第302話 「appetizer」
血相を変えたティオスが凶報を運んできた日から、2日。
矢のような早さで、婚約披露宴の夜がやってきた。
東区にあるアルバ邸内では豪華な飾り付けと食事が用意され、これまた高価な礼服を着た男女で溢れ返っていた。
しかし誰よりも綺羅びやかな衣装を身に纏っているのは、純白の花嫁衣装を着たレトリア…………ではなく、主賓席に腰かけているアキサタナだった。
「いやぁ~めでたい! 今日はなんと良き日なんだ! 見えるだろうレトリア? こんなにも大勢の人間が、ボクたちを祝福してくれている。さあ、君ももっと笑ってくれよ」
目の眩むような巨大な宝石が装飾された貴族服を着たアキサタナが、隣の席のレトリアに上機嫌で話しかける。…………が、レトリアは無言で顔を逸らすだけ。
しかし気分が高潮しているアキサタナにとっては、そのつれない仕草ですら、情欲を掻き立てる為の前戯でしかなかった。
「頑なな君も素敵だよ。くく、でもその態度がベッドの上でいつまで持つかな? 安心して良いよ、ボクは経験が豊富だからね」
そんなことを耳打ちされ、レトリアの背中に虫の大群が這うような悪寒が走る。鳥肌に至っては、披露宴が始まった直後から立ちっぱなしだ。
救いを求めて瞳を右往左往させるレトリアだったが、視界に入るのはアキサタナ家の者や、アルバと関わりのある貴族たちの姿。招待状が送られたはずのティオスたちだけでなく、頼もしい台詞を残してくれたアモンの姿さえどこにも見つからなかった。
「アルバ様! さあさあ、今日は飲みましょう! 上等なヒャクのワインが手に入ったんです。この瓶ひとつで馬三頭が買える代物ですよ。両家の友好の証に、ぜひ!」
アキサタナは主賓席を離れ、貴族と談話していたアルバのところへ歩み寄る。そして彼女の持つ空いたグラスの中へ、ヒャクのワインをなみなみと注いだ。
「祝いの席だ、『羽目を外すな』とは私は言わない。だがエンカウント卿、ちゃんと分かっているのだろうな?」
「…………へ?」
呆けた表情を浮かべるアキサタナに、アルバの槍のような視線が突き刺さる。
「婚姻の届け出はまだとはいえ、貴殿は私の義理の息子となるのだ。この大天使の息子にな。それはつまり、“失態”はいままで以上に見過ごせぬモノとなるということだ。もし次に何かあるようならば…………」
「い、嫌だなアルバ様…………あんまり脅かさないでくださいよ。だ、大丈夫ですとも! 大船に乗った気持ちでいてください!! このアキサタナ、アルバ様を失望させるようなことは……ええ、致しませんとも!!」
「その言葉、ゆめゆめ忘れるでないぞ」
アルバに巨大な釘を差されたアキサタナは、苦笑しながらそそくさと場を離れた。その姿を少し離れた場所で眺めていたトロアスタは、やれやれと首を左右に振る。
そして俯いてばかりいるレトリアの下へ、ワインを片手に近付いた。
「いけませんな。この神聖な場で、そのようなお暗い表情をされては……。折角の酒が不味くなってしまう」
「だ、大参謀殿……その、申し訳ございません…………」
謝罪しながらも、レトリアの顔は曇ったまま。
とてもではないが、すぐに晴れそうな様子はなかった。
「長いエデンの歴史において、いまだかつて天使同士が結ばれたことはない。生門の器には遺伝との関係が疑われているが、天使同士の子がどのような才覚を生まれ持つのか? 拙僧にとっても、とても興味深い事柄なのだがね」
「そう……ですよね……。エデンへの貢献を考えれば…………これは…………必要なこと…………なんですよね……」
「割り切れんかね?」
トロアスタが訊ねるが、レトリアは『はい』とも『いいえ』とも答えなかった。ただじっと床を見つめ、強く唇を噛んでいる。
「くっくっ! 実に分かりやすい返事ですな。しかしまあ、今回はその必要も無いでしょう」
「………………え?」
大きな鼻をスンスンと鳴らしたトロアスタは、グラスに残ったワインを一息で呷った。そして静かに味を楽しんだあとで、再びレトリアの方を向いた。
「レトリア殿も、もう一国の将なのです。もう少し信じた方が良い、己の部下…………そして己が友を」
ハッと面を上げるレトリア。
そんなレトリアから視線を外したトロアスタは、そのまま瞳を部屋の入口である大扉の方へと向けた。
「さあ、彼が貴女にとっての騎士となり得るかどうか? お手並み拝見といきましょうか」
トロアスタがさも楽しそうに話した直後、まるで導かれるように大扉が開き始める。『きっと、新しい料理でも運ばれてきたのだろう』。殆どの来客が気にも留めなかったなかで、トロアスタとレトリアだけでなく、アルバやアキサタナまでが大扉の動きに視線を奪われていた。
やがて大扉は開き切り、その奥からガヤガヤと四つの人影が姿を現した。
「あ、歩きにくい……! やっぱり私服で来りゃ良かったぜ!!」
「こんな場所であのボロボロ服じゃ目立ってしょうがないでござるよ。ま、ちんちくりんで目立つのはいつものことでござるが」
「あんだと!!!!」
「お止めなさいふたりとも。ここはもうアルバ様の御前でございますわ」
美しいドレスを着飾っているのは、ティオス、シグオン、エルブの三人。慣れないハイヒールでぎこちなく歩くティオスを、エルブがエスコートしている。
そしてその三人の前には、喪服のような黒い礼服を纏ったアモンの姿があった。
「いやぁ~~~赤い赤い。どうやら赤は、エンカウント家のトレードカラーのようですねぇ」
けらけらと笑うアモンの姿を見て、アルバは眉を顰め、アキサタナは血相を変えた。しかしレトリアだけは、驚きと同時に期待の表情を浮かべる。
「…………あの男まで招待したのか?」
アキサタナに近付いたアルバが、不快そうに訊ねた。
「ままま、まさかッ!! この祝の席に仮面を被って来る男など、招待する理由がありませんよ!! くっ、門番は何をやっていたのだ!!」
激昂したアキサタナはどすどすと床を踏み鳴らしながら、アモンらの方へと歩いていった。その仁王のような表情と姿を見た貴族たちも、『何事か?』と口を動かすのを止める。
アキサタナはアモンの正面で足を止めると、睨みつけながら口を開いた。
「貴様……どうやってこの場所に入った! 我が家の門番には招待客以外、誰も入れるなと命じていたはずだ!」
「おやアキサタナ殿、やはり貴方がいっちばん真っ赤っ赤なんですねぇ」
「う、うるさい!! 全身黒ずくめの貴様に言われたくないわ!! そんなことより質問に答えろ!!」
掴み掛かりそうな勢いのアキサタナの前で、アモンが自身の懐に手を差し込む。そして「あれでもない、これでもない」としばらく弄ったあとで、「ああ、これこれ」と一枚の紙切れを取り出した。
アキサタナは乱暴に紙切れを引ったくり、素早くその紙切れに目を走らせる。そしてすぐに驚きの声を上げた。
「招待状だと!? しかも貴様の名が刻まれて……。そ、そんなはずはない!! 貴様! 招待状を偽造したな!!」
「おや、良くお分かりになりましたね。門番さんは本物だと疑いませんでしたけども」
「偽造!? く、衛兵!! こ、この招かれざる客を追い払え!!!!」
部屋の出入り口へ立つ兵士たちに、大声で命令するアキサタナ。
しかし兵士たちは相手が天使であるだけに、困惑の表情を見せた。
「まあまあ、どうしても貴方にお伝えしたい、火急のお話があってやってきたのですから。ふたりの将来に関わる、とっても大事な話なんです。聞くだけ聞いてくれませんか?」
「ふたりの……将来だと?」
自然と、アキサタナは瞳をレトリアの方へと向ける。
そこにはどこか複雑な表情を浮かべた、花嫁の姿があった。
「ここで小官を帰してしまったら、後でとんでもないことになるかもしれませんよ? それでも構わないというのなら…………」
アモンが踵を返し、後ろの三叉の矛も同様に背を向ける。
「ま、待て!! 本当に話だけなんだな? 話をすれば、大人しく帰るんだな!?」
アキサタナが黒い服の肩の部分を掴み、何度も確認する。
その狼狽える姿を見て、アモンは仮面の下で静かに笑うのだった。




