第36話 「寝起きの姿は思い出したくもない。だから省略」
「小官は他所様の家ではひとりで眠れないのです! イナホ様!! 一緒にベッドで寝て下さい!」
「そんなことだと思ったわ!! お断りだこの野郎!!」
いまの気持ちを踏みにじる者に、礼儀もへったくれもない。
稲豊は涙目になりながら、懇願するパジャマ姿のレフトを跳ね飛ばす勢いで扉を閉めようとする。しかし必死なレフトは、普段の彼からは想像できないほどのスピードで、部屋の中に細い体を滑りこませる。そして遂には稲豊のベッドの中に潜り込んでしまった。
「さあイナホ様。二人で魔王国の今後について語り合いましょう!」
「嫌だよ!! 何が悲しくて野郎ふたりで、国とはいえ将来についてベッドの中で語り合わないといけないんですか!!」
稲豊が声を荒げても、レフトが動く気配は全く無い。「悪夢だ」そう呟きながら、仕方なく彼はベッドの端に身を寄せる。持ち上げられた分、その精神的なダメージは計り知れない。稲豊はベッドの端で咽び泣いた。
「ま~ま~イナホ様。そう邪険にしないで頂きたい。小官は本当に貴方様を買っているのですから」
「こんな状況で言われても嘘くさいっすね」
明るく話し掛けるレフトに、稲豊は悪態で応える。
「参りましたね。しかし事実です」
何処か遠くを見つめる招かれざる客は、今までとは違った低めの声で稲豊に語り掛ける。その声は真実味を帯びており、拗ねるだけの男に耳を傾けさせるだけの凄みがあった。
「現在の人と魔物の関係は最悪です。魔物は人間を見かけるなり襲い掛かり、人は隊列を組んで魔物を駆逐する。お互いが対極となり、“共存”等という小官の夢は、淡く儚いモノだといつも思い知らされます」
「共存? レフトは人と魔物の共存を目指しているんですか!?」
レフトから出た意外な言葉に、つい声を大きくして稲豊は聞き返す。
大それた夢を語った事に、はにかみながらも、レフト・ローレイは力強い声で肯定する。
「ええ! 城内では夢物語だと笑い飛ばす者もおりますが、小官は諦めませんよ! 魔王様の前でそう誓約致しましたし。心よりそう願っています。ですが……中々結果を残せていないのも事実。いやはや、参りました」
ゆらゆらと陽炎の様に揺らめき、掴み所の無いレフトの大きな夢。青年は右手を天井に伸ばし、それをたぐり寄せる仕草をする。その真剣な横顔をいつの間にか見つめていた稲豊は、無意識にその壁の高さについて考えた。思考する少年に気付いた青年は、希望に満ちた声でその夢物語を綴る。
「しかし、小官はそれを実現出来ると信じているのです!!」
稲豊にはそこまで彼が自信を持てる理由が理解出来ない。
この異世界に来て約二ヶ月。人と魔物の間に出来た溝の深さを思い知らされたのは、一度や二度ではない。大臣補佐のレフトに至っては、稲豊とは比べ物にならない程の溝を経験してきたはずである。そんなレフトが何故そこまで信じる事が出来るのか? 興味を持った稲豊は「何故ですか?」と聞き返した。
「理由の一つは、他でもないイナホ様の存在です」
「お、おれ?」
またも飛び出る意外な言葉に、稲豊は体を起こして驚きを表現してしまう。
しかしレフトは希望に満ちた表情を変えず、天井のその先を見つめた瞳で、言葉を続ける。
「だってそうじゃないですか? イナホ様は人間であるのに、こうして魔物である小官と言葉を交わし、剰え同じベッドで寝ているのですよ? これは一つの奇跡ではないですか」
「ベッドには無理やり潜り込まれたんッスけどね」
「しかし、嫌々ながらも今は許容している……。違いますか? 小官を本気で追い出そうと考えるなら、方法は幾らでもあるはずです」
心を見透かされた様で、言葉に詰まる稲豊。
チラリと視線を送り、稲豊が言い返せないのを確認した後で、レフトは対話の仕上げに入る。
「最初は嫌々でも良いのです。そうして人と魔物が互いを許容すれば、きっと素晴らしい世界になります。そして改革が出来るのは、もしかしたらイナホ様。貴方様かも知れません」
「はぁ!? 俺がそんなことできるわけ無いじゃないですか!? 大臣補佐のレフトの方がよっぽど可能性ありますよ!」
「小官などより……イナホ様。貴方様のような者がこの世界には必要なのです。世界を改革するのは、小官では足りないのですよ」
「俺はそんな大人物なんかじゃありませんよ。外交手腕の一つかも知れませんけど、いくら持ち上げた所でヒャクを都合するのは無理なので、あしからず」
あまりの大袈裟な世辞に、稲豊は会話を打ち切りふて寝を決め込む。
その少年の姿に、レフトは軽く息を吐いた後で、「お休みなさいませ」と告げ。魔鉱石の明かりを消した。
目が冴えてしまった稲豊は……、眠れぬ夜にしばらく苦しめられる事となる。
しかしいつの間にか、意識は深く深く沈んで落ちて。やがて全ては、眠りの森へと誘われて消えた。
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翌日の朝。
またも厨房で肩を並べる稲豊とレフト。
助手壱号も助手弐号も別件で忙しく、今回は二人きりでの作業となる。
「さあさイナホ様!! 何でも仰って下さい!!」
「…………はぁ」
昨日の再現の様に、やたらと張り切る助手参号。
朝からのそのテンションに付いて行けず、稲豊はため息を零しながらも食材を用意する。一度、二度、三度と冷蔵室に足を運び、食材を厨房へと運び出す。その量に目を丸くしたレフトは、稲豊に思わず尋ねてしまう。
「こ、こんな大量に調理するのですか?」
「まぁ今日は特別ッスね」
朝食のメニューは、季節野菜の煮物とキタン豆のヒャク炒め。稲豊はあまり美味しいとは思わないが、芋もどきのスライスを炒めた物。この国の一般的な家庭料理で、魔王国の者が頻繁に口にしている物だ。そのいずれもが、かなりの量となっている。
「おお……重い……ですね!!」
「最初の“特別な日”の時は腕も上がらなくなりましたよ」
火の魔石のコンロで、巨大なフライパンを振る二人。
肉体派ではなかった稲豊も、この二ヶ月で体付きは少し逞しくなった。調理で鍋を振るうだけでなく、暇な時はナナの屋敷での仕事を手伝ったり、ミアキスの鍛錬に付き合う事もあったので当然とも言える。華奢なレフトが鍋を振るうのを見て、稲豊は過去の自身と重ね、感慨深くレフトを眺めた。
「で、出来た! これで良いですか? イナホ様」
「うん。良いッスね。じゃあそれを移す皿を用意して貰っていいですか? 食器棚、上から三段目の普通サイズのやつで構いません。ルト様は朝食摂らないので五つお願いします」
指示を出しつつ、稲豊はそれぞれの皿に完成した料理を盛りつけていく。
普通サイズの皿なのでかなりの料理が余る事になるが、勿論それも稲豊の計算の内。首を捻るレフトを尻目に、盛りつけた皿やワイングラスをサービスワゴンに乗せていく稲豊。後は食堂に運ぶのみである。
食堂に向けてサービスワゴンを押している途中でナナと合流し、食堂まで三人で歩いて向かう。
「イナホ様! 試食品美味しかったです。あれならナナでも普通に食べれます!」
「そっか。未成年者向けに作ったんだけど、成功みたいだな」
実は昨晩、稲豊はルトに届ける前に、ナナとミアキスにも団子を渡していた。
数が限られているので女性メンバーだけに配った団子だったが、評価は概ね良好。稲豊含む未成年者は、ヒャクの味をあまり好ましく思わない。火を通すか、煮れば訳も無く食べられるのだが、生で食べるのはどうしても抵抗がある。ならばと考案したのが、少量の果汁を練り込んだヒャク団子である。更に改良を加え、完全な商品化出来る日もそう遠くない。と、稲豊は心の中でほくそ笑んだ。
――その後。
朝食も滞り無く終わり。レフトが皆に帰りの挨拶周りをしている間に、稲豊はミアキスと共に大量に余った料理を猪車内に積み込んでいく。積み込み作業が終わる頃に、屋敷の玄関より緑の青年が姿を現し、彼も自身の猪車の準備を手早く済ませる。
「本当に一人で来たんすね。国の偉い人なら護衛とかつけるもんなんじゃ……」
猪の手綱を握るレフトを見て、稲豊は呆れた表情で声を掛ける。しかしレフトは全く意に介せず、笑いながら返答した。
「いやぁ~! 居ても立っても居られず城を飛び出してしまいました。今となっては反省しています。ささっ! そんな事よりイナホ様! その問題の場所へ案内お願いします。背後から颯爽と追いかけますので!!」
「はぁ……じゃあ出発しましょうか。ミアキスさん行けます?」
「ああ。問題ない」
稲豊とミアキスの二人を乗せた猪車は少しずつ速度を上げ、やがて森の木々達が屋敷を覆い隠す様に見えなくしてしまう。マルーはぐんぐん加速していくが、それに逸れず背後の猪車はピッタリと付いてくる。堂に入ったレフトの手綱捌きに、それを窓から覗く稲豊は感嘆の息を漏らした。見かけは華奢な青年の姿をしているが、彼もこの過酷な世界に生きる者。稲豊にとって、それを考えさせられる光景でもあった。
そして、約一刻。ほぼ感じない猪車に揺らされた稲豊達。
彼らが速度の落ちを感じた十数秒後。とある場所にてマルーはその足を止める。




