第31話 「間者大作戦!」
「ミアキスさん、今日お願いしても良いですか?」
腕立て中のミアキスに稲豊は声を掛ける。
声を掛けたその姿が余所行きの服である事を察したミアキスは、その行き先に思いが至る。鍛錬途中だが「了解した」の言葉と共に体を起こすミアキスは、額の汗を腕で拭う。火照った体とその仕草の色っぽさに、顔を紅潮させた稲豊は回れ右して屋敷の裏手に向かう。
「マルー。悪いけど頼む」
猪舎内で昼寝に勤しむ猪に稲豊が声を掛けると、その意図を察して巨体をもっそり持ち上げるマルー。自ら猪舎の外に出て、キャリッジの前で待機する。ハーネスを繋ぐ稲豊の手際は中々のものだ。準備を終えた彼がマルーの横腹を二度軽く叩き合図を送る。すると猪車は動き出し、屋敷の正面まで稲豊と共に移動して待機する。
よく王都に出向く稲豊にとっては、もはや様式化された光景である。
数分も待たない内に、屋敷の玄関から武装したミアキスが姿を現し、二人で猪車に乗り込み王都を目指す。稲豊だけでは身を守る手段を持たないので、出掛ける際は護衛を付けるようにとルトに厳命されているのだ。
「こんちは~! めっきり涼しくなって来ましたね。はい通行証です」
「やあイナホ君。最近多いじゃないか。非人街へ用事かい?」
稲豊が通行証を見せながら城門で話すのは、仲良くなった門番の一人だ。常連の稲豊は二人の門番とすっかり顔見知りとなっていた。といっても門番は常に鎧で顔を覆っているので、その素顔を稲豊は知らない。
「ええ、ちょっと。仕入れに来ました。マースさん一人ですか?」
「ミースの奴は休憩中だね。はい! 通って良いよ」
「どうも」
二人の鎧のちょっとした違いで、どちらか判断が付くようにもなっている。
王都に受け入れられた稲豊とミアキスは、マルーを猪舎に預け、非人街へと足を運ぶ。
目的の集落に辿り着いた二人がまず向かったのは代表の家、その地下である。
「ども! オサさん。樹の調子はどうですか?」
「おお、ミアキス様にイナホ様。見ての通り、相変わらず順調そのものです」
「ふむ。見事な樹だ……しかしこの匂いだけは慣れないな」
広い地下に居た街のリーダーに声を掛ける稲豊とそれに答えるオサ。その声には、二人に対する敬意が込められている。ミアキスはヒャクの樹から極力離れ、遠巻きに会話に混ざる。広い地下には成長したヒャクの樹が等間隔に五本並び、地下室の匂いは凄まじいものとなっている故である。少し滞在するだけでも酔いそうな匂いだが、オサはその中がお気に入りな様子。いつ来てもこの地下室で会う事となる。
「問題も無さそうで何よりだ」
「ええ、全く。寧ろこの樹で街が潤っていくのが見て分かる様です。もう少し樹を増やそう……、なんて意見も出ているぐらいですよ。どれもこれも皆様のおかげで――」
「それはもう良いです! パイロは今日も市場の方ですか?」
オサが感謝を始めると長くなる、その事を知っている稲豊が大きなアクションで感謝を遮る。するとオサは下げようとしていた頭を上げ、その問いに「ええ」と朗らかに答えた。
この二ヶ月で住民との関係が良好に向かったのは良い事なのだが、少しやり過ぎたらしい。非人街の老人の中には、稲豊達を拝みだす住民もいるのでいまいち居心地が良くない。ミアキスの限界も近そうだったので、稲豊は早めに切り上げオサの家を出る。
すると外に出た瞬間。
その姿を見つけた小さな者達が、黄色い声を上げて二人に駆け寄って来る。
「ミアキス様とイナホだ~!」
「イナホだ~!」
非人街の子供数人に取り囲まれる稲豊とミアキス。
この街では中学生ぐらいになると、大体の子が親の仕事を何らかの形で手伝っているので、この時間近寄ってくるのは小学校低学年くらいといった小さな子しかいない。良好な関係を築いたのは大人達だけでなく、この子供達も例外ではない。やたらと懐かれた稲豊達は、時間が許す限りは遊びに興じる事にしている。
「イナホ遊べ」
「イアホあそべ!」
「誰がアホだ! 止めろ、俺のトラウマを刺激するんじゃない!」
キャッキャッとはしゃぐ子供達。この年代の子達は、からかった者がオーバーに反応するだけで面白いらしく、リアクションの大きい稲豊は格好の餌食となっていた。少女を肩車しているミアキスとは違い、稲豊の元にはわんぱく坊主ばかり集まってくる。好かれるのは嬉しい彼だったが、そのエネルギーにはとてもついて行けない。
「ねぇイナホ。何か新しい遊びない?」
男子の間からそう聞いてきたのは、子供達のリーダー格の少女『スフレ』だ。
長い青髪が特徴で、この中では一番年長の彼女は皆の引っ張り役でもある。
元の世界の遊びを度々提供する稲豊は、少女から色々な相談を受けている。頼られる事を嬉しく感じていた稲豊は、その期待に応えたい所ではあったのだが……。
「――――思い付く遊びは大体やったんだよなぁ」
稲豊は腕を組み、今までブームを起こしてきた遊戯を考える。
サッカー、ドッヂボール、缶蹴り、竹とんぼetc……道具に若干の違いがあるもののやはり王道。何とか遊びとしての形にはなっている。しかしまだまだ貧しい者が集まる非人街。道具をあまり必要としない王道の遊びは、稲豊の思い付く限りで出尽くしてしまった。後は変化球になってくる訳だが……。
「外で出来るカードゲーム……とか?」
若干変化球すぎたか? と首を捻る稲豊に、スフレはワンピースのポケットから何かを取り出し、それを悩める男に見せつける。
「一応あるよ、コレ」
「マジかよ? 既にあるとか、文明の進み具合が相変わらず読めねえな。で? どんなゲームなんだ?」
「グーとチョキとパーのカードを皆に配って――――」
「またそっちかよ!? お前達には早過ぎるので止めなさい!!」
稲豊がカードを取り上げると、スフレは「え~!」と可愛らしく口を尖らせる。
そして不満気な表情で彼に詰め寄り「じゃあ新しい遊び!」と代案を迫って一歩踏み出す。
少女の剣幕に気圧された稲豊は座禅を組み、脳をフル稼働させる。
そんな彼に不意に降りてきた遊びは、王道且つ変化球なものだった。
「じゃあ、スパイごっこだ! 皆をスパイに任命してやる!」
「間者ごっこ!? 面白そう!」
「ああ、そういう風に翻訳されるのな……」
目を爛々と輝かせ喜ぶ少女と周りの子供達。
新しい遊びには男子も女子も関係なく、貪欲に求めて近寄ってくる。稲豊も何となく言った遊びにここまで食い付いて来るとは予想しておらず、その中身を即興で考え絞りだす。
「まずはそうだな。拠点となる秘密基地を作って、間者達はボスの指令で様々な任務を完璧にこなす――みたいな感じの遊びだ」
「すげぇおもしろそう! やるやる!」
「私も!」
僕も私もと、結局二人の周囲に集まった子供達の全てが参加を表明する。
そうなると子供達は自然に『誰がボスをやるのか?』という議論で盛り上がっていく。
収拾がつかなくなる程盛り上がる子供達。
しかしそれを「ちゅうもーく!」と、両手を振ったスフレが簡単に静める。この辺りはさすがリーダーと言わざるを得ない。静かになった子供達は、緊張と興奮の入り混じった表情でスフレの次の言葉を待つ。
「毎回ボスを変えれば良いのよ! 今日はこの遊びに詳しいイナホがボスをやります!」
「は~い!!」
スフレの言葉に素直に従う子供達。その人望の厚いリーダーの要求に答えなくては漢が廃る。稲豊はボスらしくふんぞり返り、小さな部下達に間者としての心構えを曲解して授業する。
「まず間者と言うのはけっして自身の正体がバレてはいけない! その為に大切な話は全て暗号を使って会話する必要がある!」
「暗号!!」
その魅惑的な響きは子供達の心を見事にキャッチする。
暗号を使うスパイはいても、普段暗号で会話するスパイはいるのだろうか? などと疑問を持たない分、この年代は純粋で扱い易い。
次に稲豊は暗号について考える、簡単なものでなくては子供達に扱えない。稲豊は思い付く限りでもっとも簡単且つ、他者には若干分かりにくい暗号を思い付く。
「逆さ言葉でいこう。『よろしく』なら『くしろよ』。『おやすみ』なら『みすやお』って感じで、重要な話だけは周りにばれない様に逆さで短く会話するんだ。慣れるまでは難しいだろうけどな」
「わかった!」
「かんたーん! えっと……んたんか!」
暗号に秘密基地。
男子なら誰もが経験している事ではないだろうか?
元の世界を思い出し、少し感傷的な気持ちになる稲豊。意味もなく這わせた視線が、こちらを見ていたミアキスとぶつかる。その何か言いたげな表情の意味を察した稲豊は、少し悪い気がしながらも、子供達に遊びの終了を告げた。
「っと、悪いがボスは時間が来たようだ! 間者ごっこはここまでという事で――――」
「まだ何もやってない!!」
「ダメ~!!」
不満を爆発させた子供達に乗し掛かられ、押し潰される稲豊。組織を立ち上げてすぐ反乱により取り押さえられ、全く見動きを取ることが出来なくなってしまった。「助けて」と目で語る稲豊の視線を感じたミアキスは、頭を左右に振った後。
「仕様がないな」
ため息混じりにそう零した。




