第330話 「三度目の遭遇」
「あの……お父上、なんというか…………たくましくなられましたね」
揺れる猪車の上でクリステラに言われ、稲豊は己の体をまじまじと見つめた。
「ああ、そうか。アモンの魔法で成長したんだっけ。高校生からいきなり成人とか、はは……笑えね~」
なんとか心を取り戻した稲豊だったが、体までは元には戻らなかった。少年から青年へ。いまの稲豊は、誰が見ても大人の男といった容姿をしている。
「すまぬのシモン……。妾の力を持ってしても、ひとたび成長してしまった肉体は……元には戻せぬのだ」
「気にしないでください。背も伸びて、ちょっと嬉しい部分もあるんで。そんなことより、状況がまったく分からないんで……説明をお願いしたいです」
「ハニー。記憶はどうなん? どこまで覚えとるん?」
「エデンの天使として色々やってたのは朧気に……。でも、ここ最近の記憶は特にハッキリしない。正直、なんで皆と猪車に乗ってるのかも分からない」
稲豊が首を捻ると、アリステラが「おいたわしや、お父さま」と瞳に涙を浮かべる。その後ろから、ソフィアが身を乗り出した。
「簡潔に説明すると、我々はお前を奪還するためにエデン領内へ進入。タルタルとミアキス、マルコやネブの陽動隊がエデン各所を襲撃。正確には襲撃のフリだが、そうしたどさくさに紛れ奪還に成功。現在、この旧人狼族の森を全力で逃亡中……というところだ」
「なるほど……。じゃあもしかして、まだまだ油断できないって感じか?」
「うん。エデン軍がシモンくんを取り戻しに来ると思うし、ボクが空から見た感じだと……アキサタナの奴も妙な動きを見せてるよ」
「ふぅ……息をつく暇もなしだな」
大きくため息を漏らす稲豊。
その息の掛かりそうな距離に、スッとなにかが差し出される。
「あとコレ、どうしよう?」
ウルサが差し出したのは、アモンの装着していた仮面だった。
禍々しい妖気が、いまだに漂っている。
「そうだなぁ、記念に持っとくか。でも、ちょっと縁起悪いなぁ」
仮面を受け取り、指先でくるくると弄ぶ稲豊。
使い方をひとつだけ思いついたが、それを試す度胸はいまの稲豊にはなかった。
「まあ、とにかくいまは……逃げ切ることだけを考えた方が良いってことだな」
稲豊は猪車の後部から、通り過ぎていく後ろの道を眺める。
暗い森の奥から、なんだか嫌な気配が近づいてくるのを感じた気がした。
「大丈夫ですわぁ、お父様。もう少しの辛抱ですからぁ」
アリステラがうふふと微笑む。
稲豊には最初、なにが《大丈夫》なのか、わからなかった。
しかしその笑みの意味は、すぐに知るところとなる。
「ここでよろしいですか? アリステラお嬢様」
猪車がゆっくり停車したかと思うと、御者台のアドバーンが声をあげた。
「なんだなんだ? まだ森の中みたいだけど……?」
「ふふふ、おまかせくださいませぇ」
困惑する稲豊を他所に、アリステラが猪車を降りる。
稲豊らもそのあとに続いた。
「おお! イナホ殿!! 声は聞こえておりましたので、状況は承知しておりましたが………。うぅ、やはりこの目で見たら、涙が………!」
「そ、そんな大袈裟な。めちゃくちゃ迷惑をかけたので、むしろ怒ってくれても良いぐらいで………」
「なにを仰るウサギさん! そのお姿を見れば分かります。この数か月、筆舌に尽くしがたい仕打ちを受けたことでしょう。助けだすのが遅れて、申し訳ございません!! くぅぅ…………」
「泣かないでくださいよ。もとはといえば俺の失敗っていうか、自業自得なせいなんで。俺の方こそ申し訳ありませんでした!」
ヨヨヨと泣き崩れるアドバーンを前に、稲豊はイヤイヤと両手を振る。
互いに悪いのは自分であると感じているだけに、ふたりの謝罪合戦はその後しばらく続いた。
やがて目元を拭うハンカチを胸ポケットに仕舞ったアドバーンは、ようやく笑みを浮かべて稲豊の顔をまっすぐに見つめる。
「一回り………いえそれ以上にたくましくなられました。本当に、無事で帰ってきてくれて、ありがとうございます」
「俺も、またアドバーンさんに会えて嬉しいです。これからも、よろしくお願いします」
そうして、ふたりは握手を交わす。
ちょうどそのぐらいに、アリステラが歓喜の声をあげた。
「あった! ありましたわお父さま! さあ、こちらへ」
アリステラに促されるまま、稲豊は道外れの草むらの側まで足を運んだ。するとそこには、地面に寝かされた木の扉がひとつ置かれていた。
扉の正面には、見慣れたアリステラの魔法陣が描かれている。
「本当は猪車に乗せておきたかったのですけれど、魔石の干渉を恐れてここに隠したんですの。これですぐにでも、魔王国に帰れますわぁ! お父さま!」
「マジか!? さすがはアリス、抜け目ないな」
「イヤですわお父さまぁ。そんなに褒められるとアリステラ、照れてしまいます」
頬を上気させるアリステラの後ろで、アドバーンが手際よく扉を立てる。
「ここにもすぐにエデン兵が駆けつけてくる、急ぐのじゃシモン」
「わかりました。じゃあ申し訳ないですが、俺から行かせていただきます」
扉に入る順番で揉めていては元も子もない。
稲豊は率先して扉の前に立ち、右手を魔法陣に添える。
「………………ふー……」
もう何度もやったことなので、要領なら得ている。
呼吸を落ち着かせたのち、稲豊は扉に魔素を込めた。
数秒後、魔法陣が明滅し、準備が整ったことを告げる。
「じゃあ、失礼して」
ドアノブに手をかけ、扉を引く稲豊。
「うわぁ」
扉の向こうに、魔王国の城門が見える。
懐かしい光景に感極まりながらも、稲豊は淀みなく足を踏み出した。
『ああ、ようやく帰ることができる』
湧き上がる思いに、稲豊は胸を熱くする。
――――――そのときだった。
「ロ~~~~~~~ゼン! フ・レ・アァァァァ!!!!!!!!!!!!」
奇声のような詠唱と共に、紅球が稲豊らの周囲に降り注いだ。
「うわぁ!?」
「な、なんやコレ!?」
「マルー!!」
稲豊の眼前で魔法陣の描かれた扉が砕け散り、流れ弾に当たった猪車の上半分が吹き飛ぶ。混乱する王女姉妹たちの中心で、稲豊だけは何が起こったのかを理解していた。
「この声は……まさか……!」
稲豊は口にするなり草むらを飛び出す。
声の主は、すぐに見つかった。
「やっぱりお前か……!」
稲豊が睨みつける先に、ひとりの男が立っていた。
紅衣と燃えるような赤髪が特徴的な、エデンの天使……アキサタナ=エンカウント。
ボサボサの髪で猟奇的に笑うその姿には、かつての優美な面影などどこにも存在しない。
「見つけた……ついに見つけたぞ……我が宿敵!! お前さえいなければ……ボクは…………ボクはボクはボクはボクはボクわボクわボクわぁぁぁあぁぁ!!!!!!!!!!」
絶叫するアキサタナ。
その姿に、あとからやってきたルートミリアたちは戦慄する。
「ボクわ!! アキサタナ=エンカウント!!!! エデンの第五天使!!!! ボクに遭遇した不幸を呪うがいい!!!!!!!!!!!!!!」




