第62話 「大団円・・・・・・じゃないの?」
稲豊の口から飛び出た予想外の言葉に、ルトですら滅多に見せない驚き顔を露わにした。
そしてしばらくの沈黙の後、皆は「まさか」と言った表情で苦笑する。
『あれだけルートミリアを嫌っていたマリアンヌが、彼女を好きだなんてありえない』
彼女の使用人達ですら無言で首を振り否定した。
そしてその流れで何とは無しに自らの主の姿を見て、彼等は目を大きく開く事となる。
マリーは肩をわなわなと震わせ、その顔は火の魔石と比べたくなるほど真っ赤っ赤。
稲豊の発した言葉が妄言であるならば、そのような反応を彼女が見せる訳がない。使用人達の間を走る動揺は、ルト陣営にまで波及した。
「そ、そんな訳ないやろ!! シモン君何いってんねん!?」
あまりの驚愕に反応が出来なくなっていたマリーは、皆のざわめきで現実へと帰還し、随分と遅れて否定の言葉を繰り出した。
「悪い。言葉を間違えた」
「ほら見てみい! 皆! さっきのはシモン君の言葉の綾やで!」
「姉妹全員が大好きなんだよな?」
「ふわぁ!?」
主導権を稲豊に握られ、完全におもちゃにされるマリアンヌ。
明らかにおかしい彼女の様子に、ルトは半信半疑で稲豊に尋ねた。
「シモンよ。何故そう思った? 根拠はあるのかの?」
「そやそや!! 言い掛かりは例えシモン君でも許さへんよ!!」
「根拠もあります」
「ふわぁ!!!???」
自信満々の稲豊の態度に、マリーの顔色は赤から青へと変わる。
その様子が楽しい稲豊は悪意ある笑みを浮かべながら、思慮を重ねた推測を語った。
「彼女が人を食べ始めた時期。それを考えれば、なんとなく答えは見えて来ます」
「最初に人を? それは確か…………ひっ!?」
三つ目のメイドの記憶巡りは、主より放たれた殺気によって中断される。
心の中でガッツポーズをするマリーだが、一人の空気を読まない使用人により、彼女の拙い努力は脆くも崩れ去る。
「おれが働き出してすぐだからー。三ヶ月ぐらい前だね―」
「何で言うん!?」
「やっぱな」
タルタルの言葉で、稲豊は自身の考えが正しかった事を確信する。
今すぐにでもこの場を逃げ出したいマリーであったが、それはルトが許さないだろう。恐る恐る姉の顔を離れた位置から窺う妹。思案に耽るその表情は、何を考えているのか一目瞭然である。
「ルト様。三ヶ月前にありましたよね? 姉妹に関わる大きな何かが」
「そうじゃの。三ヶ月前で思い当たるのは……、父上に呼び出され“ある頼み事”をされた事じゃな」
魔王の失踪は禁秘なので、ルトは適当に言葉を濁す。
皆が静かに二人のやり取りを見守る中で、マリーだけはこの世の終わりといった表情を浮かべている。それはそのやり取りが、核心に近付いている証拠に他ならない。
「ではルト様。その頼み事をされた六人の姉妹はどうなりましたか? それ以前と全く同じでしたか?」
「いや。王都を離れる者もおれば、留まりつつも何かに没頭する者もおる。断言出来るのは、明らかに接触する機会が減ったという事じゃな」
そこまで来ると、察しの良い者なら答えが見えてくる。
稲豊は周囲の者達の顔を見渡しながら、皆に問い掛けた。
「姉妹がそれぞれ動き出したのが三ヶ月ぐらい前。マリアンヌが人を食べようと考えたのも三ヶ月ぐらい前。偶然にしちゃ出来過ぎだと思いませんか?」
「少年。もしそれが偶然ではないとするならば彼女は……」
「あー。つまり、どゆこと?」
「つまり、俺の結論を言うと――――――わっ!」
結論を急いだ稲豊の言葉を遮ったのは、彼の腰に縋付いて来たマリーである。
驚きの表情で見下ろす彼を涙目で見上げた彼女は、白旗を振りながら稲豊に泣きそうな声で懇願する。
「ウチが悪かった……謝るから……そ、その先は堪忍して……一生のお願いやからぁ」
恥も外聞もなく抱き着いてくる彼女に、稲豊は天使のような笑みを向ける。
そんな笑顔に顔をパアと明るくするマリー。
そして――――
「つまり彼女は『究極の寂しがり屋』なんですよ!!」
「グハァ!?」
稲豊のする悪魔の如き暴露に、マリーはガラガラと音を立てて砕け散った。
勿論本当に砕けた訳ではなく地面に倒れ伏しただけなのだが、彼女の精神にそれだけのダメージがいったのは間違いない。
皆がざわめき、思い思いの感情で倒れ伏したマリーを眺める中で、稲豊の言葉は淡々と続く。
「彼女が人を欲したのには三つの“目的”があったんです」
「三つ?」
ルトの疑問に、稲豊は「ええ」と首を縦に振る。
そして右手の指を起こしながら、順序立てて説明を始めた。
「一つ目は単純に美味しい物が食べたかったから。享楽主義の彼女らしい理由ですが、コレはあくまで建前です。二つ目は意志のある生物を魔素として取り込む事により、独りではないという充足感を満たしたかったから。そして三つ目が最も重要な――」
皆が息を呑む中で、ルトは既に答えを察しているよう。
瞳を閉じて、稲豊がマリーを戒めるのを静かに聞き届けている。
この監禁騒動を起こしたマリアンヌ。
その一番大きな理由を、稲豊は静かにだがはっきりと、皆に聞こえるように告げた。
「気付いた姉妹に“叱ってもらう事”それが彼女の最大の目的だったんです」
「はあ? なんだそりゃ?」
訳が分からないと言った声を出すターブに、稲豊はわかりやすく解説を加える。
「幼い子なんかが寂しい時にする行動だよ。わざと悪戯する事により“叱る”という接触を持ってくれる。無視されるよりも、そんな形で接して貰う方が嬉しいんだ」
「…………ちょっとわかるかも」
タルトにさえ同情されるマリー。
そんな彼女を不憫に思いながらも、稲豊の解説はまだ続く。
「バラバラに行動する他の姉妹を見て寂しくなった彼女は、わざと人間に手を出して気を引く方法を思い付きました。いつか、それに気付いた姉妹が叱りに来てくれるのでは? と期待したからです。奇抜な屋敷や変わった口調、俺に目を付けたのにも……、“姉妹の気を引きたい”という願望があったのかも知れません。彼女の誤算は、命を脅かす程に怒られるとは予想していなかった事でしょうね」
「………………なるほどの」
全ての説明が終わった後、ルトは緋色の瞳を少しだけ覗かせ、たっぷりの時間を掛けてそう零した。何処か困ったような顔をした彼女は、片手で頭を押さえて深い深い溜め息を吐く。
その直後。
「薄々勘付いておった」
ぽつりと一言。
「えっ?」
ルトの言葉で顔を上げたのは、倒れていたマリアンヌだ。
意外そうな表情を浮かべる彼女に、ルトは縁側から持って来た西洋人形の一つを差し出す。白髪の人形を持ちながら体を起こしたマリーは、神妙な面持ちでそれを眺めた。
「それは貴様の部屋にあった物じゃが、服に埃の一つも付着しておらん。普段から手入れしておる証拠じゃ。……まったく! ほんに素直でない妹じゃの」
「だ、だって……!」
そこから先は言葉にならない。マリーは俯いて人形を胸に抱くだけ。
その姿に軽い鼻息を吐いたルトは、稲豊の方へと顔を向ける。
「妾の為にとは、そういう事じゃったのじゃな? シモン」
「貴女の気を引きたくて、父のイシまで裏切った妹ですよ? きっと知った時に後悔すると思ったので」
「そうか。そこまで妾の事を考えてくれたのならば、応えぬ訳にもいかぬのぅ」
そう言ってマリーに近付いたルトは、少し身構える彼女の正面に立ち、威厳のある声で言い放つ。
「“マリー”お前を許そう。今回の件、不問に付す」
「“ルト”……! ほ、本当に?」
「うむ。妾にではなく、お前の一番の理解者に感謝するのだぞ?」
「……する……感謝する!!」
表情を綻ばした姉の姿を見て、妹は顔を歪め赤い瞳から宝石の様な涙をぽろぽろと零した。「ごめんね」と何度も何度も謝るマリーに、そんな状況に慣れていないルトは困惑顔で介抱する。
胸を撫で下ろす周囲の者達に見守られながら、遂に二人の姉妹は仲直りを果たしたのである。一番の功労者はそんな二人の様子を微笑ましそうに眺めた後に、深く長い安堵の吐息を洩らした。
「しかし、一つ気になる事がある」
数分後。
泣き止むマリーを見届けた後で、ルトは稲豊の方を振り返り疑問を一つ投げ掛ける。
「シモン。お前の推測は『マリーが孤独を感じている』という前提の上で成り立つ推測じゃ。……何故お前はそう思った? 態度からかの?」
察しの良いルトに際どい点を指摘され、言葉を濁す事も出来た稲豊であったが。
「実は異端だと思われそうで、誰にも言っていない事があるんですけど」
彼が選択したのは、正直に話す事だった。
「俺は生まれつき不思議な才能を持ってます。それは、舌に触れた物の状態を知る事が出来るというものです」
「……ほう?」
稲豊の瞳を真っ直ぐに見つめながら、ルトは真剣な表情で少年の告白に耳を傾ける。
「彼女が『舌さえあれば何も要らない』そう言って俺の舌に触れた時、俺の中に彼女の“精神状態”が流れ込んで来ました」
「ウチの?」
「色々な欲求が混ざってたけど、一番強烈だったのは孤独感だったな。寂しくて悲しいって、舌を通じてダイレクトに伝わって来た」
「な、なんや恥ずかしいなぁ」
今まで稲豊の『神の舌』が、食物以外に力を発揮したことは無かった。
そもそも、物心ついてから誰かを舐める経験など皆無の稲豊なので、いつから食物以外に適応したのかも謎である。それどころか、最初からそうだったのではないか? と、問われればそんな気さえする。
良く分からない神の舌だが、それが今まで彼に利益を齎したことは紛れもない事実。稲豊は深く考えるのを止めた。
「マリー。この先お前が寂しい思いをしたのなら俺に言え!」
「シ、シモン君!?」
マリーの両肩を力強く掴み、稲豊は真剣な眼差しで彼女の双眸を捉える。
「寂しくないように俺が傍に居てやるから! 料理だって、今はこれが俺の限界だけど……、いつか必ず人間よりも美味い物を作ってやる! そんで毎日お前に食わしてやる!! だから人間を食べないでくれ。俺がお前と一緒にいてやるから!!」
駄目押しの説得の口説き文句に、稲豊が想像したのは大団円。
これで全てが上手くいく。
――――――筈だったのだが。
「ん?」
周りの空気がおかしい事に稲豊は気付く。
何処か驚いた表情を浮かべる周囲の者達。メイド二人に至っては口元を手で多い、その目は大きく見開かれている。
仕方なしに稲豊が正面に顔を向けると、そこに立っていたのは今までで一番顔を赤くしたマリアンヌ。目はぐるぐると渦を巻き、口は八重歯を覗かせる半開きとなり、声にならない音を発している。
彼女の様子に当惑し硬直する稲豊。
やがてマリーは喉奥から絞り出すように「はい」と一言告げて、盛大に鼻血を吹き出しながら仰向けに地面に倒れた。
「何なんだ?」
気を失ったマリーに駆け寄り介抱するメイド達を尻目に、稲豊は困惑しながら首を傾ける。
しかしそんな稲豊の悩み顔は、瞬く間に恐怖の表情へとすり替わる事となった。何故なら、恐ろしい冷気を纏った主が、彼の前に怒りの形相で仁王立ちしていたからである。
「ル、ルト様?」
周囲を凍らせる冷気を放つルトの表情は険しい。
眉を小刻みに動かし、その瞳には紛れもない怒気を孕んでいる。状況を飲み込めず狼狽する稲豊に、ルトは頬を引き攣らせながらこう言い放った。
「……シモン。事も有ろうに、妾の目の前で余所の女に『求婚』するなど、どういうつもりだ?」
「…………………………………………プロポーズ?」
この場に居た者達の中で。
志門 稲豊。
彼だけが唯一、自分が何を口走ったのか理解出来ないでいた。




