第321話 「勇者の勘」
アモンが魔王国によって拉致されたという情報は、瞬く間にエデン軍幹部の知るところとなる。しかし軍議を開く間もなく、トロアスタはアート・モーロの西門へと足を運んだ。
「すでにアルバ殿が出陣し、北方と南方には兵を向かわせた。諸君らには、このアート・モーロの防衛にあたってもらう。階級も所属もちぐはぐな君たちだが、これは火急の任務である。容赦してもらいたい」
いつにないトロアスタの迫力に、集められた兵士たちの顔にも緊張が走る。
「外より来たる者は、誰であろうと門を通すな。拙僧が見極める。では、散!」
号令で、兵士たちはそれぞれの方向へ散っていく。
トロアスタはその姿を見届けたあとで、深く嘆息した。
そのとき、ふたつの足音が近づいてくる。
「トロアスタ様!! ア、アモン様が……アモン様が敵に捕縛されたというのは、本当なんですか!?」
血相を変えてやってきたのは、ティオスとシグオンのふたりだった。
ふたりは一様に肩で息をし、しかし真剣な眼差しでトロアスタをまっすぐに見つめる。
トロアスタはその瞳を見つめ返し、立てた人差し指を自身の口元へ持っていった。
「その件は一部の者にしか知らされていない。兵や市民たちに、混乱を与えかねないのでね。少し声を落として貰えるとありがたい」
「す、すみませんでした。でも箝口令が敷かれてるってことは…………本当なんですね?」
ティオスが訊ねると、トロアスタは渋い顔をして頷いた。
「どうやら北西の採掘場で襲撃されたらしい。魔石の採掘量が減ったので、警備の者を少なくしたのが仇となったようだ」
「北西の採掘場って……確かレトリア様が軍務で……!?」
シグオンが思い出した様子で口にし、ティオスも顔色を青くする。
「た、たしかエルも一緒だったはずだぜ! くそ! トロアスタ様、オレたちも救援に向かわせてください!!」
「ふぅむ……。しかしアルバ殿が発ったいま、これ以上アート・モーロを手薄にする訳にもいかん」
「我が隊の者は置いていきます! 拙者たちだけでもどうか……後生でござる……!!」
逼迫する事態に、シグオンとティオスは拳を握りしめて懇願する。
トロアスタはふたりの顔を交互に見たあとで、再びため息を漏らした。
「仕方ないね……。拙僧としても、アモン殿とレトリア殿を失うのは本意ではない。特別に許可しよう」
「やった! さっすが大天使様!! 話が分かるぜ!」
ガッツポーズをしたティオスは、シグオンと一緒に愛馬のいる厩舎の方へと駆け出した。だがその背中に、トロアスタが待ったをかける。
「君らはアモン殿の話を、誰から聞いたのだね?」
「ああ、それなら」
ティオスが答えようとした、ちょうどそのとき――――――
「僕だよ」
春の風のような爽やかな声が、トロアスタの背後から聞こえる。
振り返れば、そこには涼しげに笑う勇者ファシールの姿があった。
「…………ファシール殿、軍の決まり事は守っていただかねば困ります」
「ごめんごめん。彼女たちは拉致された彼とは懇意の仲と聞いていたからね、とても黙ってはいられなかったんだよ」
悪びれず笑うファシールを前に、トロアスタは片手で頭を押さえて首を振った。
「まったく、貴方という人は……。ああ、君たちはもう行きなさい。レトリア殿を頼んだよ」
「御意!!」
強い返事を残して、ティオスとシグオンは走っていった。
ふたりの姿を見送ったあとで、ファシールは「さて」と大きく背伸びをする。
その姿を見て、トロアスタは大きく目を見開いた。
「まさか……ファシール殿まで救援に向かうつもりではありますまいな?」
「ハハハ、まさか! まさか僕に限ってそんなまさか。まさかねぇ? そんな……ハッハッハ。あ~まあその、そのまさかだね」
「困ります!! さすがに拙僧らだけでは、この都市を防衛できませんぞ!」
「大丈夫だって。いまの弱体化した魔王軍に、ここを攻めるだけの戦力は残ってないよ。そんなことは、間諜からの情報で伝わっているだろう?」
トロアスタはしかめっ面をし、低く唸った。
「しかし……万が一ということもありますので……」
「ないよ。ゼッタイにね」
「勘……ですかな?」
トロアスタの問いに、ファシールは微笑みで答える。
「ならば、信じましょう。貴方の第六感は、予言に等しい」
「つまらないチカラだけどね。馬、ひとつ借りていいかな?」
「ご自由に」
軽く感謝の言葉を告げると、ファシールは西門の屯所の方へ歩き始めた。
しかし数歩ほど進んだところで、ふいに足を止める。
「そうそう、これも勘なんだけど」
「うん?」
唐突に切り出された会話に、トロアスタが首をひねる。
ファシールはくるりと優美に回転すると――――――
「解毒薬もくれないか? とびきり効果の高いやつ」
そう口にして、手を差し出すのだった。




