第307話 「あるレトリアの日常」
コン……コン……。
窓に小石が当たるような軽い音が、私を微睡みから解き放った。
私は「ふわぁ」と短い欠伸をしてから、ベッドを降りる。
「今日も来たのね」
カーテンをスライドさせ、部屋に光を入れる。
でも目的はそこではなく、小さな来訪者を迎え入れる為だった。
まだ夜の名残のある、霞がかった早朝。
薄く白んだ窓の外に、手のひらに収まるほどの小さな鳥が立っていた。
「おはよう。朝から働き者ね」
私がそう言いながら窓を開けると、小鳥は嬉しそうに部屋に入ってきて、くるくると部屋の中を飛び回った。やがて疲れたのかベッドの端に止まり、毛繕いを始める。最近ではこの光景も、見慣れたものになっている。
頭を人差し指で撫でると、目を細める姿が愛らしい。
だけど、こうしていつまでも遊んでいる訳にもいかない。今日はそれなりに忙しかった気がする。
「ごめんね。また今度、遊んであげるから。あ、ご飯は噴水のところね」
私の言葉を理解しているのか、小鳥は素直に入ってきた窓から出ていった。噴水の側に置いてある器、その中に小さな豆を入れている。もうすでに啄んでいる頃に違いない。
「さあ、私も朝ご飯を食べないとね」
手早く服を着替え、食堂へと向かう。
そこには既にカナンがいて、テーブルには朝食が並べられていた。
「いつもご苦労さま。それにしても、よく私がこの時間に来ると分かったわね?」
「毎日お嬢様を見ているのです。それぐらい分かりますとも。特に最近のお嬢様はこのカナンめが起こしに行かずとも、ご自身の力でご起床なされている様子。ううっ……カナンは感無量にございます」
「ただ朝に起きただけで大袈裟ね」
本当は起こしてくれた子がいるんだけど、それは秘密。
「ごちそうさま」
少し多めの朝食を終わらせ、いったん部屋に戻り、支度を済ませて家を出る。私を見送るカナンに手を振りながら、私はガーデン・フォール城に向かう馬車に乗った。
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「う~~~~~~む、どうしようかな…………」
定例報告を終えた私が城の中庭を通り過ぎたとき、誰かの悩んでいるような声が聞こえた。声の方へ視線を送ると、難しい顔をした勇者ファシールがいた。彼は瞑想中みたいに瞳を閉じ、中庭の芝生の上に両手と両足を広げて寝転んでいる。
見る者によっては、眠っているように見えなくもない。
好奇心に駆り立てられた私は、声をかけてみることにした。
「あの、何かあったんですか?」
「んん? やあ、レトリア君じゃないか!」
ファシールは瞳を大きく開くと、軽やかに体を起こした。
「ここだけの秘密なんだけど、大聖堂の入り口に大天使の大きな像を作る計画があるらしくてね。アスタにどんな姿勢で作ろうかと訊かれたのだよ。しかし、それがまったくピンと来ない」
「はぁ……」
「勇者として雄々しいポーズを取るべきか、それとも聖堂なのだから荘厳な感じがベストか、はたまた紳士で謙虚な姿勢をするべきか?」
真剣な表情をしていた割りに、悩みはそれほど大きなものではなかったようだ。本気なのか冗談なのか、この大天使様はいつも掴み所がない。
「僕としては、このポーズが気にいっているんだが、どう思うかな?」
そう言って彼が取った姿勢は、お世辞にも格好が良いと呼べるものではなかった。むしろ酷いと断言しても良いほどに、センスがない。
「そ、それは止めておいたほうが…………」
「う~~~む、アスタにも同じことを言われたよ。やはりこのポーズはいただけないか。そうだ! レトリア君はどんなポーズが良いと思う? 君の意見を聞かせてくれないか?」
唐突に訊ねられたが、いままで生きてきて像の取る姿勢など考えたことがない。でもさっきのポーズを否定した以上、ここで案を出さないのも気が引けた。
「あの……剣を掲げた姿勢はどうでしょうか? 武闘会の開会式で取ってたその姿勢が、とても勇ましかったので……」
「……………………なるほど! 確かにあのポーズは僕も気に入っていたんだ! ありがとう。君のおかげで、素晴らしい像が出来上がりそうだ!! それでは僕は、早速アスタのところへ行ってくるよ!」
私の返事も待たず、ファシールは風のような速度で去っていった。
いったい、この時間は何だったのだろうか?
「あ! いけない! このあと剣の訓練があるんだった」
私は待たせていた馬車に急いで乗ると、次の目的地である訓練場を目指すのだった。
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「勝負あり! 勝者レトリア!」
剣術師範が右腕を上げ、私の勝利を宣言する。
「いたた…………」
「ごめんなさい。怪我はない?」
私の木刀の突きで尻もちをついた相手に、手を差しだす。
彼女は少し躊躇している様子を見せたけど、やがて観念したように私の手を取った。
そのとき、誰かの拍手が私の耳に届く。
「すごいねレトリアちゃん、五連勝。前とはまるで別人じゃん?」
「ありがとうティフレール、いまなら貴女にだって負ける気がしないわね」
「言うじゃん。ならやってみる? もし勝ったら、あーしのことティフって呼ばせてあげる」
「別に呼びたくないわよ!」
バチバチと火花を散らし合う私たち。
でも不意にティフレールの方から視線を切らした。
「ああ~~と、マジもうこんな時間じゃん。ごめんねレトリアちゃん、このあとであーし行くとこあったのよ」
「なによ急に」
「ぜってー外せねぇイベントなの。レトリアちゃんも行く?」
「イベント? 一体、そんなものどこで……?」
ティフレールは意味深に笑うと、人差し指を立ててある場所を指さした。
「あそこ」
それはこの訓練場から目と鼻の先の場所、大きな兵舎だった。
確かに今日は人の出入りが多いと思ってはいたが、何かのイベントがあるなんて知らなかった。
少し心を惹かれた私は、ちょっとだけ付き合うことにした。剣術師範と挨拶を済ませ、ティフレールと並んで兵舎へ向かう。どこか浮かれた様子の彼女から察するに、調練の類ではなさそうだ。
「こっちこっち! 一階の奥よ」
「え? でもそっちは」
兵舎一階の奥……。
そこは確か食堂になっていたはずだけれど。
でも確かに、食堂に近づけば近づくほど、賑わいの声が大きくなっていく。
「これって…………」
食堂に入った私の目に、最初に飛び込んできた光景は――――――
「さあさあ、いらっしゃいませ! 新作メニューの出血大サービス!! なんといまだけお代は無料!! 本日だけの早い者勝ち! お一人様、セットはひとつまででお願いしますね~」
厨房から声をあげる、アモンの姿だった。




