第304話 「dessert」
大きな屋敷の二階テラスに、夜の静寂を裂くような悲鳴が木霊する。
悲鳴の主は紅衣の男、アキサタナ=エンカウント。その視線の先には、憮然とした表情で立つアルバの姿があった。
「なぜ!? なな、なぜアルバ様がこここ……こんなところに……!!??」
アキサタナは掠れた声で訊くが、アルバは表情を変えることなく口を開いた。
「ここは我が屋敷だ。私がどこにいようと私の勝手だろう。そんなことより…………やってくれたな、エンカウント卿」
カツカツと足音を鳴らし、アルバはアキサタナの前まで歩み寄る。
そして燃えるような憤怒の瞳で、アキサタナを睨みつけた。
「少し前から捕虜の脱走が増えたという報告を耳にしていたが、まさか貴公が関わっていたとはな。いや、関わっていたなどという生温いものではない。私欲を満たすため……貴公自らが捕虜の脱走に加担していた。それだけでも、エデンへの背信行為に他ならぬ」
「ま……まま…………待ってください!!!! 先ほどのは……その……じょじょ……冗談のようなもので!! ええ!! ボクがそんなことをする……するわけが!! ええ!!」
これ以上にないぐらい狼狽えながら、アキサタナは両手を振り、目を泳がせる。その仕草が何よりの証明になっていることを、本人だけが理解していなかった。
「つまらん言い訳に耳を貸すつもりはない。貴公には軍部による取り調べを受けてもらうぞ。それが終えるまで自宅に待機していろ」
「ア、アルバ将軍…………!」
「いまこうして会話をするだけでも穢らわしい。さっさと貴様の身内らを連れて、屋敷へ帰るがいい!」
冷徹に言い放つと、アルバはくるりと背を向け、廊下の方へと歩き出す。その大きな背中に向けて、アキサタナは縋るように声をかけた。
「しし、しかし……まだパーティの途中ですし…………主役であるボクが抜けると……その…………婚約者としての体面が…………」
「…………婚約者…………だと……?」
アキサタナの言葉に、テラスを去ろうとしていたアルバの足が止まる。
そして再びアルバはアキサタナの方へと体を向けると、氷よりも冷たい視線と言葉を投げかけた。
「ベルトビューゼの血に、“狼藉者”の血を混ぜろと? 笑止、破談に決まっているだろう。『もし次に何かあれば』と、私は口にしたはず。そして貴様は見事に私の期待を裏切ってくれた。貴様にはもはや、申し開きを聞く価値すらない」
「そん……な……!? ま、まってください……! いい、一度だけ…………もう一度だけボクに機会を……!!!!」
「戯言を抜かすな。貴様は天使として、いや……人間としての禁忌を犯したのだ。禁忌を犯したお前は人間ではない。まだここに居座るというのであれば、いまこの場で貴様を切り刻み、今宵のうちにタルタロスに投獄しても構わないのだぞ?」
どこからともなく大剣を取り出したアルバは、その切っ先をアキサタナへと向ける。文字通り有無を言わさぬアルバの迫力に、アキサタナも遂に腰から崩折れた。
少しの間、呆然としていたアキサタナだったが、やがて緩慢に腰を上げると、まるで幽鬼のように歩き出す。最後に横目でぎろりとアモンを睨んだあとで、アキサタナは今度こそ夜のテラスを去っていった。
「いやぁ、凄まじい迫力…………さすがは大将軍殿」
居心地の悪い沈黙を破るように、アモンが拍手しながら賛辞の言葉を送った。しかしアルバは嬉しさなど微塵も見せることなく、アモンへ感情の無い眼差しを向ける。
そしてしばらく吟味するように眺めたあとで、おもむろに口を開いた。
「…………どうして分かった?」
「はい? 失礼ながら、何のことでしょうか?」
「とぼけるな。私が会話を聞いていたこと……それをなぜ知っていたのかと訊いている。貴様は最初から、私に聞かせるつもりであの男を誘導していただろう。それが分からぬほど、このアルバは耄碌していない」
大剣を床に深々と突き刺し、アルバは詰問口調で問う。
アモンはその視線をまっすぐに受けながら、やがてゆっくりと己の懐に手を差し込んだ。
そして、懐から一枚の便箋を取り出し、見せつけるように持ち上げる。
『タルタロス監獄の地下に秘密の通路あり。至急、調査されたし。場所はx-3345 y-421』
便箋には几帳面な字で、それだけが綴られている。
「昨夜、小官の部屋に差し込まれた手紙です。差出人の名は記されておりませんが、これ――――書いたのは大将軍殿ですよね?」
核心を突くアモンの質問だが、アルバは微動だにしない。
「なぜそう思う?」
「このような見るからに怪しい手紙、そこら辺の適当な紙を使えば事足ります。にも関わらずこの便箋、とても高価な紙が使われておりますね。差出人はある程度、裕福な人間なのでしょう」
「それだけで私だと?」
アモンは首を大きく横に振る。
「それだけではありません。厳重な警備の城に……それも夜に出入りでき、尚且つ誰にも見られず小官の部屋の前まで来ることができる人物。そしてこのタイミングでアキサタナの闇を暴きたい人物。十中八九、この婚約の関係者です」
「…………婚約を持ち掛けたのは私の方からだ。なぜその私が、わざわざ破談になるようなことをする道理がある?」
「ええ、その点については小官も頭を悩ませました。しかし、貴女が“最初から破談”にするつもりだったのなら、辻褄が合います」
そこでアルバの瞳が微かに動いたところを、アモンは見逃さなかった。
そして、確信する。
「アキサタナと縁談を結び、その愚劣さを見せつけることにより、軍属に身を置くことの厳しさを刻みつける。最初は彼女の成長を促す為かとも思いましたが、それにしては方法が回りくど過ぎます。だったら、その逆だったのではないかと考えたのです」
「貴様の話し方も回りくど過ぎるがな。はっきりと言いなさい」
アルバに剣の切っ先を向けられたアモンは、両手を上げ苦笑しつつ口を開いた。
「“レトリアが自主的に軍を離れること。”そう仮定すれば、貴女が日頃から彼女に厳しく当たっていたのも合点がいきます。どういった理由かは分かりかねますが、卿はレトリアに軍に居てほしくない。しかし大将軍という立場上、それを明言する訳にもいかない」
「何を言い出すのかと思えば…………くだらぬ邪推だ」
「本当に邪推でしょうか? 貴女はエデン建国に関わった大天使のひとりで、軍の内情も重々承知している。無論、天使という立場の重みも……。天使として日の浅い小官には、それがどういったモノかは測りかねますが」
饒舌に話すアモンに、アルバは失笑で返す。
「もういい。貴様の妄想も甚だしい話に付き合うのはここまでだ。下の客人らに事情を説明せねばならぬのでな、私は失礼する」
アルバはそう言い放つと、大剣を下ろし歩き出す。
そして廊下とテラスを繋ぐ扉の取っ手に手をかけたところで、アモンが再び口を開いた。
「天使の重みを知る貴女だからこそ、軍に親しき者を在籍させるのは、あまりに忍びなかった…………」
まだ話を止めないアモンに、アルバは風よりも早く振り返り、苛立ちに満ちた瞳を向けた。しかし、その怒りの感情は――――――
「それが“実の娘”のことならば、尚更でしょう」
アモンの言葉によって、掻き消される。




