第52話 「恐ろしい能力」
「タルタルはもう行ってええよ。タルトちゃん、頼んだで?」
「へ~い。あー、行くよちびっ子。あれだ…………軟禁するから」
今にも泣き出しそうな少女と、いつも通りの面倒くさそうな表情を浮かべるタルタルは稲豊の前より姿を消した。彼が去り際に残した言葉から、タルトを無事に帰すつもりなど毛頭ない事が窺い知れる。
憤怒、恐怖、殺意の入り混じった感情に飲み込まれる稲豊だが、出来ることは憎悪の視線を投げ掛ける事ぐらいである。無力な者の挑発的な視線などただの滑稽でしかない。屋敷の主も、その傍に控える三つ目の使用人でさえも、稲豊の視線に気付きもしない。
「それではお嬢様、私も失礼させていただきます。明日母親に伝える失踪の理由を考えねばいけませんので」
「おーきにな。いつもほんまに感謝しとるけど、シモン君だけは食べたらあかんで? ウチのモンなんやから」
「あら! 本当にぞっこんなのですね。少し羨ましいですわ」
「そ、そういうのええから! ほらほら! さっさとでたでた!」
稲豊の眼前で勝手な会話を交わした後、メイドはマリーに背中を押され、三つ目の困惑顔を披露しながら部屋を去る。二人の会話の手慣れた雰囲気が、稲豊の恐怖心を更に呷り、迎える絶望的な未来を色濃く想像させる。
「なんなんだよ…………お前等」
喉から血が吹き出しそうな絶叫を上げてから、初めて稲豊が口を開いたのは、その存在に対する問い掛け。混沌とした脳が最初に欲した情報である。
「んもう! シモン君。やっとウチに興味抱いてくれたん? ふふ。嬉しいわぁ」
頬を染め、浮ついた声を上げながら稲豊の隣に腰掛けるマリー。
その様子は無邪気そのもので、とても自身を偽っているようには見えない。つまり彼女は、稲豊に関心を持たれた事実を、心の底から喜んでいるのだ。何故そんな表情が出来るのか? 稲豊には全く理解が出来ない。
「何が聞きたいん? シモン君やったらかなり踏み込んだ事でも教えたげるよ? あっ! 安心してや? 直ぐに食べたりせえへんから。君と一つになるんわ、タルトちゃんの後やからね?」
「ぐっ……!?」
悪びれもせず、最悪な予定を話すマリーの顔に浮かぶのはやはり笑み。
それとは対照的に、苦虫を噛み潰したような形相の稲豊に込み上げるのは、人を食べたことによる嘔吐感と、タルトを泣かせたことへの激怒。しかし、今そのどちらを吐き出したとしても、マリーを刺激することに他ならない。稲豊は自身を押し殺し、激情と吐き気を喉の奥へと追いやった。
「じゃあ遠慮無く。…………もしかして食人鬼だったりする?」
「あはは! ちゃうちゃう!」
人食いの魔物が存在することは、屋敷の書斎にある魔物図鑑で知っている。
ある程度の自信を持った稲豊の質問であったが、それは笑い声と共に一蹴される。「じゃあ」と再度正体についての質問を投げ掛けようとした稲豊。しかし、その唇は最後まで震える事無く、前置き部分でマリーの人差し指に遮られた。
「まあまあ。ウチの正体を教えるのは簡単やけど、ウチとしてはシモン君に気付いて欲しいんよ。他の質問がええなぁ」
「…………分かった」
恋人同士のする当て合いの遊戯を期待しているマリーの姿に、稲豊は嫌悪を感じながらも、理性に従い興じることとする。複雑な感情を巡らす彼が次に選んだ質問は、その目的についてだ。
「なんで人間を食べるんだ? そんなの食べなくても生きていけるんじゃないのか?」
「シモン君…………それ! ナイスな質問や!」
稲豊の核心を突く質問に、マリーは逆に嬉しそうな反応を見せた。
ギシギシとベッドを数度揺らしてから、彼女は夢見る少女の顔で中空を見上げ語る。
「上級魔族が燃費悪いんは常識やけど、もちろんウチは人間を食べんでも生きていくことは可能や。でもそれはな? 我慢をしながら生きるっちゅーことやねん! ウチは享楽主義者やからな。我慢はしたくないし、良い物があるならそちらへ飛び付く。そんなウチが何よりも優先してるのは、食による快楽や。コレばっかりは譲れへん」
マリーは心の底から楽しそうに語る。
いや、“そう”などという抽象的なものでなく、彼女は本当に楽しくて仕方がなかった。
美味い晩餐に有り付けただけでなく、予てより目を付けていた最高の食材。
『シモン・イナホ』を手に入れる事が出来たのだから……。コレをどうして喜ばずにいられようか? マリーは臆面もなく、『喜』を体全てで表現する。
上級魔族の食道楽に巻き込まれた稲豊は、自身の運の無さに辟易した。だが、嘆いたところで事態は好転を許さない。なにか手を打たなければ、タルト共々魔族の排泄物となる運命である。唯一の救いは、時間の猶予が残されていること。稲豊は必死に思考を巡らせ、一つの希望に思いが至る。
「でもよ。いくら上級魔族だからって良いのか? タルトは非人街の人間だぞ?」
「ん~ん? どういうことや?」
事情を知っているにも関わらず恍けるマリーに、稲豊は憤慨しつつも、それをおくびにも出さず会話を続ける。
「非人街を作ったのが誰か――――知らねぇ訳じゃねぇんだろ? 情報通のあんたならさ」
「“あんた”やなんて他人行儀な呼び方は傷付くなぁ…………んっと。もちろん知っとるで」
魔王国の歴史本を読んだ者なら、誰もが知る非人街の創設者。
その名前を、稲豊も勿論知っている。持て余した時間の中で、彼が本より知った“創設者”の名は。
「『魔王サタン』言わずと知れたこの国の王だ。そして魔王は非人街の者に危害を加えることを良しとしていない。非人街の人間への暴行に対する罪は、ちゃんと法典にも記されているんだろ? タルトに次いで俺まで失踪すれば、それが公になるかも知れないぜ? 今なら誰にも言わないでいてやるから、俺達を解放しろ」
「やっぱりウチが見込んだ最高の食材やわぁシモン君は。この世界に召喚されてまだ二ヶ月やのに、良く勉強してるんやねぇ! えらいわぁほんまに」
稲豊会心の脅し文句も、マリーは蕩けた表情で難なく躱す。
驚きの表情を浮かべる少年の頭を、優しく撫でて褒めるその様子は、そんな稲豊の脅しすら予想していたかのようだ。
だが、稲豊が驚いたのは脅しを躱されたことでは断じてない。
屋敷の者以外の誰にも話していない“異世界召喚”をマリーが把握していたことに驚愕したのだ。
「…………どうして?」
驚きから困惑の表情に変化する稲豊。
マリーはその表情の変化を楽しそうに眺めた後で、少年の疑問に饒舌に答える。
「他にも色々知っとるよ~! ヒャク料理の功労者、週に一度の飛竜の餌付け、魔法の訓練、趣味の食べ歩き等々。情報通なめたらあかんよ?」
「あ、ありえねぇだろ…………!?」
目を大きく開き驚嘆の声を上げる稲豊。
ヒャク料理、ネブの食事運び等はまだ調査することが可能だろう。だが、趣味の食べ歩きに関しては知られているはずがない。屋敷の者に伝えるどころか、口に出してすらいないのだから。食べ歩く必要ないこの異世界。食べ歩きなど、料理長就任の翌日にナナと行った時ぐらいである。最早マリーの情報は『通』の域を遥かに超えている。
「――――待てよ」
だが、“ありえない”という事象が、逆に稲豊の思考をクリアーにする。
この異世界にて不思議な力が働く時、関わっているのは大体二つの力に絞られるからだ。
「魔法…………いや、魔能だろ?」
「さっすが!! やっぱりシモン君サイコーやわ! 種明かしすると、ウチの魔能の力でした~!」
稲豊が当たりを付けた質問に、マリーは両手を叩いて歓喜の声を上げる。
なんとなく魔能であると稲豊の直感が告げたのだが、それを敢えて口にはしない。
当てられたことが相当嬉しかったらしく、正直に正解を宣言するマリー。一頻り喜んだ後、マリーは既に用意していた次の問題を稲豊に投げ掛ける。
「ほな次はもっと核心に迫るで! ウチには法が通じひん……と言うより、非人街の人間に手を出しても許される二つの理由があるんやけど……どぉ? 分かる? この問題は大サービス。一つ当てたら、もう一つの理由も教えてあ・げ・る!」
「はぁ?」
そんな馬鹿な、と言った声を洩らす稲豊だが、マリーの様子はやはり嘘をついているようには見えない。稲豊は彼女が嘘をついていない前提で仮定を組み立てる。
絶対に隠し通せる自信がある……却下。許されている訳ではない。
実はマリーが魔王サタン…………却下。あまりに荒唐無稽が過ぎる。
人間達が進んで人を提供…………却下。失踪の言い訳を考える必要がない。
思考を巡らせる稲豊だが、コレ! といった理由が思いつかない。
難題に悩み、真剣な表情を浮かべる稲豊。しかし意外なことに、音を上げたのは何故かマリーの方からであった。
「あ、あかん!? その表情ほんまあかん! は、鼻血出そう!!」
赤い顔でタンスに駆け寄りハンカチを取り出したマリーは、それを自らの小さな鼻に押し当てる。そして空いた方の手で呆ける稲豊へ向けて、ピンと人差し指を立てて口を開いた。
「だ、大ヒント! ウチの魔能にも関わりがあります! ……ちょっと待ってな?」
「う、うん…………」
壁を眺め落ち着きを取り戻したマリーは、意識して不敵な笑みを浮かべながら、自らの魔能の名を口にする。
「『魔神の耳』それがウチの魔能の名前。その能力は【正答】。条件付きやけど、ウチは物事の答えを“知る”ことが出来るんや。例えば……シモン君の昨日食べた物。シモン君の好きな服装。シモン君の…………あ、あれの回数……とか」
「や、やめろぉ!? やめて下さい!! お願いしますぅ!! ってか何で俺のことばっかりぃ! お前絶対魔能の使い方間違ってるぅ!!!!」
絶叫する稲豊は、その能力のあまりの恐ろしさに戦慄を覚えた。
だが落ち着いてくれば、それがヒントの域を超えた……最早問題の答えであることを理解する。“魔神”……そう呼ばれている存在は、この異世界で只一人しかいないのだから。
「魔能は遺伝する。つまりはそういうことか…………だからあの時!」
すっと目を細め、悪戯な笑みを浮かべるマリー。
その双眸から覗く緋色の瞳。
稲豊は彼女の正体にようやく行き当たる。
そして振り返ったのは、つい先程の不可思議な現象についてだ。
二人の顔が近付いた時、稲豊の脳内で響いたルトの声。
あの瞬間の彼は只々困惑するだけであったが、今の稲豊にはその理由がはっきりと理解出来た。
「俺は無意識の内に…………気付いていたんだ」
そう――――あの瞬間。
眼前に迫るマリーの顔が、ルトの顔を思い出させたのである。
似ているとはお世辞にも言えない二人の女性だが、稲豊にはその面影を感じ取ることが出来たのだ。
「――――さぁ。シモン君の出した結論は?」
稲豊が気付いていることにも気付いているマリーは、彼自身の口からその正体を話させるべく、挑戦的な視線を送りながら答えを迫る。
「『マリアンヌ・アレスグア・ルヴィアース』。お前の正体は魔王の……いや」
そんなマリーの誘いに対しての稲豊の答えは、それに乗ること。
稲豊は真っ直ぐマリーの瞳を見据え、最早正解へと昇華した仮定を言い放つ。
「ルト様の姉妹――――――この国の王女だ」
うん。
気付いてた人は…………多分多いと思います。




