第312話 「自分らしく」
「…………結界崩し?」
「はい」
アート・モーロの北西。
採掘場へ通じる森の小道に、アモンとエルブの姿があった。
『手伝って欲しい仕事があるの』
数日前にレトリアにそう頼み事を受けたアモンは、二つ返事で了承し、手伝いを申し出たエルブと共にこの森へとやってきたのだった。
「精霊を操り身に纏うことで、結界の術者に感知されることなく、結界への侵入が可能になりますわ。あくまで理論上のお話しですし、まだまだ実用は先になりそうですけれど」
「素晴らしい技術ではありませんか。その方法が確立されれば、魔王国への侵攻も可能になりますねぇ」
「理論上は。ですが精霊の操作には神経をとても使いますので、熟練の精霊使いでも数名が限界かと」
「精霊使いの数は限られますし、さすがに数名での侵攻は……。それにその方法だと、侵入できる時間もかなり限られそうだ」
「も、申し訳ございませんわアモン様。わたくし……期待させるようなことを」
おろおろと狼狽するエルブに、アモンは「いえいえ」と頭を振った。そしていつもそうするように、アイスグリーンの頭へと右手を伸ばす。
「向上心があり、とても素晴らしいことです。貴女のその頑張りを、小官はいつも見ておりますよ」
「あぅ……ありがとうございます、アモン様。その……嬉しいです」
猫のように目を細め、うっとりとした表情で頬を染めるエルブ。アモンはしばらくその絹糸のような髪を堪能したあとで、ふといま来た道を振り返った。
すると――――――
「ご、ごめんなさい! 遅くなって!」
息を切らしながら、レトリアが駆けてくる。
汗に濡れて張り付いた前髪を見れば、ここまで必死に走ってきたことが容易に想像できた。
「別に構いませんよ。採掘場はもう少し先ですし」
「レトリア様、夜更かしでもされたのですか?」
エルブがいたずらっぽく訊き、レトリアが恥ずかしそうに瞳を逸らす。
そして木々の合間に、三人の小さな笑い声が木霊した。
端から見れば微笑ましい、温かいひととき。
しかし次の瞬間、レトリアが「あっ!」と大きな声をあげる。
「いっけない……馬車に書類を忘れてきちゃった……!」
慌てた様子で持ち物をチェックするレトリアだが、奮闘むなしく、やはり書類は見つからない。
「採掘作業に関する書類ですか? それなら、わたくしが取りに戻りますわ。ここからなら、そんなに遠くもありませんし」
「ほ、ほんと? ごめんなさい。お願いできるかしら?」
「承知いたしましたわ。それではアモン様、レトリア様。行って参ります」
「魔獣にはくれぐれも気をつけてくださいね」
ふたりに見送られ、道を戻っていくエルブ。
その後ろ姿が見えなくなってから、アモンとレトリアのふたりは採掘場へ向けて歩き始めた。
「ねぇ、アモン……」
歩き始めてから少しして、レトリアがおもむろに口を開いた。
表情は木立の道を照らす白日とは対照的に、暗く儚げだった。
「どうしたのですか? 随分と冴えない表情をされておりますが」
「アモン……あなたはやっぱり、人と魔物は相容れない存在だと思う?」
「ふ~む、初めてお会いしたときも、似たような会話をしましたっけねぇ」
アモンは懐かしむように上を向き、右手で仮面の顎を撫でる。
そしてレトリアの方を向き、きっぱりとした口調で告げた。
「無論です。その点に関しては、小官は1ミクロン足りとも変わっておりません。魔物を根絶やしにし、エデンを平和へ導きます」
「………………そう」
抑揚のない声でレトリアはそういうと、再び歩き始めた。
それからしばらく、木々のざわめきだけが小道に溢れる。
気まずさを感じるほどの時間が流れたとき――――――
「私は…………あなたが羨ましかった」
レトリアがぽつりと呟くように言った。
「周囲の目とか、しがらみとか……。まったく気にすることなく、自分の思うがままの自分であり続ける。自分を疑わず、貪欲なまでに夢を見つめて」
下を向いているので、レトリアの表情はアモンからは見えない。
しかしその口調から、複雑な胸中を読み取ることはできた。
「私はきっと、あなたのようになりたかった………」
どこか自暴自棄のようにも聞こえる、レトリアの言葉。
アモンは彼女の心境を察し、敢えてその顔を見ないようにして声をかけた。
「だったら、そうなればいい」
「………え?」
一瞬、呆けたような顔をするレトリア。
「小官のように、やりたいことをやればいいのです。その行為がどんな結果をもたらしたとしても、後悔するよりずっといい」
その声はアモンのようでもあり、別の誰かの声のようにも聞こえた。
レトリアは神妙な面持ちで顔をあげる。
そこには仮面越しでありながら、どこか覚悟を決めたアモンの眼差しがあった。
「ソトナを取り戻したいのでしょう? だったら、その気持ちに遠慮などいらない。小官は正面から堂々と、受け止めるのみです」
「アモン………あなた………」
会話の終わりを知らせるように、採掘場のある洞窟、その入り口がふたりの前に姿を現す。
「この中で………あなたを待っているはずよ」
レトリアが告げると、アモンは小さく笑った。
「鬼が出るか蛇が出るか、お手並み拝見といきましょう」
いつもと同じように、明るく言い放つアモン。
そして先ほど宣言した通りに、アモンは堂々とその一歩を踏み出した。
途中、その背中に声がかけられる。
「ありがとう………アモン。あなたのこと……………忘れない」
感情のすべてが込められた、レトリアの声。
アモンは右腕をひらひらと振りながら――――――
「忘れてください。あなたの為に」
それだけを伝え、洞窟の奥へと消えていくのだった。




