第38話 「山の頂上で食うオニギリの旨さと言ったら――」
『美味い物が作れるなら許可する』
二つ返事で調査隊同行の許可をルトから貰った稲豊は、非人街に赴いた際。その旨をレフトへ伝えるよう兵士に言伝を頼む。かくして、波乱を感じさせる調査隊への同行が確定した稲豊であったが、胸は緊張と興奮の疼きにより、その脈動を早めていた。
極上のスープを作れたのなら。
ナナは喜んでくれるかも知れない。
アドバーンには褒められるかも知れない。
ミアキスには認められるかも知れない。
ルトとまた――――あの様な夜を過ごせるかも知れない。
溢れ出る期待に胸を膨らまし、一日千秋の思いで待つ彼に、遂にその日はやって来る。
調査日当日の朝。
既に皆の食事を用意した稲豊は、逸る心を抑え切れずに厨房内を何度も往復する。チラと壁の時計に視線を送れば、現在時刻は午前六時である事が分かる。使者の言った迎えの時刻まで、後一時間。何をするでもなく悶々とする稲豊だったが、不意に降りて来たアイデアに、自身の事ながらも舌を巻いた。
「お弁当作ろう!」
声に出せば、そのアイデアがより良いモノに稲豊には感じられた。
調査隊が何人なのかは知らないが、多めに用意し皆に振る舞えば、ルトの評判にも繋がるかも知れない。何より稲豊自身、自らの料理を認められる事は嫌いではない。そんな動機が彼を動かした。
「シンプル且つボリューミーなのを作るか」
思い付いたのは鳥と豚の肉野菜炒め。
一度に大量に作れる上に、ある調味料が活きてくる。稲豊はかなり多めに食材を用意し、鳥・豚・野菜をヒャクの果汁を加えつつ時間差で炒めていく。そして水分が飛んできた頃に“塩”を振り、しっかりとした味に仕上げる。これで持参して来た塩は全て使い切った。
「塩と米があれば握り飯でも作るんだけどな~。やっぱり遠足と言えばオニギリだろ!」
最早行楽気分となっている稲豊。
完成した肉野菜炒めを、特注の五段重ね重箱の中に詰め込んでいく。稲豊はルトから少なくない給与を貰っているのだが、アニメも漫画も無いこの異世界……。服もナナに頼めば紡いで貰える。悩んだ末に思い付いた使い道が、字の読み書きの本を購入したり、こういった特注品を職人に依頼するというものであった。おかげでそのどちらも、稲豊の役に立ってくれている。
「まだ時間はあるなぁ」
余った時間をどう過ごすのか考えていた稲豊だったが、現在厨房にいるということで、厨房内での用事を探す事にする。うろうろと厨房内を歩き回った後で、何も思い付かなかった稲豊は次に冷蔵室を目指す。そこで“ある調味料”が稲豊の目に止まる事となった。
「味噌……か」
簡単なプラスチック容器に入っている三分の一程度の味噌。
少し蓋が緩くなってるのを気にして、壺の中に容器ごと放り込んでいたのだが。それでも空気に触れている可能性は否めない。稲豊は壺の中からプラスチック容器を取り出し、中身を口の広いガラス瓶へと移していく。その最中――――。
「イナホ様! 参られました!」
「マジ? 早くね?」
厨房に訪れたナナにより、待ち侘びた迎えが来たことを告げられる。
予定時間よりも二十分は早い来訪に、稲豊は急ぎ出立の準備を整えて行く。ナナお手製のコートに早着替えし、料理鞄を運ぶ彼女に幾つかの後事を託す。
「朝食は鍋とフライパンにそれぞれ用意してるから、温めてから出してくれ。レフトの話じゃそう遠くない場所なんで夕食までには帰れると思うんだけど……、それでも遅くなった時の為に夕食も一応冷凍室に用意した。アドバーンさんにでも運んで貰った後で、解凍してから皆で食べてくれ」
「承知しました! ナナに全部お任せ下さい!!」
「……冷凍室は任せてないからな?」
二人が玄関から外に出ると、二つの猪車がその視界に飛び込んできた。
どちらもマルーと同サイズの巨猪が引く、乗車部分が荷台となった、商人が良く使用する輸送用の幌猪車である。冒険の予感に胸踊らし近づく稲豊に、荷台の部分からヒョコとある人物が顔を出す。
「イナホ様! 本日はお日柄も良く、絶好の調査日和! 小官の願いを聞き届けて頂いたこと、感激至極で御座います!!」
玉葱帽子を被った全身緑のその人物は、荷台より飛び降り、大袈裟なアクションで挨拶を始める。高く良く通る声は森の木々達を震わせ、そこに住む生き物達に目覚めを与えた。最早その行動にも慣れてしまった稲豊は驚きもせずに挨拶を返す。
「朝から飛ばしてますね。今日はよろしくお願いするッス!」
「いえいえ!! 小官こそお願いしている立場なのです! そして申し訳ありません。逸る気持ちを抑え切れず、約束の時刻よりも早く参ってしまいました!!」
レフトは深く頭を下げて謝罪し帽子を落とす。しかし稲豊はそれを拾い、手渡しながら「別に構いませんよ」と許容する。そんな二人の元に、猪車の前方より巨大な影が近づき、二人の頭上から野太い声を振り掛けた。
「…………補佐官殿の話でどんな男かと想像していたが。何処にでもいる人間にしか見えんな。本当に約に立つのか?」
声を掛けて来たのは身の丈二メートルを超えるトカゲ男だ。
茶革の鎧に身を包み、その鱗まみれの右手には、抜身の巨大な両手剣を帯刀している。稲豊の世界にいるトカゲがそのまま巨大化した様な種族『リザードマン』である。尾を不機嫌そうに振りながら声を掛けて来たその男は、その声にも不快さが込められていた。
「リード様! イナホ様は素晴らしいお方です。必ずや我々の力になる存在だと小官は確信しているのですよ。せめてこの調査が終わるまでは謹んで頂きたい」
「…………ふん」
レフトが牽制すると、リザードマンは猪車の横腹に両手剣と背を預け、不機嫌そうに腕を組む。レフトはその姿にため息を吐いた後、稲豊に小声で男の紹介を始めた。
「彼の名は『リード・ルード』。魔王国第三調査隊の隊長で腕の方も確かです。今回依頼したのですが、態度の悪さが玉に瑕でして……申し訳なく……」
「別に良いですよ。そういうの慣れたんで」
この魔王国で人として生きる以上、誰でも大なり小なりの差別は受けている。
稲豊は今更そんな事で傷付きなどしない。レフトの謝罪も軽く受け流し。稲豊はそれが自然であるように、開いてる左手で憤慨しているナナの頭を撫でる。稲豊を過小評価するリードに腹を立てていたナナだったが、撫でられる事によりその怒りは沈静化した。そして今度は不安な表情に変わり、ナナはレフトに話し掛ける。
「イナホ様をお願いします! 絶対に絶対に……無事に戻して下さいね? レフト様、お願いしますね?」
「無論! この身にかえてもお守りしますよ!!」
メイド服の裾をギュッと掴み、ナナは稲豊の無事をレフトに懇願する。
それに対し胸を張って承知するレフトだが、当の本人である稲豊は全力で抗議した。
「止めてくれ! そういうのフラグだから!! 俺の身に何か降りかかっちゃうから!!」
「本当にお願いしますね!!」
「無論!!」
それでも止めないレフトとナナ。
稲豊はコレは駄目だと話題を逸らす作戦に出る事にする。屋敷の玄関を見ながら、大きな声で稲豊は独り言を話す。
「そう言えば護衛のミアキスさんはまだかな~!! もしかしてまだレフトが来たことを知らないのかな!!」
普段ミアキスは屋敷の誰よりも行動が早い。
朝も四時には起きて鍛錬を開始し、約束事なら三十分は前にその場所に来ている。稲豊にはそれが少し引っ掛かった。それはナナも同じなようで、首を捻りながら「おかしいですね?」と、同感する。二人で未だ開かぬ玄関を少しの間眺めた後、ナナが「声を掛けて来ます」と玄関に向けて歩みを始めた――その時。
玄関が音を立てて開き。稲豊とナナは自らの違和感が杞憂であったことを知る…………筈だったのだが。
「――――ルト様?」
その意外な人物に、稲豊とナナは同時にその名を呼ぶ。
屋敷の玄関より姿を現したのは金髪の騎士ではなく、白髪の主人であった。その違いに不穏を感じて、稲豊とナナはルトに駆け寄る。するとバツの悪そうな表情のルトは、稲豊にとって耳を疑う言葉を発した。
「シモン。すまないが……、ミアキスは諸事情により本日の護衛を務める事が出来なくなった」
「え? な、何かあったんですか!?」
「理由は深く話せんが。緊急な状態ではないので安心せい」
「じゃあ……どうして?」
ルトにそう問い掛けながらも、その言葉の意味を稲豊は咀嚼する。
ただミアキスが護衛を務められないだけなら、ルトが謝る必要性は何処にもないのだ。つまり、この状況でルトが謝罪するその意味は…………。
「護衛が居なければ……行っちゃ駄目って事ですか?」
確信をつく稲豊の質問に、ルトは時間を掛けた後に「うむ」と肯定する。
ルトは怠け者な主人には違いないが、屋敷のメンバーの事は気に掛けている。稲豊がこの調査を楽しみにしていた事も重々承知している。その上でルトは肯定したのだ。
納得の行かない稲豊は助けを求める様にナナの顔を見てしまう。
その視線に気付いた少女は、困惑の表情を浮かべ、ルトに確認の言葉を送った。
「…………ミアキス様。夢をご覧になられたのですか?」
「――――――うむ」
「そうですか……」
二人にしか分からないやり取りをし、ナナは俯いてしまう。訳も分からず納得の行かない稲豊は、気持ちのやり所が見つからず、眉を顰めながら唇を噛むしかなかった。例え稲豊が一人で大丈夫だと言った所で、ルトは絶対に同行の許可を出さない。その性格を稲豊は良く知っていたのだから…………。
「……えっと」
不穏な空気にオロオロするレフト。
「どうすんのか早く決めてくれ。行くのか行かんのか」
不機嫌なリードは腕を組んだままで答えを急いている。
「くっ!」
理不尽だが。
レフトの落胆の表情など見たくないが。
極上のスープは諦めなければいけないが。
稲豊はルトの言葉には逆らえない。回れ右し、レフトに謝罪をする為に歩みを始めた俯く稲豊。
――――その姿に唐突に、聞いた事のある声が投げ掛けられた。
「護衛なら俺様がなってやるよ」
意外な言葉に稲豊は勢い良く面を上げる。
その視線の先には、リードに劣らぬ巨体を持つ、非人街で死闘を演じたあのオーク。
ターブの姿がそこにはあった。




