第309話 「世界の相違点」
「この料理はですね、『昆布』という海藻を使った料理なのです」
「コン…………ブ?」
「ほぅ、海藻?」
食卓を囲む皆の頭の上に、クエスチョンマークが浮かぶ。エデンでは海藻を肥料や飼料に使うことはあっても、それを人が食す文化がそもそもなかった。というのも、真水のような海で育った海藻は、無味無臭で食すのに適さなかったからだ。
「苦労しましたよ。昆布により適した環境を作るために、水槽の塩分濃度を上げ、水質を改善し、品種改良を加え……。こうして提供するのに、三ヶ月もかかってしまいました」
「しょっちゅうエレーロを借りに来てたのは、その為だったのね」
「ええ。水の上級精霊である彼女には、随分と力を貸していただきました。彼女の助力なしでは、難しかったでしょうね」
「んなことよりアモン様! 肝心の料理は? 料理は?」
まるでお預けを喰らった犬のように、ティオスが瞳を輝かせて訊ねてくる。アモンは「これは失礼」と前置きをしたあとで、ようやく目の前の料理について、説明を開始した。
「まずこちらは煮た魚の身に昆布を巻いた、スプー魚の昆布巻きです」
「へぇ~。じゃあ、このアス爺の腹ん中みたいに真っ黒なのが昆布なんだ」
「ちょっとティフレール!?」
「ホッホ、構いませんとも。ではアモン殿、こちらの肉料理は? 見たところ、普通の牛肉のようですが?」
「その通りです。どこにでもある、牛肉のサイコロステーキ。しかもこの料理に昆布の本体は入っておりません。ですが、代わりに昆布からとった『出汁』で焼いてあるのです」
再び、皆の表情に困惑の色が浮かんだ。
「出汁というのは、薬草を煮たときに出る抽出液のことですか?」
「ん~少し違います。茸・肉・野菜・乾燥した魚などからとれる、旨味成分をたっぷりと含んだ煮汁のことを指します。この昆布は、ことさら旨味成分が多く、あらゆる料理に合うのです。百聞は一見に如かず。ささ、温かいうちにどうぞ」
「それでは、いざ参るでござる」
シグオンがフォークを伸ばしたことを皮切りに、皆のフォークもそれぞれの皿へと伸びる。そしてゆっくりと咀嚼を終えたあとに、全員が驚いた表情で息を呑んだ。
「うう、美味ぇ!!!! でも美味ぇだけじゃなくて、なんつーかこう…………」
「力が……魔素がみなぎってくるでござる!」
目を爛々と輝かせるシグオンとティオス。
しかし瞳を輝かせたのは、他の者も同様だった。
「この昆布に巻かれた魚……。すごく……深い味わいがするわ」
「あんま魚って好きじゃないんだけど、これなら全然イケちゃう。マジでバリうま、さっすが先輩」
レトリアもティフレールも、昆布巻きを美味しそうに頬張っている。
「拙僧はこのスープが気に入った。こんなにも透き通った色なのに、得も言えぬ余韻がある。温かく、そしてどこか懐かしい味わいだ」
「それは昆布の出汁で作った『吸い物』。シンプルながら飽きが来ず、口内リセット効果のおまけ付き。和食における、名脇役といったところでしょうか」
感心するように何度も頷くトロアスタのとなりでは、エルブがパリパリと小気味の良い音を立てながら、四番目の料理を味わっていた。
「この何とも言えない食感、たまりませんわ」
「それは出汁をとった昆布を炒め、塩と砕いたクロルの実を混ぜ合わせたもの。水分を極限まで飛ばしているので、お菓子のようなパリッパリの食感になります。酒のツマミとしてもベストです」
今回アモンが用意したのは、昆布を使った四つの料理。そのどれもが評価は上々で、そこかしこから兵士たちの感嘆の入り混じった声が聞こえる。
「さすがは魔女の遺産。他の天使たちにも、味わっていただきたいですな」
「確かに、この素晴らしい料理をわたくしたちで独占するのは、何だか気が引けますわね」
「でも勇者様はいつもどこにいるか分かんねーし、アルバ様は声をかけられる空気でもねーしな。アキサタナの野郎は…………と」
そこまでを口にして、ティオスがしまったと言わんばかりに鼻白む。
三ヶ月前のこととはいえ、あの婚約事件は皆の記憶に新しい。ティオスは叱られた小動物のような上目遣いをレトリアへと向けるが、当の本人は『気にしていない』とばかりに微笑んでいた。
「良いのよ別に。アキサタナはもう罰を受けたし、あのおかげで色々と吹っ切ることもできたしね」
「自宅謹慎処分と軍の指揮権の剥奪……だっけ? あーしとしては、もうちょっと重い罰を期待してたんだけどな~」
「まあまあ、彼も神に選ばれし貴重な天使の器。いずれ目を覚ますときも来るでしょう。そんなことより、いまは別の話題に興じたいですな。そう、例えばアモン殿の元いた世界のことなど」
「小官のことですか?」
この数ヶ月で、アモンが異世界人であることは周知の事実となっていた。リリトと同じ地球の出身であることに悪感情を抱く者もいたが、『世界は広いのだ。色々な人間がいるだろう』と、大半はそのことを気にも留めなかった。
「確か、魔法が存在していないとか」
「ええッ!?」
トロアスタの言葉に、ティオスが驚きの声をあげた。
「じゃ、じゃあ怪我したときとか、むちゃくちゃ不便なんじゃ?」
「ええ、もちろん不便です。医術や技術はこの世界よりも進歩していますが、それは道具や技術者があってのこと。ひとりのときに大怪我をすれば、取り返しがつかないことも良くあります。まあ、その不便さが発展に繋がったとも言えますが」
「そうですわね。たしかにわたくしたちには魔法がありますが、その力に頼り過ぎて、発展は遅いのかもしれませんわ」
「あーしは便利な道具よりも、魔法の方が性に合ってるけどね。あーでも、魔素を喰うのはちょっと癪かなぁ」
魔素を大量に消費すれば、凄まじい疲労感に襲われる。
ティフレールはその感覚を思い出し、不快そうに頬杖をついた。
「小官の元いた世界に魔素はありません。しかしその代わりに、食物には栄養素があったのです」
「栄養…………そ? とは何でござるか?」
「たんぱく質・脂質・炭水化物……エトセトラエトセトラ。人体を動かすために必要なエネルギー。小官の世界では、カロリーと表現することもあります」
「私たちのこの世界には、そのエネルギーがないってことなの?」
レトリアの問いに、アモンは首を横に振る。
「まったくないのではなく、食物に含まれる栄養素が限りなく少ない。生門と死門の器を除けば、この世界の人間は、小官の世界の人間とほぼ同じ肉体構造をしているにも関わらずです」
「ふむ、ならばなぜ我々は栄養失調にならず、こうして生きているのかね?」
「そこが面白いところで、この世界の食物に栄養素はほぼない。しかし、代わりに別のエネルギー源が含まれていたのですよ」
いつの間にやら異世界についての講義のような時間になり、皆が真剣な表情で向かい合っていた。
「わかったわ! 【魔素】ね?」
「その通り」
アモンが頷くのを見て、トロアスタも感心したように頷いた。
「なるほど、魔素がそのカロリーとやらの代わりをしていると?」
「そうです。食物に含まれた魔素を摂取することで、生きていくうえで必要な栄養を、魔素が補う働きをしているのです。だからこの世界の人間は、基本的に栄養失調になることがない。無論、魔素が足りなければ話は別ですが」
「つまりは魔素は私たちの想像以上に、万能なエネルギーってわけね」
深く考えたことのなかった、魔素という見えざる存在。
レトリアはその神秘的な力を不思議に感じながら、神妙な面持ちでテーブルへ視線を戻した。
そして――――――
「ああ!? 私の昆布巻きがない!!??」
「気付くのおっせーのね、レトリアちゃん。もうとっくにあーしのカロリーになっちゃった」
「ティフレール! あなたって人は…………!!」
そんなやり取りを経て、食事会は滞りなく終わりを迎える。
アンケートの結果も上々で、アモンはホクホク顔で皿を洗っていた。
「アモン様、このような雑事……わたくしたちにお任せくださればよろしいのに」
「良いのです。小官がやりたくてやっているのですから。むしろ貴女たちに手伝わせて、申し訳なく思っておりますよ」
「本日は非番ゆえ、お気になさらずでござる」
皿洗いも調理のときと同じく、流れ作業で片付けていく。
軍務で去ったトロアスタと、『面倒だから』といなくなったティフレールを欠いてはいるものの、洗浄済みの皿はみるみるうちに積み上がっていった。
「アモン様、食後に出した蜂蜜酒のことなんだけど」
ティオスが何かを思い出したように、アモンに声をかける。
「どうかしましたか?」
「いやあの、オレは時々その、蜂蜜を買いに牧場の方に行くんだけどさ」
「量が限られているので、かなり高額になっているはずですが。懐は大丈夫なので?」
「結構な額をツケに…………ってそうじゃなくて! 蜂たちの様子がおかしいって、担当の奴が言ってたんだよ。なんかここ最近、変に落ち着きがなくなってるって」
「ふーむ、それは初耳」
アモンは顎に手を当て、しばらく考える素振りを見せる。
しかしすぐに顔を上げ、小さく笑った。
「恐らくは魔王の存在、それが消えかかっていることに起因している。なるほど、蜂たちは魔王の血に従うように命じられているのか……。くくっ、ならばもうすぐ小官は…………」
「……? アモン様?」
「ああ、いえ……こちらの話です。報告ありがとうございました」
日増しに薄くなる魔王の存在。
完全に消失するのは、もはや時間の問題だった。
そのとき初めて、アモンは完全に解き放たれる。
「…………………………」
レトリアは皿を乾いた布巾で拭きながら、薄く笑うアモンの姿を眺めている。そして誰にも聞こえないほどの、小さなため息をこぼしたあとで、意を決したように口を開いた。
「アモン、あなたにお願いがあるのだけれど」




