第311話 「疑われる幸せ」
「ふぅ~やれやれ、本格的に降ってきましたか」
墓地からの帰宅中に雨に振られたアモンは、濡れ鼠になりながらガーデン・フォール城へと飛び込んだ。湿度の高い日の雨は、肌にまとわりついて気持ちが悪い。アモンは即座に乾燥魔法を自身と衣服へ施し、すべての水滴を払った。
「んん?」
そのとき、アモンの視界に興味を引く光景が入り込む。
「キナコ嬢の前に立つのは…………キルフォ卿?」
大階段の側で、ふたりが何やら会話をしている。
親し気な様子には見えない。
「遠くて会話が聞き取れませんねぇ……。ああ、そうだ!」
閃いたとばかりにポンと手を打ったアモンは――――――
「こうして近づいてしまえば、声も聞こえるというものですね!」
遠慮など欠片もなく、ふたりの間へ割って入った。
「ア、アモンさま!? あのあの…………こ、こんにちは!」
慌てふためきながらも、恭しく頭を下げるキナコ。
そのメイド服の小さな使用人を微笑ましく感じつつ、アモンは挨拶を返した。
キルフォはというと、憮然とした顔でアモンを見つめている。
「何だか珍しい組み合わせですねぇ。いったいどんな密談を?」
「……このような人目に付く場所で、密談をする間抜けがいるか。彼女には、貴様がいつ城へ戻るのか訊いていただけだ」
「ほぅ、なるほど。ではキルフォ卿は、この小官に用事があったわけですね? それは失礼いたしました。では、また来週」
そそくさと去ろうとしたアモンのマントに、キルフォの右腕が伸びる。
「貴様に話があると言っている」
「冗談ですよ、仕方ありませんね……。立って会話もなんですし、場所を移しますか?」
キルフォは掴んでいたマントを離して、承諾の意思を見せる。
「じゃ、じゃあキナコはお務めにもどらせていただきますね。失礼します。アモン様、キルフォ様」
再び頭を下げ、小走りで去っていくキナコ。
アモンたちはその後ろ姿を見送ったあとで、西塔にある書庫へと移動した。
「まあ、かけたまえ。紅茶も酒もないが、椅子ならば余るほどある」
「ではお言葉に甘えて」
丸テーブルを間に挟み、椅子へ腰を下ろすふたり。
いつも通り、他の誰の姿も見えなかった。
「魔女の書庫に関しては、確かお伝えしたはずですよね?」
時を遡ること、三ヶ月前。
アモンはトリシーと会話をする前に、すでにキルフォへの報告は済ませていた。
魔女の書庫の中身を知った当時のキルフォは、肩透かしな内容を聞いても表情を変えることなく、これまで会話らしい会話をする機会もなかった。
だから取引は終了したものと思っていただけに、今日のキルフォの行動にアモンは少なからずの驚きを覚えていた。
「その件ではない」
「では、何を? ただ世間話をしに来たわけではないでしょう?」
アモンが訊ねると、キルフォは目を伏せる。
そして少しの沈黙を嗜んだのち、面を上げた。
「もう一度、君と取引がしたい。次は魔王国に関しての情報が欲しい」
「魔王国の? しかし卿は政治への関わりも、軍部への介入もできないのでは?」
「だからこそだよ。このまま古書のカビに侵されるよりも、日の目を見て我が存在を誇示したい。腐っても宰相だ。エデンの為、少しでも敵国の情報が欲しいのだ」
キルフォは焦りにも苛立ちにも似た瞳を、アモンへと向ける。
「報酬ならば相応のものを払おう。同じ亡命した者同士、この国に貢献しようではないか」
立ち上がり、右手を差し出すキルフォ。それは誰が見ても握手を求めているものだったが、アモンはその手をただじっと見つめた。
そして、静かに視線を上げる。
「条件がひとつあります」
「良いだろう。何かね?」
「その右手…………舐めさせていただいてもよろしいですか?」
アモンが口にした途端、キルフォの眉がピクリと動いた。
ふたりの視線が、いくつもの思惑を乗せて交差する。時間にして十数秒後、キルフォは差し出していた手を無言で下ろした。
その所作を見て、アモンは確信する。
「やはり真っ赤なペテンでしたか。本当はこの国に貢献するつもりなど、毛頭ないのでしょう?」
「………………………………」
「しかも卿が知りたいのは、魔王国のことじゃあない。魔王国への質問にかこつけて、聞きたかったのでしょう? 卿の姪である、マリアンヌのこと」
キルフォは険しい表情のまま、沈黙を続ける。
しかしその行動自体が、認めているも同義だった。
「申し訳ありませんが、教えるわけにはいきません。小官はまだ卿のことを信じられませんし、情報が離反の切っ掛けになるのもいただけない」
アモンは明快に告げると、椅子から腰を上げる。
「一度、裏切った者は、再び裏切らないとも限りませんからね。残念ですが、今回はご縁がなかったということで。卿の今後の活躍と成功を祈っておりますよ」
手をひらひらと振りながら、キルフォに背を向けるアモン。
そのまま書庫を去るつもりだったが、去り際にかけられた言葉で、アモンは足を止めた。
「…………いま、何か言いました?」
「貴様が変わったなと言ったのだ。よりエデン軍人らしくなったじゃないか」
キルフォ渾身の嫌味だったが、アモンは不快な顔をするどころか、さも愉快そうな笑みを浮かべる。
「当然ですとも。小官はこのエデンの――――天使なのですから」
嫌な笑みを残し、今度こそアモンは書庫を去って行った。
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ひとりのメイドが、大きな屋敷の廊下を歩いている。
彼女が両の手で押しているのは、食事を乗せたワゴン。
大きな銀製のクロッシュの中では、豪華な料理たちが披露の機会を今か今かと待ちわびていた。
「お食事をお持ちいたしました」
ある部屋の前で足を止めたメイドは、ノックしたあとで扉の向こう側へ声をかける。しかし、何の反応も返ってはこなかった。
「失礼します」
メイドは誰も見ていないのに頭を下げ、ワゴンと一緒に部屋の中へと入っていく。雨天であることとは別に、部屋の中は妙に薄暗い。それは部屋のすべてのカーテンが閉じられているからなのだが、メイドは特に気にする素振りは見せなかった。
「天使様、昼食の時間でございます」
メイドが大きなベッドの方へ声をかけると、その上にいた影がもくりと体を起こす。
そして――――――
「食欲が…………ないんだ」
「でも最近、あまり食事を摂られてはいない御様子。魔素が枯渇しては、さすがの天使様も」
「いらないと言っているだろう!!!!」
ベッドで寝ていたのは、頬がこけ、目の下に大きなクマを作ったアキサタナだった。アキサタナは血走った目でメイドを怒鳴りつけ、側に置いてあったガラスのコップをメイドへと投げつける。
しかしコップはメイドではなく壁に当たり、激しい音を立てながら砕けて散った。
「私ごときが出すぎた真似をして、申し訳ございませんでした」
メイドは不快な顔をするどころか、微笑みながらコップの残骸を拾い集めた。そして拾い終わったそれをワゴンの上に乗せると、深々と頭を下げてから部屋を出る。
部屋を出たメイドは、いつもそうするようにワゴンの向きを変えた。そこでメイドは、正面にふたりの男が横並びに立っていることに気がつく。
老齢の男と、中年の男。この屋敷の元主人と、その息子だった。
「どうだったかね? 天使様の御様子は」
老齢の男が、満面の笑みを浮かべながら訊ねる。
「本日も食事は必要ないそうです」
「そうか……。だが、天使様にも何かお考えがあるのだろう」
「天使様のお考えは、我々のような凡愚には想像もつかないものだから」
老齢の男と中年の男は、微笑みを絶やさぬまま頷き合った。
そして幸せそうに笑いながら、踵を返し去っていく。
廊下と扉一枚を隔てた私室にいたアキサタナは、その笑い声を耳にして、呻きながら枕へ自らの顔面を押しつけた。
「うぅ…………! 笑うな……微笑むな……笑顔を浮かべるな……!!」
枕元に、アキサタナを崇拝する者たちが立っていた。
その誰もが貼り付けたような笑みを浮かべ、口々に称賛の言葉を投げかける。
「黙れ黙れ…………!! ボクを疑え……怒鳴れ……叱れ……殴れ……!! 人間だ……ボクは人間だ……! 好きで天使になんかなったわけじゃない……!!」
信者たちの姿は、いつの間にかレトリアの姿へと変わっていた。
「やっぱり……やっぱり君じゃなきゃダメだ……! ボクを人間扱いしてくれる……君で……君でなければ……!!」
そして最後には、アモンの姿へと変わる。
「…………お前さえ…………お前さえいなければ…………!!!!」
アキサタナは枕を引き裂き、呪いの言葉を吐き続けるのだった。




