第77話 「マルー。ボーイズ・トークする?」
「…………どうですか?」
ミアキスの部屋から出て来たルトに、廊下で待っていた稲豊は三人を代表して声を掛けた。
「うむ。今は妾の魔法で眠っておるが、起きたらまた錯乱するじゃろうの。悪いがシモン、妾の朝食はこの部屋まで頼む。ミアキスの分はよい。どちらにせよ食えん」
騒ぎを聞きつけたナナがアドバーンに伝え、アドバーンから屋敷の主人へと伝わる。ルトの魔法により事なきを得たが、あの冷静なミアキスの取り乱し振りは、稲豊の心に小さくない動揺を与えた。
「どういう事なんですか? 一体ミアキスさんに何があったんですか? 本当に大丈夫なんですか?」
「まあ待て。矢継ぎ早に質問されても答えられん。取り敢えずミアキスは無事じゃ。今回が初めてという訳でもないしのぅ」
ルトの話す『無事』という言葉で、漸く稲豊の表情に安堵が灯る。
しかし、状況が喜ばしくないのは誰の目から見ても明らかである。稲豊はやりきれない面持ちで、ミアキスの部屋の扉をずっと眺めていた。
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ミアキスの事をルトに任せた三人は、打ち合わせをした訳でも無いのに客間へと集まっていた。その中でする会話の内容は、勿論彼女の事である。
「なあナナ? お前は“アレ”の正体を知っているのか? ミアキスさんに何が起きたのかをさ?」
「……えっとですね。ナナが前にご主人様から聞いた話では、ミアキス様は数ヶ月に一度“悪夢”を見るそうです」
「悪夢?」
ナナの返答に、稲豊は少しの驚きを覚える。
冷静な彼女を苦しめるのが、たかが夢だったから――――ではない。
ミアキスも自分と同じ、“夢”に苦しめられていた事に彼は驚いたのだ。
内容まで稲豊と同じものだとすると、それは過去に起きた出来事による悪夢となるだろう。少年は彼女に、何処か親近感のようなものを感じていた。
「どんな夢なのか分からないのか?」
「残念ながら。お嬢様にすら、頑なに口を閉ざすようです。まあ。内容を知ったところで、何か出来るとは思えませんが……」
ナナの代わりにアドバーンが答えるが、その口調は重い。
稲豊はミアキスに今まで幾度と無く助けられている。惑乱の森の騒動に至っては、文字通り命を救われた経験もあるのだ。なので彼も、彼女の為には出来る限りの事をしてあげたいと考えていた。
だが、騎士であるミアキスが主君にすら話していない“夢”の内容。
それを自分が問うたところで、きっと彼女は教えてはくれないだろう。稲豊はやるせない気持ちを顔全部で表現し、八つ当たりでもするかのように床を睨んだ。
「イナホ様……」
そんな少年の様子を見た、少女メイドの表情にも曇りが訪れる。
尊敬するミアキスの助けになれないどころか、その彼女を心配する想い人の助けにもなる事が出来ない。自身への不甲斐なさから、ナナの瞳にはうっすらと涙が滲んだ。
しかしその時――
「まあ。内容に想像がつかない事もありませんがね……」
重くなりつつある客間の空気中を、そんなアドバーンの言葉が横切っていった。
稲豊とナナは暗かった面を勢い良く上げ、発言した老執事へと視線を集中させる。
「む、むう」
少年と少女の顔は、明らかに次の自分の言葉を期待している。
アドバーンはあまりの空気の重さに口を滑らした事を後悔したが、一度口に出したからにはもう引くことは出来ない。彼は「あくまで推測です」そう前置きしてから、その先の言葉を続けた。
「二人にお伺いしますが、ミアキス殿以外に“人狼”を見た事は御座いますかな?」
「……そう言えば」
「……ありません……ね?」
老執事からの問いに、稲豊とナナは同時に顔を見合わせた。
確かに王都へと何度も赴いた事がある二人だが、ミアキス以外の人狼を一度だって見かけた事はない。
「あっ! もしかして狼と同じように、群れで暮らしてるんじゃないですか!」
ピンと指を立てたナナがそう発言すると、アドバーンは「正解!」とポーズを決めて彼女を指差した。そして髭を弄りながら、老執事は解説を始める。
「人狼は元々、集団で生活をする魔物で御座います。それは勿論、狩りでも同様。彼等の息の合った狩猟は、芸術的であるとさえ言われておりました。それほどまでに、人狼族の絆は深いのです!」
「なるほど。ミアキスさんを見てると、分かる気がします」
仲間を誰よりも大切にし、毎日皆の為に身を粉にするミアキス。
稲豊は、彼女のそんな部分を尊敬さえしていた。
「ん? 待てよ?」
だが稲豊は、そこで“ある矛盾”に気が付く。
人狼族の絆が深いのなら――――
「ミアキスさんは……一人だ」
そう。
同種族の群れで行動するのが当たり前の人狼なのに、ミアキスは他種族の中で生活をしている。そんな稲豊の疑問を肯定するかのように、アドバーンは一度だけ深く頷いた。
「ナナと……同じなんでしょうか?」
自身の境遇と重ね合わせた少女が誰にともなくそう尋ねるが、答えが返って来ることはなかった。この屋敷の中では、ミアキス以外の誰にもそれに答える事は出来ないのである。八方塞がりの状況に、三人は同時にため息を吐いた。
「ミアキス殿に何があったのかも気になりますが、私めは今回の間隔の短さも気になっております。ついこの間、夢を見たばかりだというのに……」
「この間? 最近もあったんですか?」
稲豊の記憶の中にあんなミアキスの姿は無い。
だがその答えは、ナナの口よりあっさりと判明する。
「イナホ様がアリスの谷に向かった日です」
その言葉を聞いた瞬間。
稲豊の頭にあの日の朝がフラッシュバックした。
『ミアキスは諸事情により本日の護衛を務める事が出来なくなった』
あの時のルートミリアの言葉を、稲豊は漸く理解する。
確かに今の状態のミアキスでは、護衛など儘ならないだろう。
「…………そうか」
『もしミアキスがアリスの谷にいてくれたら』
そんな不毛な考えを持ったこともある稲豊だが、今の彼女を見てしまうと、それが如何に残酷な事か理解できる。稲豊は反省すると共に、ミアキスを可哀想に思った。
「唯一の救いは尾を引かぬ事ですな。明日には元のミアキス殿に戻っているハズ。我々も気持ちを切り替え、明日はミアキス殿を笑顔で迎えるべきでしょう!」
アドバーンがそう締め。
三人はその場を離れたが、皆の胸のしこりは支えたままである。その中でも特に稲豊は、彼女に恩を返したいという強い思いを持っていた。
そしてその日の夜。
彼は自室ではなく、ナナの部屋の前を訪れていた。
「ナナぁ!! 部屋に入っても良いか!!」
「ヒャアッ!! い、イナホ様!? 入ってから確認を取らないで下さい!!」
稲豊が少女の部屋の扉を全力で開くと、ナナはあまりの驚きから天井にまで飛び上がる。そして、逆さ吊りの状態で胸を押さえながら、涙目で稲豊に抗議した。
「悪いな。反省してないからまたやると思うけど」
「それ本当に“悪い”って思ってます?」
床に下りてきたナナはジト目で不満を零したが、部屋に来てくれた事は素直に嬉しい。直ぐに表情を綻ばせ「どうしたんですか?」と、稲豊に訪問の理由を問い掛けた。
すると彼は、少女にある願いを申し出る。
「頼みがあるんだけどさ。裁縫教えてくれないか?」
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次の日の昼。
一つの猪車が王都へ向けて、荒れた街道をひた走っていた。
その内部にはミアキスとナナ。そして珍しい事に、御者台には稲豊の姿があった。
そう、今日は王都への買い出しの日である。
「昨日はその……皆に迷惑を掛けた。騎士として恥ずべき行為だと反省を――――」
「本日何度目ですかミアキス様! ナナ達は誰も迷惑だなんて感じてません!!」
「そ、そうだろうか……?」
夢を見るスパンが縮まった事により、ミアキスは普段見せないような弱い姿を見せていた。空へ向け聳え立っていた犬耳も、今では力無く項垂れてしまっている。
「ずっと気になってたんだが。その袋は一体何なんだ? 匂いから察するに、翼竜に渡す食糧ではなさそうだが?」
そんなミアキスが気になったのは、少女の隣に控える白い布の袋だ。
稲豊とナナが大切そうに猪車内に運び込んだそれは、ヒト一人は優に入れる大きさを持っている。
「これは道具です。今日イナホ様が街で、れりく……れくりれーしょん? とかいう行事に使うみたいです」
「そうか。少年の発案か。彼にも迷惑を掛けるな……」
物憂げに窓の外を眺めるミアキス。
そんな彼女の寂しそうな姿を見たナナは、行事が成功することを切に願った。




