身は我が絶対に守る」
「ミアキス様が無事じゃなかったらダメなんです!!」
「あ、ああ……。分かった。約束しよう」
ナナに詰め寄られ、たじろぎながらも誓うミアキス。
彼女は次に、ルトの方へと視線を向ける。
「では姫。暫しの休暇を頂きます」
「うむ、行って来い。強くなったお前を、妾は待っておるぞ?」
燻製肉や干し肉も入った大きな布袋を猪車内に詰め込み、更に別の食材袋を猪車後部に取り付ければ、出立の準備は完了である。道の分かるミアキスが御者台へ上がり、稲豊は料理鞄を手に猪車内へと乗り込む。
「フレーフレー御二方~!!」
「マルーも無事に帰って来ないとダメですよ? ナナとの約束です!」
「疾く行って疾く帰ってこい」
三人の顔に見送られ、感慨を覚える稲豊とミアキス。
「それでは、行って参ります!」
二人が口を揃えて別れの挨拶を告げると、マルーが空気を読んだかのように鼻を「ブルルンッ」と鳴らす。そして走り出す巨大な体躯。見る見る内に屋敷は小さくなって行き、やがてその庭に立つ者の姿も見えなくなった。森を抜け出て、いつもとは違う道へと侵入する二人の乗車する猪車。
窓から前景を見た稲豊はアドバーンの“嫌な予感”に警戒しつつも、胸の中に滾る想いを頭に浮かべた。
『ミアキスは絶対に守ってみせる』




