第323話 「決まらない覚悟」
『って…………なんだマリー、そんなところに隠れてたのか』
サタンが声を掛けると、マリアンヌは驚いたような表情を浮かべ、さっとキルフォの後ろへと隠れてしまう。
『あれ? もしかしてオレ様…………マリーにも嫌われてる? さすがにショックなんだが?』
『アハハ! 久しぶりに会うて、ただ照れてるだけやって。ダーリンが贈ってくれたこのドレス、めっちゃ喜んでたんやから』
『なんだよ~~! そうならそうと言ってくれよマリー!』
サタンはマリアンヌを抱き上げ、その小さな頬に頬ずりする。
『このぐらいの子は、父親との接し方がよく分からぬ子も多いからの。それが偶にしか会えぬ父なら、なおさらじゃな』
『うぐ……痛いところを……。だからこうして、今日はわざわざ招いてだな』
『ダーリンの事情は、リリやんも分かっとるって。そんなことより―――――』
『おおっと、そうだサプライズ! おお~い、ルト~~!!』
名前を呼ばれ、小猪を抱きながら駆けてくるルートミリア。
サタンはその前に、抱いていたマリアンヌを下ろす。
『父上、だれじゃ? このむすめは?』
マリアンヌを見て、小首を傾げるルートミリア。
『エステラのことはお前も知ってるよな? この子はエステラの娘、つまりはお前の妹だよ』
『いもうと………』
ルートミリアは、目の前の少女を凝視した。
その好奇心の塊のような瞳に、マリアンヌはもじもじと照れた仕草を返す。
『前にマリーにはお姉ちゃんがおるて話したことあったやろ? それがこの子、ルトちゃんやで。ほらほら! 恥ずかしがってないで、ちゃんと挨拶しぃ』
エステラに促され、マリアンヌは赤面顔をゆっくりとあげる。
そして瞳を泳がせながら自己紹介を始めた。
『わ、わた………わたし………マリアンヌ………です』
『わらわはルートミリアじゃ! くるしゅうないぞ!』
目を合わせるのも難しそうなマリアンヌだったが、それは少しずつ慣れればいい。サタンはふたりの愛娘の頭に手を置いて、その微笑ましい出会いを祝福する。
『じゃあ自己紹介も終わったところで、姉妹仲良く遊んでくれるか? オレ様たちは、これから大人の話をしなくちゃいけないんでな』
『わかったのじゃ! マリアンヌ、ついてまいれ! アドバーンにいたずらしにゆくぞ!』
『え? え?』
子猪を離し、代わりにマリアンヌの手を握るルートミリア。
そしてそのままふたりと一匹は、花壇の方へと駆けていった。
『なんとも、微笑ましい光景じゃのぅ。願わくば、いつまでも姉妹仲良くあって欲しいものじゃな』
『…………だが、平和ボケしていられるほど、魔王国の現状は芳しくないのでは?』
キルフォの言葉で弛緩した空気は消え、逆に重い現実が皆の肩にのしかかった。
『魔王よ。貴方がこの国のため、誰よりも献身していることは知っている。しかし、それを承知の上でお訊ねしたい。昨今、エデンの連中に防戦一方だそうではないか』
『ちょ、ちょっとお兄ちゃん……!』
『軍部に知人がいる。一般の国民よりは、情報に通じているつもりだ。……貴方にはこの国を創った責任がある。国民を守る義務がある。本当に我々は、この国は大丈夫なのかね?』
エステラの制止を無視し、キルフォは詰問口調で問う。
サタンはその瞳から逃げるように視線を逸らし、渋々と口を開いた。
『まあ、最近エデンの奴らが調子に乗ってるのは否定しねぇよ。魔王軍が劣勢に追いやられてるのも事実だ。んで、打つ手がないのもな』
『そこまで言って良いのかの?』
『本当のことだから仕方ねぇよ。連中もそれを分かってるから、活発に攻めてきてんだろうぜ』
あっけらかんと言い放つサタンに、キルフォは毒気を抜かれたように閉口する。開き直りにも近い態度を取られては、文句を言う気も失せてしまう。
『せやかて、ダーリンがエデンにとって脅威なんは変わらんはずやで! その証拠に、大軍で押し寄せたりしてへんし』
『まだ全面戦争は考えておらんようじゃの。エデンの狙いはじわじわと兵力を削ぐこと、ついでが魔女の遺産じゃろうな』
『なに? 魔女の遺産があるのかね?』
キルフォが食い気味に訊ねると、リリトは両目を閉じて頭を振った。
『試行錯誤はしておるのじゃが、完成と豪語できるほどのものは………。成否にとにかく時間が掛かるうえ、成功率は極小。加えてわしの魔素が不足しておるからな、すまぬがまだまだ掛かりそうじゃ』
『…………守りに徹しても、この国が落とされるのは時間の問題という訳だ。しかしこの国以外に、我々が住める土地はない』
『って言われてもなぁ……。資源も兵力も向こうが上だ。絶え間なく攻められて兵たちも疲弊し、おまけに慢性的な食糧不足。せめて、もう少し時間が稼げりゃな……』
嘆息する魔王サタン。
引いては押し寄せる、波のようなエデンの攻撃が、魔王国の力を削っていく。それは魔王国の住人らの心も、少しずつ蝕んでいった。
防戦一方の現状を打破できるような奇跡。そんなものは魔王サタンをもってしても、見つけられる気がしなかった。
だがそのとき――――――エステラが何かを思いついたように顔をあげる。
『時間を稼ぐ方法なら…………ひとつだけあるやないの』
エステラの言葉にサタンは瞳を丸くし、次の瞬間にはスッと視線を逸らした。しかしエステラは、視線を追いかけるようにサタンの前に立つ。
『“五行結界”。それなら、この国を守れるんとちゃう?』
『なんだその……五行結界というのは?』
キルフォが身を乗り出して、誰にともなく訊ねる。
しかしサタンは目を逸らしたまま、吐き捨てるように言った。
『あれは…………ダメだ……。誰が考え出したかも分からねぇ、怪しい術だ。そんな眉唾もんに頼るなんて、オレ様は嫌だね』
『しかし、他に方法はないのだろう? ダメで元々、試してみればいいではないか。失敗を恐れていては、成功は手に入らないようにできているのだからな』
キルフォには、サタンの後ろ向きな姿勢が理解できなかった。
だから強い口調で迫ったのだが――――――
『五行結界には贄が必要なのじゃ。術者、つまり主様と繋がりが深き者の五つの魂。すなわち、わしら妻たちの魂じゃな』
それはリリトがサタンへ出した助け舟により、押し留められることとなる。キルフォは驚きに目を剥いたあとで、わざとらしく咳払いをした。
『ゴホン…………私もその案には反対だ。そんな野蛮な術、エステラの身内の者として認める訳にはいかんな。……うむ』
『なに日和ったこと言うてんの! このままじゃ、遅かれ早かれ魔王国はエデンに滅ぼされるんやで? やったら、この術に賭けるしかないやんか。ウチを含めた全員の妻が、五行結界には賛成しとるし、覚悟も決まっとる!』
サタンがリリトの方へ顔を向けると、リリトは小さく首を縦に振った。その様子を見て、サタンは唸りながら自分の髪をぐしゃぐしゃに撫でた。
『だぁ~~!! まだだ!! まだそのときじゃねぇ!! 五行結界は最後の手段だ。オレ様が“そのとき”だって思うまでは、ゼッタイに使わねぇからな!!』
『じゃあ“そのとき”ってのは、いつのことなんよ! 何月の何時何分!!』
『そ、それはそのだな……おまえたちが……………………』
サタンがしどろもどろに話そうとした、そのとき――――――
ざざざと、“世界”にノイズが走った。
「なな、なんだぁ!?」
過去を眺めていた稲豊は、急な世界の変化に驚きの声をあげる。
だがノイズはどんどんと酷くなり、やがて世界の色彩も失せていく。
そして世界は暗転した。




