第54話 「特別な存在だからです」
朝、ぼんやりとした意識の中で体を起こそうとした稲豊は、鎖の音により覚醒を迫られた。
「そっか……俺、拘束されてたんだっけ……」
稲豊をベッドに縛り付けた張本人の姿は見えない。
窓のステンドグラスが音を立てていない事から、ベッド上の囚人は雨上がりを把握した。
「今何時だ?」
首を回した稲豊が壁の時計に視線を走らせると、浮遊時計は朝の八時を示していた。
ルトの屋敷では、丁度朝食を振る舞う時間だ。料理長なのに食事を用意出来ない役立たず、自らの浅はかさに稲豊はうんざりする。
悔いる稲豊に関心を持たせたのは、部屋の扉が開いた音だった。
「あー、起きてる? メシ持って来た」
扉から姿を覗かせたのは、エプロン姿のタルタル。
その右手に持っているのは、昨日の残りのスープである。
「ほら。今は解いてやるからー。腕の錠だけ」
スープ入りの皿を机に置いたタルタルは、エプロンのポケットから小さな鍵を取り出し、稲豊の両腕の拘束を解く。
「う~~~~んん!!」
体を起こし、上半身を動かせる喜びを噛みしめる稲豊。
そんな彼にタルタルはスープを差し出すが、稲豊は手を横に振ってそれを拒否した。
「はぁ~。君が食べてくれないとさー。おれがマリお嬢に怒られるんだよねー。やれやれ」
ため息を吐きながらも、タルタルは別に何か行動を起こす訳ではない。
ただベッド近くに椅子を運び、腰掛けて稲豊を見守るのみである。面倒くさがりの彼は、自らの悩みの解決にすら力を割きたがらない。
「あんたはどう思ってるんだ? 人間を食べてる事」
暇そうに天井を眺めるタルタルに、稲豊は気になった質問をぶつける。
「んー? 別になんーも? 美味いし、調理の時は魔法で痛覚も殺してるし。まー、マリお嬢が食うの止めろって言ったら止めるけどねー。おれそこまで食いもんに興味無いし」
「いい加減だなぁ。じゃあ、タルトを解放しろよ。食うのは俺だけで良いじゃないか」
「おれはそれでも良いけどねー。マリお嬢が嫌だっていうでしょ? あー面倒くさい」
心底興味無さげなタルタルの顔を見た稲豊は、彼もマリーと同じなのだと直感した。
享楽主義で、基本的に自分の利になる行動しかしたくない。自分にとって楽しいことにしか興味がなく、その他はどうでも良いのだ。
「何を言われても俺はそれを食わない。あんただって同族は食えないだろ?」
「んー、美味けりゃ食うかなー? まー、無理に食えとは言わないよ」
タルタルはそう言ってスープ皿を掴むと、一息でそれを飲み干した。
それは問答の終了を意味している。
「鈴置いてくからー。呼んで。なんかあったら。まあ来ない時もあるかもだけどねー」
再び稲豊の両腕に手枷が装着され、自由な時間も終わる。
枕元に小さな鈴を置いた後、タルタルは部屋を去ろうと扉へと向かう。その背中に「待て」と稲豊は声を掛ける。緩慢に振り返るタルタルに、稲豊は少女の今後について尋ねた。
「タルトはいつ死…………食べられるんだ? つまり、順番っていうか……」
「あー、まぁ。とりあえず両手両足。その次が顔のパーツ。最後は内蔵だねー。あれぐらい小さいとー、一週間は持たないかなー。んじゃ」
タルタルはそれだけ言うと、稲豊の返事を待たずに今度こそ扉から部屋を出て行く。
静寂に包まれる稲豊一人だけの室内。その胸中を覆うのは、抑えきれない焦燥感である。
「くそっ!! 一週間…………いや! もっと早く何とかしねぇと!!」
悪態をついても、それに反応をする者は誰もいない。
残された時間はあまりに少ない。ガチャガチャと鎖を鳴らした稲豊が考えたのは、今も苦しみの中にいるタルトのこと。
そして――――自身の主と、その仲間達のことだ。
「皆どうしてるんだろ? ルト様…………怒ってるかな…………?」
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稲豊が監禁された翌日の朝。
王都の噴水広場にて往生する、件の者達の姿があった。
「ミアキス。収穫は?」
「ありませんね。匂いにも音にも、何一つ少年を感じられません。雨さえ振らなければ……匂いでの追跡も容易だったのですが……」
「ふん。雨をここまで憎く思ったのは初めてじゃ」
全身に汗をかく金髪の人狼と、普段なら屋敷で寝ているはずの主。
ミアキスとルトの二人である。その様子から、行方不明となった少年の捜査の難航具合が伺える。
「門番の話では、シモンは王都を出ていない。この囲いの何処かに必ずおる筈じゃが……如何せん広すぎるのぅ」
難しい顔で額に手をやるルト。
踵で石畳をノックする仕草からは、相当の苛立ちが伺える。
「……声明はまだありませんが、目的は身代金でしょうか?」
「もしそうなら余程の愚蒙じゃの。妾に弓引くのであれば、この世の地獄を見るというに……。色々可能性があるが、最も高いのは二つ。妾に対する嫌がらせか、食事じゃな」
「食事ですか? 少年に料理でも作らせると?」
ミアキスの質問に、ルトは首を左右に振ってから答える。
「逆よ。シモンが食事になる方の意味じゃ。なにせシモンは“特別”じゃからの。舌が少しでも肥えた者なら――――目を付けられても不思議ではない」
憎々しげに語るルトだが、ミアキスの頭に浮かぶのはクエスチョンマークだ。
それもそのはず、この件に関して彼女に理解しろというのは酷というものである。味音痴の称号は伊達ではない。
「食われたら終わりじゃ。永遠に見つけること叶わん。なんとしてもその前に見つけるぞ」
「御意。しかし、何か一つでも手掛かりが欲しいですね」
眉を顰め頭を悩ますミアキスだが、それとは対照的にルトは子供が玩具でも見つけたような、悪戯な笑みを浮かべる。
「おお! 喜べミアキス。手掛かりが自分の方から来てくれたぞ?」
細めた目から覗く緋色は、遠くを歩く一匹のオークを捉えていた。




