第三章 【裏話】
アリスの谷。東側入口。
そこでは作戦を成功させた三つの部隊が合流し、後は撤収するのみとなっていた――――のだが。
「……兄ちゃん来ねぇなぁ」
「……来ませんわね」
桃色髪の少女は地面に胡座をかき、細目の少女は愛馬の手入れをしながらため息を吐く。二人の部隊長が待っているのは助け出した人間の少年と、待てども待てどもその少年の姿が見えず、遂には痺れを切らして迎えに行った忍装束の少女である。
「ティオがいきなり斬り掛かったりするから……」
「それは悪かったって謝ったじゃん! 兄ちゃんも許してくれたし!」
「今回は良い人だから良かったですけど、もし相手が“第四天”みたいな人だったら……想像するだけで恐ろしいですわ」
「うっ……! わ、わかった。次からは控える」
自身の両腕を抱いて怯えるエルに釘を刺されたティオは、嫌な想像に悩まされながら今回の軽率な行動を反省する。
「隊長ぉ~。もう帰りましょうよ。一人の民間人の為にこれ以上は待てませんよ!」
「ホント根性ねぇな~お前ら」
隊員代表としてティオに進言してきたのは、蛇腹衆の副隊長である。
情熱的な赤い軽鎧を着ているにも関わらず、彼の口から出るのは大体が弱音か愚痴。隊長のティオが怪訝な顔でそう言い返すのも理解出来るというものだ。
「でも隊長。マジでこれ以上は――」
彼がそう言って視線を走らせたのは遥か上空。
辺り一面を覆う、黒と灰の入り混じった曇天である。雨が近い事は誰の目から見ても明らかだ。
「ううん………………んっ?」
難しい顔をするティオの前に、タイミングを図ったみたいに黒い影が降って来る。顔に一切の表情を映さないその少女は、忍び装束を小さな手で叩きながら報告を始めた。
「ダメでござるな。谷の何処にもおらんでござるよ」
「ええっ!? 兄ちゃん消えたってのか!?」
「魔物に拐われたのか、或いは自主的に谷を離れたのか。そのどちらかですわね」
「どちらにせよ。もう捜索する時間は無いでござる」
やきもきするティオとエルであったが、部隊長という立場上、これ以上隊員達を無下にも扱えない。仕方なく稲豊を諦め、撤収の司令を出す三叉の矛。
隊員達が帰り支度を始める中で、ティオは自身の乗ってきた馬車の荷台を眺め、ポツリと一言。
「まぁ。手柄は一つあれば良いか」
そう呟いた。
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「君は相手を見たのか?」
「俺様が見たのはトライデントを名乗る三人娘だ。見た目はガキだったが、纏う魔素は只事じゃねぇ。あいつらと闘り合うのは俺様には荷が重すぎる。死んで当然、勝って偶然って感じだな」
「勇敢な戦士にしてはエラく弱い言葉じゃないか。刺し違える気は起きなかったのか?」
「勇敢と無謀は違う。舐めてかかって痛い目を見たこともあるんでな。魔族級の連中には手を出さないことに決めてんだ俺様」
魔王城一階。
その最奥にある何処か陰鬱な雰囲気が漂う個室。
机が一つと椅子が二つだけの狭い室内で、とある一人のオークが質問攻めにあっていた。
アリスの谷から帰還したその足で王城へと報告に参上したターブだが、高圧的な尋問官の態度に既に辟易としている。質問を次から次へと彼に浴びせるのは、眼鏡を掛けた褐色のエルフだ。
「生還したのは本当に三人だけか? 本当に他の生存者はいないのか?」
「全員の死体を確認した訳じゃねぇからな。だがモンペルガに帰ってねぇって事は、そういう事なんだろ。そんなに俺様が信じられねぇってんなら、明日にでも谷を調査するんだな」
「勿論そのつもりだ。しかし、私が疑っているのは貴様の言葉ではない」
「あん?」
含みのある言葉に、ターブは首を傾げる。
そんなオークを値踏みするかのように眼鏡の位置を正した尋問官は、彼を睨みつけながら小馬鹿にしたような質問を投げ掛けた。
「“偶々”噂を聞いた調査員が“偶々”決めた調査の日に、“偶々”エデンの部隊と遭遇する。貴様はそんな偶然を信じているのか?」
その言葉を聞いたターブの頬に一滴の汗が流れる。
沈黙し思考する彼だったが、尋問官は彼の結論を待つこと無く畳み掛けた。
「三つという相手の部隊数。噂の出処が不透明にも関わらず、行動を起こしたレフト。これ等が意味する事は一つしか無い」
そこまで言われたら彼にだって理解が出来る。
椅子に深く腰掛けたまま、太い腕を組んで眉を顰めるターブは、嘆息と共にその恐ろしい想像を言葉に変えた。
「補佐官に嘘の情報提供した……エデン側の内通者がいるって事か?」
そう考えれば全てにおいて合点がいく。
尋問官も無言で首を縦に振り、ターブの仮定を肯定する。
「昨今のエデン側の動きがやたら活発なのも、恐らくはソイツの仕業だろう。……実に忌々しい」
「一応聞いておくが、心当たりはねぇのか?」
「あったら貴様ではなくソイツに尋問をしている。体に聞く方の尋問をな」
憎々しげに語る尋問官。
ターブは裏切り者について記憶を辿るが、あまりに容疑者が多すぎる。
彼は再度ため息を吐いた。
「もう一度確認するが、生還したのは貴様とタルタルを名乗る爬虫類人間。そしてクロウリー家のコックである……人間。この三人だけなのだな?」
「あんまり覚えてねぇが、補佐官殿と行動していた隊長の死体はその場に無かった気がするな。まあ、どの道生きちゃいねぇだろうけど」
「リード・ルードか……奴が密偵の可能性も……」
ぶつぶつと呟きながら自分の世界に入り込む尋問官。
彼はターブを待たせるだけ待たせた後で気付いたように面を上げ、そっけない一言を放った。
「ん? いつまでいるつもりだ? もう帰っていいぞ」
『裏切り者について何か分かったら情報提供しろ。勿論謝礼は支払う』
そんな言葉と共に王城から半ば強引に放り出されたターブは、モヤモヤした気持ちの中で酒場へと足を運ぶ。
「……不味いな。親父、ヒャクはねぇのかよ?」
「そんな競争率が高えモンがそうホイホイ置いてあるわけねぇべよ」
「シケた店だな」
「ほっとけや」
嫌な気分を払拭させる為にと呑んだ酒であったが、心の靄が晴れる気配は一向に訪れない。「量が足りないんだ」と浴びるように酒を呑んだターブは、いつしか意識も曖昧となり、気が付いた時には路地裏で横になっているという始末。寝てる場所に屋根があった事が唯一の救いかも知れない。
「……頭イテェ」
右手で額を押さえながら路地裏を出たターブが見たのは、雨上がりの空に燦然と輝く太陽。
燦々と降り注ぐ太陽光が、酷く彼の目を刺激した。
「取り敢えず一旦家に帰って、その後でパイロの所に行きゃ良いだろ。調査隊の仕事は無くなったが、護衛の報酬だけでも食うには困らねぇしな」
いくら考えても分からない物は分からない。
ターブは内通者の事を一旦意識の外へと追いやると、前向きに自宅へと歩き出す。
その途中の広場でルートミリアに脅される事になるとは、この時の彼は全く知る由もなかった。




