第310話 「ジャーナリストの末路」
慰労の会の翌日、アモンはアート・モーロのとある場所を訪れていた。
墓石が整列するそこは、天国の門と呼ばれる広大な墓地。曇天であることも相まって、いつも以上に物悲しい雰囲気が漂っている。
アモンはひとつの墓石の前で足を止め、持参してきたリリウムの花をそっと供えた。
「あれ? アモン様?」
そのとき、聞き覚えのある男の声が、アモンの動きを止める。アモンが声の方へ顔を向けると、そこには少し驚いた表情をした、トリシーの姿があった。
「おや、お久しぶりです」
「レトリア様の婚約事件以来っスね」
「その説はどうもお世話になりました」
「いやいや、こちらこそ報酬の金貨で豪遊させていただきましたんで! あんなに高い酒を飲んだのは、生まれて初めてだったッスよ!」
トリシーはイッヒッヒと笑ったあとで、ふいに真顔へと変わった。
そしてアモンから視線を外し、その横の墓の方へと顔を向ける。
「このお墓って、イヴ=ラインウォール。つまり勇者様の奥様のものですよね? どうしてアモン様がお参りに?」
記者の性からか、疑問はぶつけないと気が済まない。
トリシーは好奇心を隠すことなく質問する。
「面識はないお方なのですが、彼女の息子殿には以前とても世話になりましてね。墓前に来れない彼の代わりに、小官が花でも供えようかと。少し回りくどい、恩返しのようなものです」
「イヴ様の息子さんって、もしかしてアドバン=ラインウォール?」
「おや、ご存知でしたか。さすがは敏腕記者」
アモンが感心したとばかりに頷くが、トリシーの表情には驚きの感情しか浮かんではいなかった。
「そりゃあ知ってますよ! 魔王国に亡命したエデンの大罪人。しかも魔王の右腕として、エデン軍に弓を引いているんスから! そんな御方と、アモン様はどこでお知り合いに?」
「少々、昔に縁がありましてね。あまり気にしないでください。軍の秘匿事項ですので」
「うぐっ!? わ、わかったッス。あまり気にしません!!」
アモンが魔王国にいたことは、関係者以外には重要機密となっている。それを無理に暴こうとしたならば、その者はエデン軍によって拘束され、場合によっては更生施設へと送られてしまうのだ。
それを知っているからこそ、トリシーはぶんぶんと首を振って了承するほかなかった。
「トリシー、あなたこそどうして墓地に?」
「調査とかじゃないッスよ。おれっちもアモン様と同じで、墓参りッス。今日はウチの爺さまの命日でして」
そう語るトリシーの表情は、どこか物憂げだった。
「爺さまは初代トリシー。新聞社を創業した偉大な人だったんスよ。保守的な考えの親父と違い、物凄く行動的な人で、取材に出かけたらひと月ぐらい帰ってこないのもしばしば」
「へぇ、なかなか情熱的なお人だったのですね」
「ええ。おれっちはそんな爺さまのことを尊敬していて、いつかあんな本物のジャーナリストに成りたい! なんて夢を持ってたりしてるんスけど」
そこまで口にしたところで、途端にトリシーの表情が暗くなる。
その先を語ることを、躊躇しているように見えなくもなかった。
「ある日、爺さまは『取材に行ってくる!』といつものように出かけて、ガキのおれっちもその背中を見送ったんですけど……。夜になっても帰ってこない。珍しいことでもないんで、家族の誰も気に留めなかったんですが…………」
トリシーは曇天を見上げ、その灰色の空へ向けて、ため息をひとつ吐き出した。
「翌朝、死体で見つかりました。ガーデン・フォール城を囲うあの湖に足を滑らしたとかで、見回りの兵が見つけたときには……冷たくなってたそうッス」
「それはそれは…………申し訳ありません。どうやら聞いてはいけない質問だったようですね」
「いえいえ、お気になさらずッスよ。もう昔のことですし、危険な場所には自分から飛び込む記者だったッスから。いつかこういうことになると、親父も呆れてたぐらいで! ハッハッハ」
あっけらかんと笑うトリシーだが、その笑い声にはいつもの明るさはなかった。
「しかし、あなたは納得がいっていない」
アモンが告げると、トリシーはぎくりと笑うのを止めた。
そして恐る恐る、アモンの顔を見る。
「ど、どうして……そう思うんスか?」
「簡単な推理ですよ。あの湖で溺れたということは、お爺さんは十中八九……ガーデン・フォールに取材ないし調査に向かったのでしょう。そしてあの城に向かったということは、対象はエデン軍関係者に他ならない」
トリシーは無言のまま、アモンを見つめる。
「あくまで想像ですが、彼は何かを知ってしまったのではないでしょうか。絶対に口外できない……誰かの秘密を」
「誰かって…………誰ッスか?」
「さあ、そこまでは。しかしヒントなら、ひとつだけあります。お爺さんが何を取材していたのか? あなたは何かご存知なのでは?」
アモンが訊ねると、トリシーはごくりと喉を鳴らした。
その表情には葛藤が見て取れ、頬には大粒の汗が流れる。
そして、しばらくの沈黙。
だが最後には覚悟を決めた様子で、トリシーはおずおずと口を開いた。
「………………………………神籬ッス」
その瞬間、アモンの瞳がスッと細くなる。
神籬の取材中に、初代トリシーは命を落とした。
ならばもし、それが誰かの故意によるものだったなら、犯人は――――――
「なるほど、やはりこの話は聞かなかったことにしましょう」
「ア、アモン様…………!」
「あなたは友人です。納得のいっていないその気持ち、汲んで差し上げたい。しかしこの件は、相手が悪すぎる。事件を公に晒すことを、軍は良しとしないでしょう」
「ですが……やっぱりおれっちは……!」
「無論、あなたが自分で調べることは自由です。しかし、お勧めはしない。軍上層部にもし目をつけられれば、トリシー……あなたもお爺さんと同じ末路を辿るかもしれない。そしてその際の執行人は…………」
人差し指を立てたアモンは、その指をおもむろに自分の顔へと向けた。
瞬間、トリシーの表情が大きく歪む。
「重ねて言いますが、あなたは小官の数少ない友人です。できることなら、そんな非道は行いたくない。しかし、小官は天使であると同時に……軍人なのです」
「もちろん……分かってますとも……。分かって……ますとも」
消沈した声を出したトリシーは、悔しさの滲む顔を見せまいと、地面へ顔を向ける。
「それでは、くれぐれもお体に気をつけてください」
アモンはわざと明るい口調で別れを告げると、歯噛みするトリシーをその場に残して、天国の門を去って行った。




