第79話 「困った時のナナえもん」
大成功に終わったレクリエーションの後。
稲豊達は子供達を連れ、非人街外れにある小川まで足を運んでいた。
場所を変えても、子供達は休むこと無く遊び続けている。
景品のぬいぐるみで人形遊びをする子もいれば、布製ボールでサッカーに興じている子も少なくない。
「誰ですか~! ナナのお尻にさわったのは~!!」
「うわぁ!? 糸ずっこい!?」
女子にちょっかいを出し、返り討ちにあってる男子の姿も何処か懐かしい。
喧騒から離れた稲豊は、皆が見える位置に大きな切り株を見つけると、その上に腰を下ろして暫しの休息を取っていた。そしてそんな少年の隣には、狼のぬいぐるみを抱く人狼。騎士ミアキスの姿もある。
「景品は全員分用意してたのだな」
ミアキスは空になった白い袋を一瞥すると、視線を再び子供達へ戻しつつ稲豊に語りかけた。
「不公平が生まれたら可哀想ッスからね。昨日の夜に人数分作りました。つっても俺が作ったのは数個だけなんで、殆どナナのお手柄ですけど」
「“二人の手柄”さ。どちらが欠けてもこの行事は成立しなかった。全く、君達には敵わないな」
感嘆の息を漏らすミアキス。
そして彼女は正面に顔を向けたままで、あろうことかそのしなやかな左手を少年の右手の上へと重ねる。
「み、ミアキスさん?」
ミアキスの滑らかで美しい手に突然触れられ、稲豊の心臓はドキンと跳ねる。そんな少年の状態を知ってか知らずか? 彼女は重ねた手を握り込み、二人の手はまるで恋人繋ぎのような形になった。
更に高鳴る稲豊の心臓。それとは対照的に緊張し、固まる彼の体。
そんな短くも長い硬直状態が続いた後、ミアキスは唐突に言葉を発した。
「治癒魔法」
彼女がそう言うが同時、淡い光が二人の重なった手を包み込む。
そして稲豊の包帯の下にある針での刺し傷は、瞬く間に消滅した。
「今我に出来るのはコレぐらいだが、何か困った事があったら言ってくれ。少年には感謝している。君が屋敷に来てくれたお陰で、皆が明るくなった。姫も毎日が楽しそうだ」
「は、はは……。いやぁ~、照れますなぁ~」
真っ直ぐな褒められ方をされ、赤面し後頭部を掻く少年。
そんな照れ顔を彼女に見られたく無かった稲豊は、視線を小川の方へと逸らした。そして彼は偶々向けた視線の先に、見過ごせないモノを発見する。それはポツリと佇む、一人の少女であった。
少女は他の子供達と距離を取り、独りで小川の近くに腰掛けている。
「すいません。ちょっと俺行ってきます」
小川の少女の背中に哀愁を感じた稲豊は、二人だけの時間を惜しみながらも腰を上げる。急に立ち上がった少年をミアキスは一瞬不思議に思ったが、彼の視線の先を追えばその理由にも合点がいく。ミアキスは「ふふ」と口元を綻ばせ、立ち上がった稲豊の横顔に声を掛けた。
「少年のそういうところ。我は好きだぞ? 良い父親になれそうだ」
「ちゃ、茶化さないで下さい。そんじゃ失礼します」
照れにより、自然と小走りになる稲豊。
しかし彼の足は、少女の側まで寄ること無く歩みを止めた。
少女に接近した事により、その“異様”に気が付いたからである。
今は被ってないがフード付きの黒ローブで身を隠し、そのローブには小瓶に入った魔石や小指サイズの短刀等、様々なマジックアイテムを装着している。そして凡そ年齢には似つかわしくない、分厚い文字ばかりの本に目を通している姿は、殆どの者が“異様”と断ずるのに迷いを持たないだろう。明らかに非人街の者では無い。
「…………どうすっかなぁ」
非人街に住人以外の者がいるのは予想外。
一旦停止して異様な少女の存在を持て余す稲豊だが、態々ミアキスとの時間まで切り上げて来たのだ。ここで引き下がるのも情けない。何より、迷子である可能性もゼロではないのだ。意を決した稲豊は、少女に声を掛けることにした。
「お嬢さん。こんな所で読書かな? もし道に迷っていたのなら、お兄さんが導いてあげよう。家までの道のりでも、人生という名の道でもね?」
キザ男風に声を掛けた稲豊。
彼は心の中で「俺も異様だわ」とツッコミを入れた。
少女からのツッコミも期待した稲豊だったが、それは彼がいつまで待っても訪れる事はなく。少女は相変わらず本から目を離しはしない。稲豊渾身の声掛けも、冷たい風が反応しただけだった。しかしそれで諦める彼ではない。一度大きく息を吸った稲豊は、畳み掛けるように連続して言葉を放った。
「やあ! 俺は人間のシモン! ポ○モンマスターを目指す旅の途中なんだ! 君はココで何してるんだい?」
無視。
「お嬢さんや、顔に死相が出ておる。悪い事は言わんからワシに話してみなさい……」
無視。
「うう……死ぬ!? このままでは死んでしまう!! そこのお嬢さん助けてください!!」
無視。
どういう風に気を引こうとしても、少女は彼に一見すら寄越さない。
無視される度に心を鉋掛けされる稲豊も、いい加減に辛くなってくる。「誰しも独りになりたい時はあるさ……」彼がそう諦めるのも、仕方がないというものだった。
「もし困ってたら言ってくれな? あの辺にいるからさ?」
会話を断念した稲豊は、少女にそう一声掛けた。
そしてその場を立ち去る為に、振り返ろうと半歩下がる。だが、そんな彼の姿が完全に振り返る事は無かった。稲豊が体を半分ほど反転させた時点で、今まで感じなかった気配が彼を覆ったからである。
その気配の正体を確かめる為。
稲豊は自分の肩越しに気配の方をへと顔を向け、ある事実にギョッとする。
先程まで何も反応を見せなかった少女が、去り際の稲豊の背中をジッと見つめていたのだ。
初めて露わになった少女の顔付。
小さな鼻と小さな口。喜怒哀楽を象る髪飾りで彩られた、長く美しい黒髪。揃った前髪から覗く、猫を連想させる少しつり上がった二重の大きな“緋色”の瞳。
――――そう。
彼が何より驚いたのは、自身を見つめる少女の瞳が“緋色”だったことだ。
もし彼女の瞳が別の色彩を放っていたら、稲豊は少女の美しさに驚いていたことだろう。
「…………魔族」
緋色の瞳は魔族の特徴。
子供でも知っている、この世界の一般常識である。勿論中には例外もいるが、その少女から放たれる覇気は、魔族を良く知る稲豊にとっては間違えようも無いモノであった。
少女が魔族だと分かれば話は別。
もしそれが上級魔族だった場合、非人街の者にとってあまり良い意味を持たない。マリアンヌがそうしたように、“物色”である可能性が生まれるからだ。
稲豊はゴクリと喉を鳴らし、固まったままで魔族の少女と視線を交わす。
暫く見つめ合った二人だが、どんな硬直状態もいつかは終わりを迎える。今回終わりを運んだのは、少女が勢い良く本を閉じた音であった。その音に稲豊の体が一瞬跳ねた後で、少女は初めて口を開く。
「お節介なハゲだな。ロリコンかテメェは?」
「はぅあ!?」
幼女から飛び出したえげつない言葉に、稲豊の体は雷に打たれたかのような衝撃に襲われる。自分の耳がおかしくなったのか? そんな疑いさえ持つ少年に、目を細めた少女は更に容赦ない言葉を浴びせた。
しょうじょの『口撃』!
「本読んでんだから察しろやカス! 空気読めやイアホ!!」
「グハァ!?」イナホに300のダメージ。
イナホはコマンド『耳を塞ぐ』を使用した!
「こうすれば、ダメージは与えられまい!」イナホは不敵な笑みを浮かべた!
しょうじょの攻撃!
しょうじょはイナホに中指を立てた!
「ゲホォ!!??」イナホに9999のダメージ。
イナホは力尽きた。
「くそぅ……くそぅ……えーと、バーカ!」
稲豊はこれ以上少女と関わると精神が持たないと感じ、捨て台詞を吐いてスタコラサッサと逃げ出した。傷心の彼が泣きついたのは、比較的近くにいたナナである。
「ナナえもん!! 知らない子が僕を苛めるぅ! 敵を討ってくれぇ!!」
「ひゃあっ! イナホ様、抱きつかないで下さい~! 皆が見てます!! や、屋敷でなら構いませんから!」
人前で泣きついてきた稲豊に、ナナは赤面しながら抗議するが、その腕はしっかりと彼の頭を抱えて離さない。
「どうしたんですかイナホ様? ナナにも分かるように説明して下さい」
「あいつが~! あのくっそ生意気な子供が俺の好意を無下にしたんだ!」
「あいつって? どの子ですか?」
「だからあいつ………………って、えっ?」
小川の方を指差していた稲豊は、ナナの言葉により面を上げる。
そして振り返り小川を見れば、指差す先に黒ローブの少女の姿は影も形も無かった。重量感が漂う本も、威圧的な覇気も、そこにはもう何も無い。
「……おっかしいなぁ」
狐につままれたような感覚に囚われた稲豊は、眉を顰めながら少女の事を思い返す。緋色の瞳に、艶やかな黒髪。美しい顔に似つかわしくない口の悪さ。
「――――ん?」
ふと。
稲豊の脳内に、少女の発したある暴言が蘇る。
『本読んでんだから察しろやカス! 空気読めや“イアホ”!!』
その言葉は、一つの“真実”を指し示していた。
「……あいつ……俺の事を知ってる……?」




