第29話 「パソコンは・・・・・・無いのか」
三章突入。
後半に進むに連れて展開が早くなっていく第三章。
新ヒロインも登場します。
昼下がりの森の屋敷。
その中にある稲豊の私室にて、真剣な表情で睨み合う二人の姿があった。
この部屋の主とアラクネ族のメイド少女である。どこか一触即発の雰囲気にも見えるその中で、その会話の火蓋は稲豊の方から切って落とされた。
「いくぞ……ぬらりひょん!」
「わかりません!」
「河童!」
「わかりません!」
「ヴァンパイア!」
「います!」
「ネコマタ!」
「います!」
これは最早恒例となっている二人のやり取りだった。
召喚魔法の翻訳機能を逆手に取り、この異世界と元の世界に共通する存在を探っているのである。
ナナが全く知らない稲豊の世界の怪物も、この異世界に似た生物がいる場合。ソレを翻訳機能によってその怪物として認識することが出来るのだ。故に、稲豊には先程のやり取りで、この異世界にヴァンパイアとネコマタに似た魔物がいる事を知った。勿論ナナが知っている事が前提なのだが、遊びの一環でやっている事なので、そこまでの正確性は求めていない。
翻訳機能と言えば、稲豊が最近知った事実がある。
稀にだが、ニュアンスを違う風に捉えられてしまうのだ。以前稲豊が『オールマイティー』と言った時、ナナに「お茶の独り占めはダメです!」と怒られてしまったのである。しかし、翻訳機能で日々受けている恩恵を考えれば「些細な事だ」と、稲豊はあまり気にしてはいない。
そんな作業にしばらく没頭する二人。
「パソコン!」
「わかりません!」
「エレベーター!」
「あります!」
「あるのかよ! じゃあ、カードゲーム!」
「あります!」
「それもあるのかよ!?」
稲豊は毎回なにかしらに驚くが、この程度の驚きは日常茶飯事である。
独自の文明の歩み方をするこの異世界では、魔法や魔石がその発展に大いに役立っている。
確かに稲豊の世界でも、古くからエレベーターという物は存在している。しかし、その可動方法等は、完全な別物と言える仕上がりになっているのだ。この世界の大掛かりな仕組みの物は、大体がマジックアイテムの力で成り立っている。
「この世界にもカードゲームあったりするんだな。どんなのかちょっと興味あるんだけど」
トランプなんかがあれば、暇を潰すのに使える。
そう考えた稲豊は、ナナにどんな物かと興味本位で尋ねた。
「ありますよ! えっとまず、皇帝と市民と奴隷のカードがあるんですけど――」
「大体分かったからその先は良いや……」
その先は聞いてはいけない……と、ナナの言葉を遮る稲豊。「そうですか?」と残念そうな表情を浮かべたナナだが、不意に壁の浮遊砂時計に視線を走らせる。その動きに釣られるように、稲豊も砂時計に目を見やる。時計は二人のやり取りの、終了時刻が来たことを告げていた。
「――ここまでか。悪いな、いつも付き合ってもらって」
「ナナが好きでやってる事なので気にしないで欲しいです! トレーニング頑張って下さい!!」
「おうよ!」
ナナの言うトレーニングとは、日課となったルトの魔法指導の事である。
大変ではあるが、その分出来た時の感動も一入。充実感に満たされるその授業が、稲豊は嫌いでは無かった。少女と別れ、いそいそとトレーニング場である屋敷の裏手へと向かう。
「遅い!」
屋敷の裏。厩舎の隣にある広場では、既に来ていたルトが仁王立ちで稲豊を迎えた。
その美しい顔は、頬が膨れた今は愛らしさの方が勝っている。少し近づくのを躊躇しながらも、稲豊は彼女と会話できる距離まで近付いた。
「時間丁度じゃないっすか」
「妾より後に来るのが気に入らん。まるで妾が楽しみで待ち切れなかったみたいではないか」
自堕落なルトは基本的に時間を守らないが、この指導の時間だけは早めに来る。それはこの指導の授業料が目当てな訳なのだが……。
二人は気を取り直し日課の魔法トレーニングを始める。
と言っても既に基本の授業は終わっている。後は稲豊が一人で訓練するだけなので、ルトは稲豊が持参したヒャクの果汁を日傘の下で呷りながら、偶にその進行具合をチェックし助言をするのみである。アル中一歩手前の主から少し離れた位置で、稲豊は精神集中をする。
この授業は大体三十分程で終了を迎える。
稲豊としてはもっとやりたい所なのだが、魔素が不足する度に食事をして再開するので、満腹となった時点で続けようが無いのだ。
「あ~ダメだ! 出来る気がしねぇ!」
魔法をイメージ化するのは彼の想像以上に難しく、最近は伸び悩んでいた。
眉を顰め大の字で芝生の上に倒れる稲豊。そんな彼にルトは日傘の下から声を掛ける。その顔は稲豊とは違い、実に涼しげである。
「妾がヒャクを知った次の日から指導しておるから……約二ヶ月か。まあ、そう簡単に魔法を扱う事は出来ぬ。妾の凄さを実感したか?」
「この授業を開始してから実感しまくってますよ」
そう……惑乱の森の騒動から早二ヶ月の時が過ぎていた。
勿論元の世界に帰るという彼の願いは叶ってはいない。試行錯誤しながら料理を作り、魔法を習い、屋敷の皆との親睦を深める毎日は確かに楽しい。だが両親や友達、戻った後の自身の将来を考えるとやはり不安は拭い切れない。そんな時は「せっかく異世界に来たんだ。楽しまないと損。念願の魔法使いにもなれたし」と前向きに考える事にしている。
そんな稲豊は今、ルトの最初の授業を思い出していた。
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惑乱の森の騒動の翌日。
朝食と名のついた昼食を食べたばかりのルトに呼び出され、稲豊は訳も分からないまま彼女に屋敷の裏手へと誘導される。
「では、今から褒美として魔法を教授するぞ」
向かい合ったルトの唐突な言葉に、稲豊は「おお!」と歓喜の声を上げる。念願の魔法使い、それが目前に迫った事による興奮が彼を掻き立てたのだ。そわそわ動く稲豊に「落ち着け」とルトは前置きした後で、授業を開始する。
「まずは、自分にあった魔法を見つける事が近道となる訳じゃがの」
「やっぱり相性みたいなものが有るって事ですか?」
「飲み込みが早くて助かる。つまりはそういう事じゃ。生まれ付き、或いは生きる過程でその者の素質は決まる。相性の悪い魔法じゃと、その威力は殆ど発揮出来んという訳じゃな」
ゲームで良くある属性と相性。
稲豊が火の魔法を使いたくとも、相性次第では諦める事となる訳だ。
運動神経はお世辞にも良いとは言えない稲豊。ここで魔法の才能まで無いとされたら、いよいよもって戦闘では役立たずの烙印を押されてしまう。
緊張した面持ちで、稲豊はルトに尋ねる。
「どうやって……相性を知るんですか?」
「本来なら面倒臭く一つ一つ試さねばならんのぅ。じゃが喜べ、妾の解析魔法を用いれば直ぐに判る」
彼女はそう言って稲豊との距離を詰め「しゃがめ」と簡潔に伝える。言う通りに跪き、祈るように目を閉じる少年。その頭に小さな白い手がふわりと乗せられ、ルトが目を閉じ魔法を発動する。
すると、水色の光がその掌から波紋のように拡がり、稲豊の頭部から足先に向かって全身を隈なく通り抜けて行く。痛み等は全く感じない。三回波紋の光が放たれた後で、ルトはスッと手を離す。その白く美しい手はもう光を纏ってはいなかった。
「ふむ」
解析は終了したと言うのに、ルトの表情は優れない。宜しくない結果なのが聞かなくとも理解できる。しかしその口から聞くまでは諦めきれない。稲豊は彼女の次の言葉を悲痛な面持ちで待った。
そんな彼にもたらされた言葉は、意外なものであった。
「驚いたのぅ。妾と同じ万能タイプじゃ。魔法の才能には恵まれているようじゃの」
「うおお! マジで!?」
雇い主への敬語も忘れ、稲豊は狂喜乱舞する。
無邪気に喜ぶ少年の姿にバツの悪そうな視線を向けるルト。大きくため息を吐いたのは、これから告げる残酷な真実に対しての彼女なりの非難だったのかも知れない。意を決して話す声は、少なくない同情が込められていた。
「――ぬか喜びさせて悪いのじゃが」
魔法の教師の曇った表情と覇気の無い言葉に、ガッツポーズのまま固まる稲豊。主の頬を伝う汗がどうしようもない不吉を予感させる。崩れ落ちそうになる体を意地で支え、最悪の想像を幾つも巡らせた後、心の準備が整った彼はようやく口を開く。
「な、何か問題でも?」
「うむ……重大且つどうしようも無い問題がある」
『どうしようもない』
未だかつて、これ程どうしようも無い言葉があっただろうか? それを言われたらどうしようも無いではないか! 一向に消えない混乱のステータス異常が稲豊の脳内を襲う。そんな稲豊を哀れに思ったルトは、痛みが長く続かないように慈悲をもって――――――両断する。
「お前の器が小さ過ぎて話にならん」
いきなりの人格否定に、稲豊は今度こそ崩れ落ちた。




