第55話 「最悪の食糧問題」
「それでは失礼致しますわ。イナホ様」
「…………ども」
三つ目のメイドは、稲豊に治癒魔法を施した後に部屋を去る。
鉄の枷でずっと縛られている為、どうしても擦れ傷が出来てしまうのだ。魔法なんて手間を掛けるより、枷を外し自由にして欲しい稲豊であったが、その願いはきっと死ぬ時まで叶わない。
「シモン君ご機嫌はどぉ?」
「これで機嫌よかったらどMじゃん俺。どちらかと言えばSなんであしからず」
「なんや余裕があるなぁシモン君。そういうところもカッコええけどね」
メイドと入れ替わりに部屋に入って来たマリーは、目をハートにし少年の隣に腰掛ける。
服装はまたも赤を基調としたドレスに、お馴染みの鷹の刺繍だ。
その出現に胸の踊りを自覚し、稲豊は自身を戒める。しかし、彼がそう感じるのも無理はない。昨日の夜の会話は、マリーだけでなく稲豊にとっても楽しいものだったからだ。彼はそれを認めないだろうが、二人の相性は決して悪くない。
「んで。昨日の話の続きがしたいんだけど」
「う、うん! ええよええよ! なんぼでも話そな?」
それを証明するかのように、稲豊は昨日の続きを願う。
話を期待されれば、マリーも悪い気などするはずもない。彼女は更に表情を明るくし、その願いを聞き入れた。
「えっと、何の話やったっけ?」
「俺を今日解放して家に帰すって場面まで」
「あはは! そんな話してへんやん自分!」
ビシっとマリーのツッコミが決まったところで、二人の顔には若干の真面目さが戻る。
本題を期待するマリーの雰囲気を、稲豊が敏感にも感じ取ったのだ。
「本当は魔王が失踪するちょっと前に、娘六人を部屋に集めたって場面まで。なんか頼みごとをしたって昨日は聞いたけど?」
「そうやったね。さすがにシモン君にも予想つかんやろうから、コレはクイズ無しで教えてあげるね? ウチ優しい?」
「優しいし立派だし可愛いよ」
「ほ、ほんま? ふわぁ~! めっちゃ嬉しい……」
稲豊の軽口に、染まった頬に両手をやるマリー。
その瞳は潤みさえ見せる。段々彼女の扱いを心得ていく稲豊。
「えっとな。ウチ達を集めたお父様は、真剣な話だ……って前置きした後にな? こう言ったんよ。『お前達に、この世界の食糧問題を解決して欲しい』って」
「食糧問題の…………解決?」
魔王の意外な頼みごとに、稲豊の目は大きく開く。
おとぎ話の悪の大王の如く、もっと悪どい頼みごとを彼は予想していたのだが、その予想は良い意味で裏切られた。
「シモン君も既に気付いとるやろ? この世界の『最悪の食糧問題』。まっ、お父様がそう呼んでただけで、ウチはあんまり実感ないけどな」
「…………実際に体験した訳だからな。良く分かるよ」
――――そう。
この世界を支配する『最悪の食糧問題』。
それは、“人間がこの世界の、どの食材よりも美味である”という事だ。
「さらに輪をかけて話をややこしくしとるんがエデンの連中や。あいつらが美味い食材を独占しとるせいで、魔王国周辺の食糧はどうやっても味の悪い物に偏ってまう。魔素を満足に満たせん魔物は人間を襲い。人間は食糧を守る為に魔物と戦う。負の連鎖ココに極まれリ! っちゅー感じやな」
これが二つの国間で小競り合いが起きている大きな理由である。
エデン側には海があり、豊富な食糧が取れる。それに対し谷や森しかない魔王国側、これで諍いが起きない方がおかしいというものだ。過去に大きな衝突もあったのだが、双方の痛み分けに終わった。今現在は、どちらの領土も結界により守られている――――はずであったのだが。
「お父様が失踪してから、結界の力が弱まっとるんやて。やからここ最近、王都から離れた場所には奴らが姿を見せるようになったんや。このモンペルガはまだ大丈夫やけど、それもいつまで持つことやら。国を覆う程の結界はお父様にしか張れんからな……。まぁ、調査隊が襲撃されたんは、そういう背景があった訳やね」
「…………そう……か」
魔王さえ失踪しなければ、レフトが死ぬことも無かった。
八つ当たりにも似た感情が稲豊の胸に湧き上がるが、それはただの傲慢である。
理性より来たる深呼吸にて負の感情を沈めた彼は、次にその解決方法をマリーに尋ねる。
「そんなの……解決出来るのか? エデン側が食糧を差し出したとしても、人間の方が美味いんなら…………」
「そうやねぇ。魔物は本能に正直もんが多いから、解決はせえへんやろね。やから“和解”なんちゅうもんは最初から存在せえへん。この問題が解決するんわ、どちらかが滅びるしかないんやない?」
額に汗する稲豊の質問であったが、マリーはまるで他人事のよう……。
その様子に違和感を覚える稲豊だが、彼女は話を先へ続ける。
「お父様が日頃からこの世界の食糧問題を嘆いとったのは皆知っとった……。お父様はウチ達に頼みごとした後で、さらにこう付け足したんよ。『それを解決した者こそが、次の魔王である』って」
「次の魔王…………」
稲豊は魔王の言葉を吟味する。
マリーの話を鵜呑みにするのなら、確かに魔王の行動は自身の失踪を予期していたかのようである。いや、それどころか――――――
思考の迷路に陥りそうになる稲豊だが、マリーの苛立つ声によって現実に戻される。
「それを聞いた皆は目の色変えてどっかおらんなるし、その一ヶ月後にはお父様もおらんなるし。もう訳が分からんわ……」
そう言い放ち、稲豊の隣にさも当然の如く寝転がるマリー。
またも少年の腕を枕にし、体を横向きにする。当たり前のように、二人は数センチの距離で見つめ合う。
「そんな時、偶然足を運んだ市場でな? 君の香りを嗅いだ時……、ウチは心の底から思ったんや『この人と一つになりたい』って。こんな気持ちほんまに初めて。運命ってあるんやねぇ、ウチらは一つになる為に出会ったんよ。きっと」
「運命ってのは打ち破るものなんだよ。今回のもそうだ」
「んもう! イケずやねぇシモン君は! でも、そのセリフは嫌いやないなぁ」
稲豊の胸に顔を埋め、幸せそうにその匂いを嗅ぐマリー。
悪かった機嫌も、それだけで良くなるのだから単純なものである。
「ハァ~…………シモン君の匂い良すぎやわ~。なんなん? 異世界人って、そんなに良質なもんばかり食べてるん? 嫉妬してまうわ~」
「この世界よりは――――って、旨いもん食ってたらそいつも美味しくなんの?」
「ん? シモン君の世界は違うん? 美味しい物を食べれば食べるほど、生み出す魔素が良質になるんよ。そんで生き物自体も美味しくなる……ってのがこの世界の通説なんやけど?」
「へぇ~。それは知らなかった」
その理屈であれば必然、稲豊はかなり良質の魔素を持つ食材ということになる。
マリーに目を付けられた理由が、父が毎日食卓に出す料理とは当の本人も分かるまい。この世界の話を聞いて驚く父の顔を思い浮かべ、稲豊は少し胸が温かくなるものを感じた。
「ほんま、食べるのが勿体無いぐらい素敵」
マリーの言葉に、稲豊は強く気を引き締める。
このまま流されてしまえば、もう父の顔すら拝めない。
「お前は良いのか? こんな場所に引き篭もって人間なんか食べてて? 食糧問題の解決に取り組まなくても良いのか?」
少し危険だが、稲豊は彼女に揺さぶりを仕掛けることする。
それは多少の効果があったようで、マリーのバツの悪そうな表情を覗かせた。
「え、ええんよ別に! 他の姉妹がどうしていようと、ウチは今が楽しければそれで良いんや! そうや!! ウチには“コレ”さえあれば、それで――――――」
「んぐっ!?」
細く長い指がいきなり口内に侵入し、稲豊は目を白黒させる。
そして彼の眼前の女性は、稲豊の舌を人差し指でなぞりながら、感情を殺した声を喉奥より吐き出した。
「私には“舌”だけあればそれで良い。運命の人さえ、貴方さえ居てくれたら…………何も要らない」
緋色の双眸に静かな狂気を宿し語るマリーに、稲豊が感じたのは恐怖――――――ではない。
感じ取ったのは、強がる彼女に対する深い哀れみの念である。
少年の舌から指を離し、その指に自らの舌を這わすマリー。
そんな扇情的な姿の彼女に、稲豊は諭すように穏やかな声を掛けた。
「そっか。でも俺は皆と一緒が良いな。ルト様とミアキスさんとアドバーンさんとナナ。誰か一人だけなんて選べない」
「ウ、ウチは? ウチと一緒になるのは嫌なん?」
不安そうな表情を浮かべるマリーに、稲豊は「そういう訳じゃないけど」と前置きをする。そして、彼女の瞳を正面から捉え、力強い声でその先を話す。
「きっとお前とは一緒にならない」
「そん……え? な、なんで!?」
今度は泣きそうな顔に変わるマリー。
動揺を隠し切れない彼女に、稲豊はその理由も包み隠さずに語った。
「だって俺は助け出されるからな。多分ルト様かミアキスさん辺りにさ?」
その言葉を聞いた途端、マリーの目は驚愕に開かれる。
そして茫然自失となり、儚げな弱々しい声を、喉奥からやっとの思いで絞り出した。
「あ、う…………私より…………ルートミリアが良いって……こと?」
「違うよ。信じてるんだ。あの屋敷の人達をね」
希望を内包する少年の瞳とは対照的に、絶望色に染まる二つの赤い瞳。
先程から百面相をしているマリーだが、最後に変わったのは……、その美しい顔を歪める怒りの形相であった。
「あ、ありえない! あんな薄情な子の何処が良いのよ!! いつも怠惰で我儘で意地悪で、胸だって私よりも小さいじゃない!! 自分の姉妹にすら関心を示さないあの冷血女が……私よりも良いって言うの!?」
マリーは激昂し感情そのままに声を張り上げる。
それでも稲豊はまるで反応を示さない。落ち着き払った表情のままである。その態度が更に彼女の怒気を刺激し、ある早まった行動を起こさせた。
「――――そう。なら信じていれば良いわ。“信じる”なんて言葉がどれだけ儚いものなのか。貴方にも教えてあげる」
そう吐き捨てたマリーは、稲豊の手元にある鈴を乱暴に鳴らす。
するとものの十秒も経たない内に、慌てんぼうのメイドが扉より姿を現した。
「失礼します。如何なさいましたか? お嬢様」
「タルタルに伝えて!」
「はい。何でございましょう?」
恭しく頭を下げるメイドに、怒りを顔全体に表しながら、マリーは強い口調で命を下す。
「今日は昼もがっつり食べる言うたけど、昼食のメニューは『タルトちゃんの右腕のソテー』から『シモン君のハツとタン入りシチュー』に変更! しっかり伝えてや!!」
「畏まりました」
メイドはそれを聞き届けると、厳かにその場を立ち去る。
後に残ったのは、激昂の赤と驚愕の青。
「シモン君のハートはどんな味がするのか? 今から楽しみやわ!!」
残った赤も、ここに居たくないと言わんばかりに部屋を乱暴に出て行く。
一人残された青い顔の少年は、自然に壁へと目を向ける。視線の先には浮遊砂時計。
現在時刻は午前十時。
稲豊に残された時は――――――あと二時間。




