第315話 「黙示録の獣」
「横槍はこのアドバーンの命に懸けて、阻止させていただきます」
舌打ちするアモンの前で、ルートミリアの背後に巨大な朱色の魔法陣が描かれる。床ではなく空中に描かれたそれは、バリバリと雷のような音を立てながら、ルートミリアの次の言葉を待っていた。
「汝いまその尊大なる姿を現し、我が同胞を内包せし悪鬼を支配せよ。我が呼び掛けに応え、その暴虐なる力を示すが良い!!」
ルートミリアが唱えると、膨大な魔素が魔法陣へと吸い込まれていく。やがてそのすべてを飲み干した魔法陣から、赤い何かの大きな腕が現れた。
それは猫化の大型獣のような形をしているが、大きさはライオンの比ではない。人間大はある腕が音を立てながらルートミリアの右側に落ち、次に左腕が左側に置かれた。
「これは…………なんとまあ…………」
次に出現したのは、長い首を持つ七つの頭。
ライオンのようでも、虎のようでも、熊のようでもあった。
その頭すべてが宝石を散りばめた王冠を被り、角を生やしている。
緋色の体は見上げるほど高く、アモンの位置からは視界に収まりきらないほどの巨体だった。
「我が眷属――――――黙示録の獣」
体のすべてを魔法陣から曝け出した獣は、アモンがいままで聞いたこともない吠え声をあげた。大地を揺るがす、恐ろしい咆哮だ。
七つある頭のすべての緋色の瞳がアモンを捉え、敵意を持って睨みつけている。
「…………爆破魔法!!!!」
脈絡もなく放たれるアモンの爆破魔法。
それは複数の紅玉となって獣の顔面に当たり炸裂した。
「無駄じゃ」
しかし煙の晴れたあとには、無傷の獣が、相も変わらずアモンを見据えていた。
「前口上と違わぬ能力……まさに切り札というワケですか」
「膨大な魔素を喰われるがゆえ、多用はできぬ。……が、その分の凄まじさは折り紙付きじゃ。すまぬがシモン……しばらくの間、じっとしてもらうぞ!!」
獣の頭のひとつが、蛇が襲いかかるときのように鎌首を持ち上げる。そして一鳴きしたかと思うと、その両の目が妖しく光った。
「こ、これは……!?」
獣の目が光った直後、アモンに明らかな変化が現れた。
足の先から、少しずつ色が変わり始めたのだ。
だが少し経てば、それが色の変化で収まらないことに誰しも気づく。
美しく輝き、向こう側まで透き通って見えるそれは――――――
「“魔石”……? 小官の体が…………魔石へと変貌していく!?」
足先から膝へ、膝から太腿へ。
いまやアモンの下半身は、美しく輝く魔石へと変えられていた。
「ちょ、ちょっと待ってください!! こんなものは………さすがに理不尽な…………!?」
「お前を救う為ならば、妾はどんな汚名も着よう」
腹から胸、胸から肩。
「ぐっ!! まさか…………この小官が……………………」
そして終わりの言葉を告げる間もなく、アモンは遂に頭の先まで魔石と化した。
「…………ッ……!?」
全身から汗を吹き出しながら、崩折れるルートミリア。
その背後では「役目を終えた」とばかりに、黙示録の獣が魔法陣へと帰っていく。
「お嬢様……いくらなんでも、無茶をしすぎです」
「いま……無理をせずに……いつしろと言うのだ。それに…………まだ……まだ…………これからが…………本番……」
ルートミリアは無理矢理に体を起こし、覚束ない足取りで魔石に変わったアモンへと近づく。
「シモン……すぐに…………元へ戻してやるからの? 少しの辛抱…………ッ!?」
アモンの傍に立ったルートミリアの表情が、一瞬で険しいものへと変わる。
「お嬢様? 如何がなされたのですか?」
異変を察知したアドバーンがルートミリアへ近づこうと足を踏み出したとき、それは唐突に起きた。
ピシリという音と共に、アモンの体に罅が入る。
罅は瞬く間に全身へと行き渡り、人型の魔石はやがて大きな音を立てて砕け散った。
「そんな…………バカな……!?」
驚愕するふたりの前では、さらに不可思議な現象が起きていた。
割れたアモンの魔石の残骸の上に、黒い塊が浮遊していたのだ。
それはドクンドクンと何度も脈打ち、次第にその大きさを広げていった。
「お嬢様……離れてください!」
アドバーンは後ろから肩を抱き、放心するルートミリアを黒塊から強引に引き剥がす。
ふたりはすでに、その塊が魔素によるものだと気づいていた。
そして、これから何が起ころうとしているのかも。
だがふたりの体は金縛りにあったように動かなくなり、視線は塊から離れてくれそうになかった。
「…………いやいや……」
塊はやがて人型になり、言葉を発する。
そして数秒後には――――――
「リボーーーーーーーーン!!!!!!」
大きな声と共に両腕を広げる、アモンの姿がそこにあった。
「一体……どうやって…………!?」
アドバーンが力無く言うと、アモンはケタケタと子供のように笑った。
「いや~~~間一髪でしたねぇ! 魔石へと変わる直前、この心臓だけを他臓器から切り離し、魔素で覆い守護ったのです。もちろん、修復魔法を唱えたうえでね」
得意気に語るアモンを見たアドバーンには、もはや乾いた笑みしか出てこない。
「理不尽なのは……そちらの方ではございませんか…………」
アドバーンは年相応によろよろと立ち上がると、いまだ放心するルートミリアの数歩前へと歩み出た。
右手に握った剣をおもむろに掲げる。
そして――――――
「……………………」
その手を、だらりと地面の方へ下げた。
「おやおや~? さすがに心が折れてしまったようですねぇ。まあ無理もない。小官をどうにかできると、驕ったことこそ貴方たちの罪。傲慢なる罪は、裁かなくてはいけません」
再び、アモンが黒剣を作り出す。
「…………イナホ殿、よろしいのですか?」
アドバーンが、消え入りそうな声で呟く。
「だから小官はアモンだと言っているでしょう? もういい加減に、理解してくださいませ」
黒剣を握ったアモンが、それを振りかぶったままアドバーンへと近づく。
「…………このままでは」
「しつこいですね。散り際ぐらい、潔くしたらどうですか?」
もう会話は終わりと、アモンの足が早まった。
「このままでは…………ルートミリアお嬢様は…………」
「問答無用!」
アモンが地面を蹴り、黒剣をアドバーンの頭に目掛けて全力で振り下ろす。
一瞬よりも早い、刹那の時間。
しかしそのとき放ったアドバーンの言葉は――――――
「お嬢様は…………もうすぐ…………死ぬのですよ?」
アモンの心の奥深くまで、確かに届く。




