第336話 「どうして…………?」
「つまり、逃げられた……と?」
アート・モーロの西門にてアルバから報告を受けていたトロアスタは、失望を含めつつ聞き返した。
「言い訳はしない。今回の魔物共の襲撃は、完全にこちらの虚を突いてきた。その後の統制の取れた動きも、我々の予想を越えていた」
「いえ、アルバ殿を責めているわけではないのです。敵を侮った、拙僧自身に呆れておるのですよ」
敵がアモンを取り返そうとしてくるのは予想していた。
だがあのアモンを制圧し、しかもここまで迅速に撤退されるのは予想外と言わざるを得ない。
「アモンには見張りを付けているのではなかったのか?」
「無論、付けてはいたのですが……。どういうわけか、途中で気を失っていたようで」
「気を失った?」
「陽動の出現した時期といい、手際があまりに鮮やか。間違いなく、我が軍の内部に手引きをした者がおるでしょうな」
現在ふたりのいる西門には、出撃が空振りに終わり、すごすごと引き上げていく兵士たちの姿があった。トロアスタが嘆息しつつ、その大きな両目でぎょろりと周囲の兵士たちを一瞥する。
今回の件、軍の内情に明るい者が手引きしたことは明白だ。
「我がワルキューレ隊に敵の回し者がいるなど、考えたくもないが……」
「いずれにせよ調査は必要でしょう。そちらに関しては、拙僧にお任せください。此度の出陣、お疲れ様でございました。どうぞ、今夜はゆっくりと休息なさってください」
「いや、敵にまんまと逃げられるなど言語道断。部下共々、一から鍛え直さねばなりません」
「いまから……でございますかな? 一雨来そうな空模様ですが」
「関係ありません」
簡潔に言うと、アルバは去っていった。
その背中を苦笑交じりに見送ったあとで、トロアスタはある少女の方へと視線を送る。
灰色に染まった空の下で、憂いを帯びた瞳をした少女。
それはレトリアだった。
「……………………」
レトリアは西門を少し離れた場所に立ち、部下たちの帰りをずっと待ち続けている。やがて兵士の殆どが西門を潜っていった頃に、ゆっくりとやってくる二頭の馬が彼女の視界に入った。
「無事……のようね。安心したわ」
駆け寄ったレトリアは、三叉の矛の三人に声をかける。
「大きな怪我はないでござるが……」
「アモン様が…………魔物の奴等に拐われちまった。ちくしょう、あと少しだったのに……!!」
三人の表情は、一様に暗い。
特にエルブはだらりと垂れた前髪を整えることもなく、ただ静かに俯いている。
そのとき、雨がぽつりぽつりと降り始めた。
それは瞬きを繰り返す度に強さを増し、一分も経たないうちに土砂降りの豪雨へと変じる。
「………………………………」
しかし全身を激しく雨に打たれても、エルブはその場を動こうとはしなかった。
「なあエル……戻ろうぜ? ここにいたら、風邪を引いちまう」
ティオスが優しく、力なく放り出されたその右腕に触れる。
するといままで俯いていただけのエルブが、気怠そうなほどにゆっくりと頭をあげた。
そして前髪の隙間から覗く瞳で、正面に立つレトリアを恨めしげに睨みつける。
「リア…………どうして今日、アモン様を採掘場へ誘ったのかしら…………?」
まるで幽鬼のような声で、レトリアに問う。
しかしレトリアは、なにも答えない。
シグオンとティオスのふたりは冷えていく空気を感じ取り、なにも言葉を発せずにいた。
「リア…………どうして馬車に、書類を忘れたりしたの…………?」
再びの質問にも、レトリアは答えなかった。
「リア…………どうしてアモン様を、追いかけてくれなかったの…………?」
三度目の質問。
だが結果は同じだった。
レトリアは表情を変えるでもなく、ただじっと立っている。
「どうして…………どうしてッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
そのどこか他人行儀な様子に、遂にエルブの感情は爆発する。
細い腕でレトリアの両肩を掴み、二度ほど強く揺さぶった。
そして瞳から大粒の涙を溢れさせながら、最後の質問をぶつける。
「あなただって……アモン様が好きだったはずじゃない!!!! なのにどうして……どうしてアモン様を!!!!!!!!」
そこから先は言葉にならない。
自身の両手で顔を覆い、エルブは大雨のなか崩れ落ちる。
「お、おい……エル…………」
かける言葉が見つからず、狼狽えるティオス。
シグオンもまた、いまの状況がよくわからずにいた。
そんななか、レトリアがくるりと三人に背中を向ける。
「今日はもう帰って休みなさい。これは命令よ」
レトリアはにべもなく言うと、そのまま西門の方へと歩いていく。
「………………リア……」
まるで人が変わってしまったかのようなレトリアの後ろ姿を、ティオスはただ眺めることしかできなかった。
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アモンの喪失という形で決着した今回の襲撃事件。
トロアスタはひとり、ガーデン・フォール城の大階段の前で、物思いに耽っていた。
「おや? こんな場所でなにをしているんだい?」
そんなとき、城に戻ってきたファシールに声をかけられる。
「おっと、これは失敬。少し考え事をしていたもので、ファシール殿に気づくのが遅れてしまいました」
「アスタが上の空とは、珍しいこともあるものだね」
「お恥ずかしい、忘れてください。……と、ファシール殿はいまお戻りになられたところですかな?」
「ああ、さっき馬を馬房に戻してきたところだよ」
そう言いながら、ファシールは馬がするように頭をブルブルと振った。
雨で濡れた髪から飛んだ雫が、四方八方へ飛び散る。
「行儀が悪いですぞ」
「ははは、失敬失敬。忘れてくれ」
トロアスタが少し笑いながら言うと、ファシールも子供のような笑顔を返した。
「――――――む?」
そのときだった。
トロアスタの大きな鼻が、微かな違和感を捉える。
先ほど飛び散った雫と一緒に、“なにかの香り”を感じ取ったのだ。
それはトロアスタにとっては馴染みのある、監獄や戦場でよく嗅ぐあの臭い。
「…………血の……香り……」
薄っすらとだが、トロアスタは確かに感じた。
血の臭い。しかも…………人間のものだ。
「じゃ、僕はシャワーでも浴びて休むことにするよ」
ファシールはそう告げると、軽い足取りで歩いていく。
「あ、お待ちをファシール殿、ひとつ訊いてもよろしいか?」
その遠ざかっていく背中に向かって、トロアスタは逡巡したのちに声をかけた。「なんだい?」と振り返るファシール。
「…………アキサタナ殿が屋敷を抜け出し、馬でどこかへ向かったという報告があったのですが、その後の消息が掴めておりません。どこかでお見かけになどは……なりませんでしたかな?」
トロアスタが訊ねると、ファシール天井を見上げて少し考える素振りを見せた。そして再び顔を戻すと――――――
「さあ、知らないな」
微笑みながらそう口にし、今度こそ去っていくのだった。




