第43話 「襲撃と終劇」
「なんだよ…………今の!?」
広場で仰向けに寝そべり待機していた稲豊は、遠方より届いた無数の破裂音に、体を飛び起こしていた。現場にいない稲豊には、数十メートルの岩壁に遮られた迷路の中までは把握出来ない。聞こえた音の正体を、予測する事しか出来ないのである。
「生物の焼ける臭いだ」
いつの間にか稲豊の隣に並んでいたターブが、彼にしか分からない臭いの正体を嗅ぎ分ける。その顔はいつになく真剣で、微かな汗も浮かんで見える。いつもとは違うオークの様子に、不安の色を隠せない稲豊は、拳を握り締め調査隊の無事を強く祈った。
「――――――ん?」
稲豊の鼓膜が、何かの音を微かに捕らえる。
それは彼の良く知る音。頭の先から抜け出た様な、高く通る音声だ。
全神経を耳に集中させていた稲豊は、程なく声の正体に行き当たる。
「…………レフト?」
不思議そうな表情を浮かべるターブの隣で、稲豊は谷の奥を見ながら呟いた。
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時は少し前に遡る。
炎弾の雨が三つの猪車に降り注いだその場所を、高き岸壁の上から見下ろす影達がいた。
「なんも見えねぇ」
一際小さな影がそんな言葉を漏らす。
炎弾の着弾点は大量の黒煙に覆い隠され、何も確認する事が出来ない。凝視する小さな影にため息を吐く周りの影達は、呆れた表情を見せながら、不満の言葉を次々と口にした。
「隊長~! だから最初に言ったじゃないですか……。『シースターズ』みたいに暗殺者風に行きましょうって!」
「スマートな感じ憧れるわ~。なんすか『蛇腹衆』って……。入るならあっちの隊が良かったなぁ」
「隊長も美人さんだしねぇ。――ああ! “エルさん”マジ天使!!」
好き勝手に振る舞う周囲の影達に、ワナワナと体を震わせた小さな影は、目に涙を溜めながら抗議した。
「ウルセェ!! カッコ良いじゃん蛇腹衆!! “シグ”なんて『黒猿軍団』だぞ! ずっとマシじゃん! ってか、お前ら! 隊長のオレに何て口聞いてやがる!!」
顔を真っ赤にして怒り、腕を振り回す隊長を余所に、影の一人が何かに気付く。
その影の視線の先には、裂け目の道を漂う黒煙――――その内側。何かが煙を払ったのを視認した彼は、それまで以上に凝視する。そして、突如黒煙より抜け出た巨体に、影の一人は大声を上げた。
「あっ!? 隊長! 奴ら生きてますよ!! 逃げられます!」
「うぇ!? マジかよ!!」
影達は直ぐに限界まで崖に近寄り、その遥か下を疾走する猪車を視界に捉える。
そしてまた、隊長に対する不満を漏らした。
「だからこの位置から火魔法を当てるのは無茶だって言ったんですよ! 風だってかなり吹いてるのに……」
「作戦成功率、万年最下位。ま~た馬鹿にされますねぇ……」
部下からの薄い信頼に、隊長の堪忍袋の緒は遂に切れた。
「じゃあもうお前らだけでやれよ!! オレは二人と奥に行くからな! もう知らねぇ!!」
「ええ~!? 待って下さいよ! 我々ではあの猪に追いつけませんってば!」
「あ~あ……逃げられちゃうなぁ……コレ」
不貞腐れた隊長は、猪車とは逆の方向に歩き出す。それを見て再度呆れる部下達は、首を左右に振った後、隊長を引き止めるのに力を注ぐ。
数十メートル上の岸壁で、そんなやり取りが繰り広げられている事など露知らず。
赤旗の幌猪車は全速力でその場を離れていた。手綱を握るリードは、横目で崖上の影を確認し、鋭い歯を覗かせて笑う。
「奴等匂いで気付かれぬ様、あんな所に潜んでいたのか……! ハハッ、だがもう追って来る気は無いようだな。補佐官殿」
「そう……みたいですね」
火魔法の直撃を奇跡的に避け、敵の隙をつき脱出に成功した赤旗の猪車。見る見る内に小さくなる敵影を見て、御者台のリードは安堵した表情で語る。だが危機を脱したと言うのに、荷台の青年の顔は何処か優れない。
「――――やはり戻って下さいリードさん! 我々が逃げては、残った隊員達が犠牲になる!」
度しがたい言葉を吐くレフトに、リードは勢い良く首を捻って青年の顔を見る。その表情に嘘が無い事を感じるや否や、青年に怒りを宿した視線を送り、声を張り上げ不満をぶち撒ける。
「ふざけるな! 戻れば今度こそ、後ろを走っていた奴等の如く消し炭になるわ! 我々さえ生きていれば、調査隊など何度でも再生出来る! 悪いが他の隊員達には、我等が逃亡するまでの囮になってもらう。それが部下の務めだ!!」
「トカゲのしっぽ切りですか……。リザードマンらしい魔能ですが、小官には理解出来ませんね。部下の為に、体を張ってこその上官である! と小官は考えます。短い付き合いでしたが、武運は祈っておりますよ。それでは失礼します」
「何を!?」
次の瞬間、リードは自らの目を疑った。
荷台後部に近付いたレフトが、猛スピードで走る猪車内部から姿を消したのだ。勿論、魔法で消えた訳ではない。真実は、猪車の後方を転がる彼の姿を見れば明らかだ。
「ふん! 馬鹿が!!」
特大の息を鼻から漏らし。
最早振り返る事を止めたリードの幌猪車は、未だ転がり続けるレフトを置き去りにし、谷の奥へ奥へと走り去って行く……。
その猪車を無言で見送ったレフトは、俯せの姿勢で自身の体を省みる。
転がる小石や砂利により、自慢である緑のローブは所々が破れ、穴だらけになり。右上腕部分に至っては服だけでなく、その下に覗く皮膚まで破れ、地面を赤く染め上げていった。
「ちょっと…………無茶でした……かね? 少し減速して貰えば……良かったかな」
荷台から飛び出し、地面に衝突する直前。
風魔法によりその衝撃を和らげたレフトだったが、それでも勢いを完全には殺し切れず、ボロボロとなった自身を見て、少しの弱音を吐いた。
腕に力を込めて、ゆっくりと体を起こす彼の脳内に、過去の記憶が次々と浮かんでは消えていく……。その現象の正体に気付いたレフトの体は、自らの運命に考え至ったのか? 極度に震えて抗議する。「早く逃げろ」そんな声さえ聞こえてきそうな震えである。それを強引に理性で押し止めた青年は、遠くに見える黒煙の方角へ……。一歩――――また一歩――――と、交互に足を進めて向かう。
時間はもう残り少ない。
レフトは落ちた際の衝撃で飛ばされた、帽子の元まで帰って来ると……、それを拾い右手で強く握り締める。
そして俯く後に目を瞑り、深く深く精神を鎮める。時間にしては、ものの数秒の精神統一に過ぎなかったが……、それでも、覚悟だけはする事が叶った。
「小官の失態が起こしたこの事態。せめて、時間稼ぎぐらいは――――」
自らを責めつつも面を上げたレフトは、彼の舞台の上に、二本足でしっかりと立つ。
――――――――そして。
勇敢にも、泣きそうにも見える表情で、レフトは渾身の一人演劇を披露した。
「さあさあさあ!!!! “エデンの国のお客様方”!! 貴方様の欲する大将首はここにおりますよ!! 小官は魔王国大臣補佐官! レフト・ローレイ!! 一番の手柄は!! 今ココに!! 調査隊は、小官が率いて参りました!!」
レフトの高く良く通る声は、数十メートル岸壁の上まで訳無く到達し、憤慨しながら歩く小さな影の歩みを止めさせた。その影はゆっくりと振り返ると、青年の舞台の方角を、小さな双眸で鋭く睨みつける。
「怖気付いたのですか!? 小官は一人でそちらは多勢!! エデンの戦士は、たった一人の魔物すら仕留める事が出来ぬのですか!! 何という惰弱! 何という虚弱! そんな連中がこの世界を歪めているかと思うと、反吐が出そうで――――――!」
「世界を歪めているのは…………魔物達だろ?」
無感情な声でレフトの前に降り立ったのは、紅蓮の炎を身に纏った小さな影。
桃色のセミショートの髪に、強い金糸雀色の瞳が印象的。歳は稲豊よりも二~三歳くらい下。赤と白を基調とした、小さなヘソを覗かせる洋服を着た、可憐な人間の少女だ。
しかし周囲に漂わせる強者の覇気は、彼女が只者でない事を告げている。
何より、崖上からレフトの眼と鼻の先まで瞬時に移動した魔法は、そこらの一兵卒に扱える能力ではなく。右手に握るのは、等間隔に横線の入った、一風変わった片手剣。
レフトはその幾つかの要素から、少女の正体に行き当たってはいたが、敢えて時間を稼ぐ為に相手の名を尋ねる。
「お初に相見えますね。小官は魔王国大臣補佐官、レフト・ローレイ。失礼ですが、貴女様は? 火魔法と風魔法を複合させた高速移動術……。いやはや……見事なものです」
声が震えなかった事に、自分を褒めてやりたくなるレフト。
しかし、その両足は立っているのがやっとなぐらいの震えを見せる。それは足から胴へ、胴から肩へ、といったように全身へ伝播し、覚悟を決めた筈の心すら揺さぶった。
「オレは楽園国、第二軍団所属、蛇腹衆筆頭の『ティオス』。好き勝手言ってくれたなぁ、兄ちゃん……。オレの力が惰弱かどうか、その身体と魂に刻み込んでやるよ」
「そうですね。お互いの立場なら……それが……自然です。しかし、貴女が一兵卒で無くて良かった。でなければ我が国は、滅亡待ったなしなので」
静かな声で自己紹介をするティオスの瞳は、何一つ感情を読み取る事が出来ない。
まるで、蛇が獲物を前にした時に見せる、無感情な殺意そのものである。レフトの軽口にも一切の反応を見せる事は無い。それは少女からの意思表示でもある。つまり、『対話する気など毛頭ない』少女はそう言っているのだ。
異様な片手剣を低く構え、のんびりとした動作で戦闘態勢に移行する少女。
堂に入った少女の構えに、青年は思わず弱音の出そうになった喉を、左手で強く押さえた。いよいよ最後の瞬間が、レフトの元へと――――訪れる。
「それでは、幕引きと致しましょうか……殺陣は得意ではありませんが。最高潮を瞬きの間に終わらせる訳にはいきません。抵抗はさせて頂きますよ」
レフトは右手の帽子をするりと落とす。
その帽子に、少女の意識が持って行かれたその刹那。舞台に上る前から蓄積していた、魔素を宿した右手より、風魔法を無詠唱にて解き放つ。
虚を突かれた少女は、その直撃を受け。
後方へと、錐揉みしながら吹き飛ばされた。
生門より取り出された魔素は、熱を持たない火が、発動部位を覆うかの如く視認出来るようになる。レフトはそれを相手に悟られない為、魔素の気を帽子で覆い隠していたのである。
激しく飛ばされたティオスだが、少女もそのまま黙ってはいない。地面に激突するその瞬間、爆炎風を撒き散らし、周囲に小さな炎をばら撒くと共に、飛ばされた勢いを相殺しつつ体勢を整える。
「やってくれんじゃねぇか!」
その言葉とは裏腹に、初めて笑顔を見せるティオス。
戦闘が楽しくて仕方がない。と言ったその表情に、レフトは首を左右に振った後、更なる魔素を取り出し続ける。
緑色の気はレフトの全身を覆い。蒸気にも似た力が、青年の周囲に陽炎を生み出す。
それでも、彼は魔素を取り出すことを止めようとはしない。予想される青年の次の強撃を、少女は強気の表情で舌舐めずりして迎え待つ。
だが――――緑の気がその色彩を一変させたその瞬間、少女の瞳は驚愕に見開かれた。
「お前…………ソレ!?」
緑から漆黒へと変化した気、それが意味する事はただ一つ。
青年は禁忌に触れたのだ。最早取り返しの付かない事態にも関わらず、レフトは何処か落ち着いていた。あれほど酷かった震えも鳴りを潜め、笑みを零す余裕さえ生まれて来る。
「はは……やってしまいましたね。力が溢れてくる――――さあて!! 小官一世一代の大魔法、逃げずに喰らって下さいね!!」
漆黒の気を両手に集め、レフトは最大級の魔法の詠唱を始める。
「ナヨナヨした兄ちゃんでガッカリしてたけど、まさか“死門”に手を出す根性があるとは思わなかったぜ! 逃げるだけでも勝手にくたばるが、それじゃあ武人としての名が廃るってモンだ! その覚悟、受けきってやるぜ!!」
ティオスも生門の泉より、魔素を汲み取り全身を覆う。
睨み合う両者の力が、凄絶にぶつかり合ったその瞬刻。レフトの世界は光に包まれた。
短くも永い光の世界で、レフトは……様々な思いを巡らせていた。
『魔王様――――誓いを守れませんでした。しかし、思いは託してきたつもりです。お許し下さいますよね?』
『ライト、小官の分もシフ殿を支えて下さい。貴女とは衝突も多かったですが、それは心配所以です。残す事を許して下さい』
『イナホ様……小官の時間稼ぎに意味はありましたか? 短い期間に、小官はこれだけ心を開く事が出来たのです。きっと近い将来、貴方様とは、親友と呼べる間柄になれたはず。小官は只々、貴方様の身を案じております…………ご武運を』
『ああ――――死にたくないなぁ。人と魔物の共存する理想の世界を、一目で良いから見たかった。もし生まれ変われる事が出来るなら。次は……宣伝隊長……なんて良いかも…………知れま……せんね……? イ…………さ……ま……』
生まれ変わった自分が、稲豊と共にヒャクの屋台を引いて世界を巡る。
それは寒い豪雪の地域にも、暑い砂漠の地帯にも、笑顔という名の潤いを齎し。幸せを運ぶ屋台は、終いには楽園にも足を運ぶ。和気藹々と、人間達と楽しい時間を過ごすレフトと稲豊。やがてその輪は広がり、世界を包み込んで――――――
レフトの見る…………、幸せなのに、もの悲しい夢の最中――――
鈍く光る緞帳により――――――舞台の幕は下ろされた。
重い話は書いてて辛い。
しかしだからこそ、後の幸せが映えるのだと思ってます。
因みに43話にこのエピソードを持って来たのは、44(し あわせ)に届かない。
みたいな意味があったりなかったり……。




