第333話 「その先に」
「さあ、行きましょうか」
上半分が焼失した猪車のところへ戻ってくるなり、稲豊は弱々しい笑みを浮かべながら言った。
「……よいのか? 奴を討つ、またとない機会じゃぞ?」
ルートミリアが訊ねると、稲豊は小さく頷く。
「いいんです。あいつには恨みもあるし、奴の腐りきった性根には反吐が出る。でも……俺自身にもよく分からないんですけど、どういうわけだか俺は……あいつに同情してる」
その言葉に嘘はなかった。
己の弱さを自覚する稲豊にとって、アキサタナにはどこか自分と似ている部分を感じていたのだ。弱さを自覚するが故に、それを認められず、他者を虐げ見下す。
そうしなければ、天使という重圧に押しつぶされていた。アキサタナにとって、この世で一番信じられなかったのは、己自身だったからだ。
「もしあいつに天使の才能なんてなかったら、ただの嫌な奴で終わってたんじゃないかって……。もう少し、普通の…………だからもういいんです」
「そうか、ならば……よい」
もう誰も、そのことについて触れる者はいなかった。
皆が再び猪車に乗り込み、次の目的地へ向けて出発する。
悶え苦しむアキサタナの姿は、瞬く間に見えなくなった。
「でも、どうするん? 移動用の扉、破壊されてもうたけど?」
「破壊されちまったもんは仕方ねぇ。このまま森を出て、西へ向かう。そこで待機中の隊と合流し、更に西へ。魔王領内まで戻れば、もう追ってはこないはずだ」
誰となく訊いたマリアンヌの問いに、ソフィアが答える。
異論は誰にもないらしく、目的地はすぐに決まった。
「ハァ!」
アドバーンが手綱を鳴らし、マルーがさらに加速する。
猪車の上半分がないので、稲豊たちは強風に晒されながら西へと向かった。
「む?」
途中、クリステラが険しい表情で後方を睨んだ。
「どないしたん? 追手?」
「どうでしょう……。なにやら、妙な気配が我々を追ってきている」
「妙な気配?」
「精霊たちの様子からして、人間じゃありません」
「人間じゃ……ない?」
クリステラの言葉に、猪車内の皆が眉を寄せる。
そしてその言葉を裏付けるような、奇妙な音が皆の耳に飛び込んできた。
「な、なにこの音……?」
「ヘリコプター……なわけないよな」
バリバリと、ヘリコプターのプロペラ音によく似た音が近づいてくる。それも、ひとつではない。幾重にも重なった音が、稲豊たちの乗る猪車を追ってきている。
「この音……どこかで聞いたような」
腕を組んだルートミリアが、首を傾げる。
次の瞬間、巨大な影が猪車を覆った。
「おお……!? こ、こいつは……!?」
驚きの声をあげた稲豊の頭上には、太陽を遮る巨大な物体。
柔らかな体毛を風に靡かせ、何枚もの羽を羽ばたかせるのは巨大なミツバチ。
それも一匹や二匹ではない。
大小無数のミツバチたちが、空を黄色と黒のコントラストで隠している。
「屋敷の地下におった蜂たちか? 先頭のはひときわ大きいのぅ」
「エデンで飼われていたはずですけど……」
蜂たちは明らかに猪車に追従している。
その様子を見て、ソフィアは自身の顎に右手を添えた。
「恐らく、あの蜂たちは魔王サタンの『魔素』に従うように習性付けられているんだろう。イナホから父上の魔素が消えたことを感知し、次の対象を追ってきたのだと考えれば合点がいく」
「つまり……妾を追ってきておるのか」
リリトの残した、魔女の遺産。
それは本来の居場所に戻れることに歓喜しているかのように、大きな羽を鳴らしている。
「森を出ます!」
羽音に負けないアドバーンの声が響き、稲豊たちは前方へ顔を向ける。
視線の先には、果てしない平原が広がりつつあった。
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稲豊たちが森を抜ける、少し前。
ひとつの人影が、森の道で立ち往生していた。
「また道が……壊されてる……。時間がありませんのにっ……!」
馬上で悔しそうに唇を噛んだのは、アモンを追ってきたエルブだった。部下に救援を頼んだあとで急いで追ってきたものの、唯一の道が破壊され途方にくれていた。
するとそこへ――――――
「おい! エル!! 無事か!」
「ようやく見つけたでござる」
馬に乗ったティオスとシグオンが駆けつける。
「ふ、ふたりとも……どうしてここに?」
「話はあとだ! アモン様が敵に捕まったってのは、マジなんだな?」
「…………ええ、アモン様が亡命などするはずがない。きっと、敵の卑劣な罠に掛かったに違いありませんわ!」
「お、おぅ……」
エルブのかつてない剣幕にたじろぎつつ、ティオスは正面の道を見た。
折れた木々によって道が塞がれ、地面には大小様々な石が転がっている。
「少し前に、大きな破裂音が森のどこかから聞こえましたの。恐らくここからそう遠くない場所で、誰かの戦闘があったようですわ」
「なるほど。ならばこの道が破壊されているのも、その戦闘の余波かもしれぬでござるな」
シグオンが馬を降り、めちゃくちゃになった道の前に立つ。
「シグ……お願いできるかしら?」
エルブに懇願され、シグオンがこくりと頷く。
そして両手を地面に添え、静かに詠唱を始めた。
「土流魔法!」
シグオンが呪文を唱えると、地面が海面のように大きく波打った。
土の波はうねり、混ざり、周囲の石や木を飲み込んでいく。
「は! でござる」
やがてシグオンが組んだ両手を左右へ離すと、土の波は道の両側へと流れていった。あとには土と砂だけの、平坦な道が三人の前に広がっている。
「おっしゃ! 先を急ごうぜ!」
「ちょっと待つでござるよ。エル、アモン様は本当にこの先へ?」
「車輪の跡が残っていたし、間違いないはずですわ!」
「んだよシグ、なにが気になってんだよ!」
時間がないので、ティオスが少し苛立ちを見せながら訊ねる。
シグオンは考えるような素振りをしたあとで、再び馬に乗った。
「アモン様ほどの手練れなら、なにかしらアクションを起こせそうなもの。意識さえあれば、自ら脱出することも可能なはずでござる」
「つまりアモン様は……意識を失っている?」
「なにかしらの方法で無力化されているのは間違いないでござる。ならば馬車や猪車を囮にして、森の奥に潜んでいる可能性だってあるかもしれないでござる」
「オレたちみたいなのをやり過ごす為か……。あり得るな」
チッと舌打ちをするティオス。
「それに向こうには、ドアを用いて瞬間的に移動できる魔能もあったはず。こんな所をチンタラ移動してるのは妙でござる」
「でも待って、シグ。たしかにわたくしは、森の奥からなにかが破裂するような音を聞いたのですわ。あれは間違いなく戦闘の音でした。それも激しめの。アモン様の身が自由になり、もし敵と戦っているのだとしたら…………!」
「う~~~む」
首を捻るシグオン。
しかしここで考えていても、答えは出そうになかった。
エルブの話も一理ある。
とりあえず、先へ進んでみることを三人が考えた。
そのときだった――――――
「な、なんですの!?」
素っ頓狂な声をあげたエルブの遥か頭上を、大きな影がいくつも追い抜いていく。それは爆音を鳴らしながら飛び去る、蜂の大群だった。
「アレは確か……牧場地帯で飼っていた巨大虫でござるな」
「ああ、そういえばアモン様に懐いてたっけ」
その瞬間、エルブがなにかに気付いたように顔をあげた。
「もしかしたら、あの虫たちの先に……アモン様がいるかもしれませんわ!」
そう声をあげ、ミツバチの飛んでいった方向へ駆け出すエルブ。残されたふたりも顔を見合わせ、そのあとを追うのだった。




