第317話 「キミはボクのモノ」
アモンとルートミリアが邂逅する、数分前――――――
黒いマントの揺れる背中を見送ったあとで、レトリアは洞窟の入口から少し離れた場所で、木に背中を預けていた。
「……………………はぁ……」
何度目かのため息を漏らしたあとで、レトリアは採掘場の方を見やる。
脳裏をよぎるのは、アモンが最後に残した言葉だ。
『ソトナを取り戻したいのでしょう?』
『忘れてください。あなたの為に』
アモンは気づいていた。
突然の頼みごと。採掘場という場所。エルブを引き離したこと。
あらゆる要因から、これが罠であることを察していた。
知ったうえで、アモンは洞窟の中へ入っていったのだ。
「私は……正しい道を進めているのかしら……」
複雑な感情に押し潰されそうになりながら、レトリアは再び嘆息する。
そのときだった――――――
「レトリア」
すぐ近くで名前を呼ばれ、レトリアは瞳を大きくして顔をあげる。
するとそこには、赤い服を着た男が立っていた。
「アキサタナ……!? どうしてここに……?」
そう、目の前にいたのは、三ヶ月振りに会うアキサタナだった。だが自慢の赤髪は乱れ、顔はひどくやつれている。瞳だけをギラギラと輝かせ、アキサタナは薄く笑っていた。
「キミのあとを……つけてきたんだ! やっぱり……やっぱりキミじゃなきゃダメなんだよ」
「あ、あなたはまだ謹慎中のはずでしょ?」
「キミのいない生活はもう耐えられない! キミの傍でこそ、ボクは人間でいられるんだ!!」
アキサタナは血走った目で詰め寄り、両手でレトリアの両肩を掴む。
そのあまりの力強さと強引さに、レトリアは恐怖を覚えた。
「い、痛い……! 離して……!」
「この前のことは謝る! だけどキミには、キミにだけは分かっていて欲しいんだ。ボクという人間を! 結ばれることで築ける、ふたりの幸福な未来を!!」
指が肩に食い込み、痛みが走る。
だがそれ以上に、レトリアはアキサタナの瞳が恐ろしかった。
以前のアキサタナのものではない。
常軌を逸した、狂人の瞳がそこにはあった。
「絶対に……ゼッタイに幸せにするから! だから……だからボクと…………!」
「…………やめてッ!!!!」
遂に耐えられなくなり、レトリアは力いっぱいにアキサタナを突き飛ばした。急に押され、バランスを崩しながらもレトリアを見つめるアキサタナ。その表情は、どこか驚いているようにも見える。
「ハァ……ハァ……!」
荒く息を吐くレトリアの前で、アキサタナは呆けた顔をしている。
しかし数秒後、首を傾げたアキサタナは、自虐的な笑みを見せた。
「ククク……ハハハハハ!!!! やっぱり……やっぱりあの男が良いのか……? あいつが……あいつが……あいつがあいつがあいつがあいつがあいつが!!!!!!!!!!」
狂ったように「あいつが」と繰り返しながら、アキサタナは自分の顔をバリバリと掻き毟った。皮膚が破れ、血が滴り落ちてもアキサタナは顔を掻き続ける。
その姿にレトリアが寒気を覚えたとき――――――
「よし、入口には誰もいない!」
採掘場の方から、複数の足音と声が聞こえた。
レトリアだけでなく、アキサタナまでもが声の方へ血だらけの顔を向ける。
そこには西方へ向かう、魔王の姫たちの姿があった。
姫のひとりは、背中にアモンをおぶっている。
姫たちはアキサタナらに気づくことなく、去っていった。
「…………………………アモン……? まさか……亡命する気か……?」
アキサタナは感情のない声でそう呟いたあとで、大きく表情を歪める。
「ダメだダメだダメだダメだダメダメ……! お前だけは……逃がしてなるものか……!!」
血が滲むほど強く唇を噛むアキサタナ。
ちょうどそのとき、エルブがふたりのところへやってきた。
「あら? アキサタナ……様? どうしてこのような所へ?」
三ヶ月前の件もあり、警戒した様子でエルブが訊ねる。
しかしアキサタナは『そんなことはどうでもいい』と言わんばかりに、悪魔のような形相をエルブの方へと向けた。
「アモンだ……! あいつが……亡命を企てている!! いますぐアルバ城へ援軍要請を出せ!! 奴らは西だ!! ボクは……あの男を追いかける!!!!」
アキサタナは一方的に告げ、自身の馬を繋いでいる東の入口へと走っていった。
「アモン様が……亡命? まさかそんな…………」
信じられないといった様子でエルブがレトリアの方を向くが、レトリアは伏し目がちに瞳を逸らした。昨日今日の付き合いではない。その表情から察したエルブは、瞬く間に顔色を青くした。
「アキサタナ様の言葉は、本当なんですわね! レトリア様!!」
一縷の望みをかけて訊ねるが、レトリアは何も答えようとはしない。
だからこそ、エルブはそれが真実であることを確信した。
「くっ……!!」
手にしていた書類を地面に落とし、南方へと駆け出すエルブ。
レトリアはその背中を、ただ眺めることしかできなかった。
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一方その頃、アート・モーロ北東の牧場地帯――――――
「農民、家畜、食料には手をつけないでねー。おれたちの目的はあくまで陽動だからー」
タルタルは上空を旋回するネブの背中の上から、地上に展開する兵士たちに声をかけた。
「チッ、つまらん。すべて焼き払ってしまえば良いだろう」
「今回の作戦はシモッチの奪還。ここで『いらない恨みを買うな』って、軍師さんがねー。これから仲良くするのに、問題になるからだってさー」
「ふん……人間共と和解など、くだらん」
タルタルたちはエデン軍の目を引きつけるのが任務だった。飛竜を連れてきたことが功を奏し、予想通りに援軍の要請はアート・モーロへと送られる。
あとはエデン軍が現れた頃合いに、退却を図るだけ。
「……来たな」
ネブがひとこと呟き、タルタルが南方へと顔を向ける。
見れば遥か遠方に、土煙がのぼっているのが見て取れた。
「どうやら陽動は成功したみたいだねー。じゃあおれたちも、さっさと退却――――――」
すべて計画通りに進んでいたさなか、ここでふたりにとって予想外の事態が起こる。
「なんだ……あれは?」
地上を見下ろし、動揺するネブ。
タルタルもまた、それを見て困惑した。
美しい緑に彩られた、牧場。
牧草の揺れていた広野が、ボコボコと音を立て、歪な穴が幾つも形成されていく。
半径が一メートルにも及ぶ大きな穴だ。
馬たちも突如として出現した穴に、混乱して逃げ惑っている。
しかし次の瞬間、タルタルの表情はさらに混沌を増すこととなる。
「あれは…………むしー?」
穴の奥から覗く、巨大な瞳。
やがてのっそりと、黄色と黒で覆われた胴体が持ち上がる。
そして巨大な四枚の羽を広げると、それは大空へと向けて飛び立った。
「うおぉ!? コイツは……ミツバチとかいう?」
ネブの近くを、何匹もの大ミツバチが横切っていく。
それはどうやら、ひときわ大きな個体を先頭に、西方へ向かっているようだった。
大量のミツバチたちの背中を見送りつつ――――――
「何か起きているのは…………確かだろうねー」
タルタルは漠然と、何かしらの予感を感じずにはいられなかった。




