第81話 「ルト様。アル中になってない?」
「でも俺なんかで守れるんでしょうか? ネブに襲われた時なんか、逆にミアキスさんに命を助けられましたけど?」
抱擁後に老人から離れた稲豊は、尤もな疑問をアドバーンへと投げ掛けた。
ミアキスを襲うモノが“敵”であれ“災害”であれ、生き残る能力は断然、自分よりもミアキスだろう。稲豊がそう考えるのも、至極当然の事だった。
「何と仰るウサギさん! イナホ殿はあの時よりも随分と逞しくなられましたぞ? とっく――――修行は毎日しておられるではないですか」
「修行始めてから一週間ぐらいなんですけど……」
「大丈夫で御座います! 私めは貴方様に『才能』を感じておるのです。イナホ殿ならきっと出来る!」
「才能を!? ど、どんな才能なんですか?」
剣の才能だろうか?
守る才能だろうか?
稲豊は胸を踊らせながら、アドバーンの次の言葉を待った。
「ズバリ『逃げる才能』で御座います! イナホ殿の逃げる時の機転や逃げ足の鋭さ。それに天性のモノを感じるのですよ!」
老執事にビシと指を向けられた稲豊だが、その表情は実に渋い。
見出された才能に対しての不満が、少年の顔面に余すこと無く浮かんでいた。
「納得のいってない御様子ですな……。では、こう考えてみて下さい。敵との戦いを“遊戯”であると!」
「ゲーム?」
「ええ。敵はイナホ殿を捕らえれば勝ち。イナホ殿は敵から逃げれば勝ち。どうですかな? この条件であれば、勝ち目があるとは感じませんか? 何も強者を倒せと言っている訳ではありません。どんな手段を使っても、逃げれば勝ちで御座います」
「なるほど。普段アドバーンさんとやってる修行と同じッスね。確かにそう言われたら、俺でも勝ち目があるような気がします」
まだ一度もアドバーンから逃げ切った事の無い稲豊ではあるが、それは手段が“剣”と“魔法”に限定されているからだ。どんな手段でもという条件が加わったら、少年には逃げ切れる自信が無くもなかった。
「俺、自信が湧いてきました! ミアキスさんと一緒に逃げ切って見せますよ。そして、絶対屋敷に帰って来ます!」
「そう仰って頂けると信じておりましたぞ! イナホ殿!!」
「アドバーンさん!!」
またも二人は熱い抱擁を交わそうと、両手を大仰に広げる。
そして近づく少年と老人だったが、その途中で稲豊が「あっ!」と叫び体を翻した。
「ヌオオ!?」
急に抱き止める相手がいなくなった事により、勢いの余ったアドバーンは野菜の入った籠に頭から突っ込んでしまう。それを見た稲豊は「スミマセン」と謝罪した後、困惑顔で口を開いた。
「今気付きました。俺が同行すると、食事関係でまずい事になります」
「こ、コックがいなくなるという事ですかな? 大丈夫で御座いますよ。十日ほどであれば、タルタル殿にでも用意して頂きますので」
「いえ……そういう意味ではなくてですね……。実はルト様が――――」
山菜の乗った頭に疑問符を浮かべるアドバーンに、稲豊はあのルトの誓いの言葉を口にする。それを聞いた老執事はフラリとよろめき、調理台に体重を預けた。
「“イナホ殿の料理以外は口にしない”――と? ハァ~……まったく。また突拍子も無いことを……」
両手で頭を抱え、お転婆娘への愚痴を零すアドバーン。
その姿を見た稲豊は自分が悪い訳でもないのに、何処か罪悪感を覚えていた。
「なんかその、スミマセン」
「いえいえ。イナホ殿が謝る事ではありません。しかし参りましたな……。料理を作り置くにしても、日数に限界がありますからなぁ」
「冷凍保存出来る料理もあるにはありますけど、それだとかなり品目が偏ります。俺がもっと色々試していたら良かったんですけど……」
「それも仕方ありません。料理というのは出来立てが基本。このような場合は想定して無いのが当たり前で御座いますよ」
稲豊の元いた世界とは違い、長期保存の利かない異世界での食事事情。屋敷には冷凍庫があるので、食材の方はある程度の保存が出来る。だが、それが料理となると話は別だ。フリーズドライ製法など、この世界には存在しない。
「ルト様の魔法で一気に凍らせて……ダメだ。解凍する時に水浸しになる」
色々思考を巡らせる稲豊だが、解決方法は直ぐには浮かんで来そうに無かった。
しかし今回の旅には、ミアキスの命運が掛かっているのだ。「同行しない」という選択肢は、最早稲豊の中からは消えていた。後は、どうやってそれを達成するかである。
「まだ明日が残ってます。出来る限りの事はやってみますよ」
「おお! なんと頼もしいお言葉! 私めもイナホ殿に頼るばかりではイケませんな。なあに、もし何も方法が思い浮かばなくても、このアドバーンが何とかしてみましょう。お嬢様の説得でも料理でも、お任せ下さい!」
「心強いッス。でも皆さんには可能な限り旨い物を食べて欲しいですからね。足掻いてみます」
「承知致しました。ではせめて、私めがイナホ殿同行の許可を貰って来ましょう。今出来ることは、それぐらいしか無さそうなので」
「お願いします」
アドバーンは少年に深々と頭を下げ、厨房を後にした。
彼ならば、きっと主から許可を貰ってくるだろう。稲豊に残った憂いは料理だけだ。
「塩がないから漬物も無理…………」
その日。
深夜遅くまで、厨房の灯りが消えることは無かった。
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翌日の朝。
ミアキスは出発前日だというのに、まるで明日が来るのを拒むかのように日課の鍛錬を続けていた。
「ハア……ハア……」
騎士として強くあろうと鍛錬を続けて来た彼女であるが、その目的はいつからか変わる。
『鍛錬をしている間は、嫌な事を考えなくていい』
『疲労すれば、悪夢を見なくてもすむ』
いつの間にかミアキスは、嫌な現実から逃げるために鍛錬をするようになっていた。それが心の弱さである事を理解しながら、それでも彼女は逃げ続ける。そして遂には逃げる事からさえ逃げたくなり、明日の里帰りを決行したのだ。
「ふっ……やはり我は弱いままだな……。あの時から、全く成長していない……醜いままだ」
里に戻る事を考えただけで、ミアキスの全身は震えを見せた。
これ以上皆に迷惑を掛けたくない心と、押し寄せる憎悪の悪夢が衝突し、彼女の胸に激しい痛みを焼き付ける。
「未熟! 未熟!! 未熟!!!!」
迫りくる過去の魔物を断ち切るように、ミアキスは三度剣を振った。
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浴場にて体の汚れを落としたミアキスは、廊下を歩いている時にピクと耳を動かした。厨房の方から、誰かの困ったような声が聞こえたからである。世話好きとしては見過ごす訳にもいかない、彼女は導かれるように厨房へと足を運んだ。
「ぐおお……失敗だぁ……」
ミアキスが厨房へと足を踏み入れると、その中では一人の少年が調理台の上で頭を抱えていた。彼の隣の器には、何かの料理の無残な姿。それを視界に捉えたミアキスは、頭を抱える不憫な少年に声を掛けた。
「新作料理の開発か? 朝から精が出るな」
「……ミアキスさん。おはようごぜぇます……」
「ああ。おはよう」
目の下にクマを作った稲豊は、幽霊のような存在感の薄さで声を発する。
誰がどう見ても健勝そうには見えない。
「いやぁ~。上手くいかないもんですねぇ。俺の発想が悪いんでしょうが、どうしても成功しなくて……。期限は明日までだってのに……」
覚束ない手つきで散らばった野菜くずを片付けだす少年。
それを見かねたミアキスは、無言で彼の仕事の手伝いを開始する。
「少年。本当に我に同行するつもりなのか?」
「ええ。まだ見ぬ食材があるかも知れませんから」
昨夜ルトからの許可を得たアドバーンが、既にミアキスに話を通している。
それ故に彼女は、少年の真意を推し量る事が出来ないままでいた。
というのも、アドバーンはミアキスに『不吉な予感がするから稲豊を同行させる』などとは伝えていない。それを伝えてしまえば、彼女は少年を連れて行く事に抵抗を感じる上に、そちらの方へ意識が向かってしまうだろう。稲豊とアドバーンで考えだした“配慮”だが、だからこそミアキスを納得させる理由も弱い。
「昨日も言ったように、『人狼の里』はエデンとの国境付近だ。かなりの危険を孕んでいる。悪い事は言わない、止めておいた方が――――」
「行きますよ」
力のないミアキスの忠告は、稲豊のはっきりとした言葉に一蹴される。
先程までの魂の抜けた顔は何処へやら? 少年はその双眸に確固たる決意を宿し、人狼の瞳を真っ直ぐ見据えた。
「誰が何と言おうと付いていきます。例えミアキスさんに嫌われてでも俺は付いていきますんで、よろしくお願いしまッス!」
朗らかに言う稲豊だが、その口調には有無を言わさぬ力が込められていた。
そこまで断言されたのならば、ミアキスとて引かざるを得ない。
「……分かった。少年の身は我が命に代えても守ろう。よろしく頼む」
「ふふん! もしかしたら今回は逆かも知れませんよ?」
稲豊の発した言葉にミアキスが首を傾げた丁度その時。
厨房奥の扉が勢い良く開き、野菜が二十種は入った大籠を抱えたアドバーンが姿を現した。
「イナホ殿~! これだけあれば構いませんかな?」
「ありがとうございますアドバーンさん。籠はその台の上にでも置いといて下さい」
ヒィヒィと息も絶え絶えになりながら大籠を置くアドバーン。
ミアキスは老執事のその姿に、切れ長の目を大きくし口を開いた。
「執事長殿までこのような朝早くから?」
「おお。ミアキス殿! 相変わらずお早い。いやぁ、私めはコレぐらいの手伝いしか出来ませんからな。まったく情けない限り」
髭を弄りながら答えるアドバーンに、ミアキスは再び首を傾げた。
執事長の勤勉な姿など、見るのは随分と久し振りである。
「イナホ殿。上手くいきませんか?」
「はい。やはり解凍が難ですね。スープなんかは大丈夫なんですけど……。やはりステーキや野菜炒めなんかは調理後に冷凍するモンじゃないッスね。パッサパサやべっちゃべちゃですね」
もう今日しかないというのに、稲豊には何のアイデアも降りてはこない。
昨日の夜からしている試行錯誤も、どれも失敗に終わっていた。
「少年。暫し休憩して風呂にでも入って来たらどうだ? そうすれば何か閃くかも知れない」
「そッスね。ヒャク採ってきてからそうします」
「前に採ってきた分は無くなったのですかな? 確か数日前には行っていたような?」
「ルト様の飲む量が増えてまして……」
稲豊がため息を吐くのと同時に、アドバーンもため息を吐く。
日に日に増えるルトの飲酒は、二人の悩みの種でもあった。
「何でも摂取し過ぎると毒だとは伝えているんですけどね……」
「私めが前に注意した時も、『妾にとっては水も同じ。飲まねば干からびるのじゃ』などと意味不明な事を仰っておいででしたなぁ」
「ルト様らしいッスね――――――ん?」
そんな他愛ない会話の一つの“ワード”が、唐突に稲豊に天啓を齎した。
「それだーー!!!!」
「ヒエッ!? い、イナホ殿?」
「ムッ? どうした少年?」
突然な叫び声を上げた稲豊に、アドバーンとミアキスは同時に少年の正気を疑う。しかし彼は何かを思案し、二人の声に反応を示さない。そして何かをブツブツと呟いたかと思えば、次の瞬間。コックコートを脱いだ稲豊は、大きな袋を抱え厨房の扉の前に立った。
「アドバーンさん!! 一緒に来て下さい!!」
「えっと……何処にお供するので?」
「山です!! さあさあ早く早く!!」
「ま、待って下されイナホ殿! もうちょっと休憩してからぁぁぁ――――」
稲豊に手を取られ引っ立てられるアドバーン。
厨房にぽつり残されたミアキスは、苦笑交じりに二人の背中を見送った。




