第306話 「最後の覚悟」
三ヶ月後――――――
魔王国、魔王城の屋上。
見晴らし台となる城壁の上からは、モンペルガの街が一望できる。
突き抜けるような青空の下、ルートミリアは静かにその景色を眺めていた。
「………………」
燃え盛る炎によって、あらゆるものが灰へと変わった貴族街。三ヶ月が経過したいまでさえ、復興の目処はまったくたっていない。それどころか大半の貴族は方方へと逃げ去り、瓦礫の山を撤去したところで、そこに住む者も現れそうになかった。
だが酷いのは貴族街だけではない。
かつて活気に溢れていた商店街も、買い物カゴを片手に歩く魔物の姿が消え、景気の良い声で野菜を売る商人の姿が見えなくなった。ある者は街を離れ、ある者は魔王を失ったショックで活力を失い、昼間だというのに家から出ようともしない。
「父上の偉大さが身に沁みるの」
魔王国はもはや、国としての体を成していない。
かつての力を取り戻すには、どうすれば良いのか?
ルートミリアは、その答えを知っていた。
「……………………行くか」
城下町の景色から視線を離したルートミリアは、下へ降りようと振り返った。しかしそこで、ピタリと動きが止まる。
「ハァ……ハァ……ハァ…………!」
視線の先に、息を荒くして立つマリアンヌの姿があったからだ。自分を探して、あちこち走り回ったことは容易に想像ができた。
「や、やっと……ハァ…………見つけた!」
「何用じゃ? と、まあ察しはついておるが――――」
「連れてって!!」
マリアンヌの真剣な眼差しが、ルートミリアを捉えた。
「………………マリー、もし万が一お前までやられてしもうたら、誰が魔王代理の跡を継ぐというのだ。それほど、今回のは危険なものになる」
「知ってる! でも、だからって待っとるだけなんてイヤや!」
数ヶ月前の奪還作戦が、マリアンヌの頭をよぎる。
信じて待ち続けていたが、それは最悪の形で裏切られた。
「もうあんな想いをするのはイヤ! ハニーも……姉妹まで失ったウチが……この国が!! また立てると思う? 大切な皆がいなくなって、ひとりぼっちになって…………それでも頑張れるほど!! ウチは…………強くない…………」
「マリー…………」
その気持ちは、想像するだけでルートミリアの胸を抉った。もし自分が同じような立場だったとしても、やはり同じように懇願するに違いない。
ルートミリアは長い息を吐いてから、首を小さく縦に振った。
「分かった、共に行こうマリー。妾と共に、シモンを迎えに行こう」
表情をばあと明るくし、頭が取れそうなほど頷くマリアンヌ。その脇を通り抜け、ルートミリアは屋上と階段を繋ぐ扉を開ける。もちろん、後ろからマリアンヌも付いてきている。
そうしてふたりで階段を降りていると、その先の廊下で他の姉妹たちが待っていた。
いつもと変わらず、微笑むアリステラ。少しやつれた様子の、ウルサとクリステラ。小さな鳥を愛でながら、厳しい顔をするソフィア。それぞれ様子は違えど、その瞳に宿る覚悟は同様のものだった。
「準備は?」
「無論、できてる」
質問にソフィアが即座に反応する。ルートミリアは一度だけ満足そうに頷くと、キッと表情を引き締め、ある場所を目指し歩き始めた。
それは魔王城一階の玉座の間。
そこには数百名の兵士たちと、アドバーン、何名かの使用人。そしてネロやタルタルやライト、そして大臣のシフやその息子のネブの姿もあった。
「皆の者、待たせたの」
玉座の前に立つルートミリア。
その横に並ぶ、五名の王女姉妹。
兵士たちの顔に、緊張の色が浮かぶ。
「なんじゃ……ほとんどが妾の親衛隊ではないか」
魔王代理を選ぶ際、ルートミリアの黒歴史となった所信表明。その失敗を見たにも関わらずルートミリアを選んだ兵士たち。貴族と一緒に逃げた兵士も多いなかで、彼らは親衛隊として鍛錬を続けてきた。
「くるしゅうない。皆、肩の力を抜くが良い。此度の戦……いや、戦と呼ぶには烏滸がましいほどの小さな作戦じゃ」
ルートミリアの言葉で、少しだけ兵士たちの緊張が解ける。
「約三ヶ月、シモンの奪還を何度か試みたが、そのすべては失敗に終わっている。だが、悲観することはない。此度の作戦は、これまでより確実なものとなっている。……とはいえ、成功の確率は良くて五分といったところじゃ」
悲観的な確率を耳にしても、表情を変える者は誰もいない。
もう久しく成功を見ていないのだ。尻込みする段階はとうに過ぎている。
「これが最後の奪還作戦になるだろう。皆その覚悟で、それぞれの任務に従事して欲しい」
しんと静まり返った玉座の間に、ルートミリアの声だけが反響する。
「どれだけ困難な作戦であろうと、妾は逃げたりせん! だから皆も、力を貸せ! そうすれば必ず上手く行く。妾を信じて…………我に続け!! 我らの力で、我らが魔王を取り戻すのだ!!!!」
その瞬間、割れんばかりの咆哮が兵士たちの口から上がる。
歓声はすべての不安を吹き飛ばし、奮い立つ勇気を皆に与えた。
「出陣じゃ!!!!」
そう高らかに宣言をしたルートミリアは、玉座の間を出て魔王城の大門へと向かう。そこには移動用の猪車が待機している手筈になっている。
「さすがはルートミリアお姉さま。凛々しくて美しい号令でしたわ!」
アリステラがうっとりとした様子で話しかける。
その言葉に鼻を高くしたルートミリアは、小さな胸を大きく張った。
「このぐらい当然じゃ」
「台本を書いたのはオレだけどな」
「うっ…………」
ソフィアに梯子を外され、ばつの悪そうな顔をするルートミリア。
そんなふたりの前に、両翼を広げたウルサが立ち止まる。
「本当に成功するんだよね? この作戦。さっきは五分だって言ってたけど……」
「成功するしないではなく、させるのです。この命に変えてでも、お父様は取り戻します」
ふたりの代わりに答えたクリステラの目は据わっている。
その有無を言わさぬ覇気に、ウルサは同調するような頷きを見せた。
「そういえば台本と少し違う部分もあったな。『これが最後の奪還作戦になる』。そのぐらいの気概はもちろん必要だが――――――」
「気概…………ではない」
ソフィアの言葉を、ルートミリアが遮る。
そのどこか暗い声色に、皆の視線がルートミリアへと集中した。
「恐らく……これが最後じゃ。次はない」
ルートミリアの顔は、とても嘘をついているようには見えない。
「な、なんで分かるん?」
恐る恐る、マリアンヌが訊ねる。
そこで『冗談じゃ』と笑ってくれたなら、場も少しは和んだかもしれない。
しかしルートミリアの表情は依然として真剣なもので、彼女が次に放った言葉の中にも、おどけたニュアンスは微塵も含まれていなかった。
「感じる。シモンの存在が……消えかかっておる。もう一刻の猶予も無いのだと、妾の六感が告げておるのだ」
それは皆の頭の片隅にあった、最悪の事態。魔王と稲豊がアモンに吸収され、救出の可能性が完全に途絶えること。その結果を想像するだけで、姉妹らの表情に大きな影がさした。
「不安にさせてすまんな。じゃが、安心せい。我ら六姉妹が揃ったのだ、きっとどうにかなる」
ルートミリアの長女らしいひとことに、他の姉妹たちの瞳に微かな光が宿る。
「どうにかして見せる。そう、どんな手段を使っても………………な」
最後の覚悟を決めた声で言い、ルートミリアは前へと進むのだった。




