第301話 「Prepping ingredients」
「よ~し! 会心の出来ッス!!!!」
トリシーは大判の紙切れを一枚、天高く掲げて歓喜の声をあげた。
紙切れには几帳面な文字が、びっしりと書かれている。
「フッフッフ……こんな特ダネを報道しないなんて、新聞記者としてあるまじき行い! 民衆の知的好奇心を満たすことも、記者として当然の務めッスよねぇ! あとは印刷機で刷って、破格の値段を付けるだけ。ああ~~、今夜あたりは夜の街で羽でも伸ばしちゃおっかな~?」
トリシー新聞社の二階、東端にある小さな一室。
その中で下卑た笑みを浮かべたトリシーは、鼻の下を伸ばしながら窓の方へと目をやった。
「おっと、まぶしっ! もう朝か、ちょっと張り切り過ぎちゃったッスかねぇ」
カーテンの隙間から漏れる朝日が一筋の光となって、本や記事が乱雑に置かれた部屋を横断する。トリシーは徹夜で仕上げたレトリアの婚約記事を左手に持ち、空いている右手で深緑色のカーテンを引いた。
そして大きく背筋を伸ばしながら、爽やかな太陽光を全身に浴びる。
「ん~~~貴族たちから民間にまで噂が広まったので、致し方なく新聞を発行したってことにするッスかね。約束した手前、アモン様には申し訳ないッスけども……。まぁこれもジャーナリストの“さが”ってことで、なん――――――」
「小官がどうかしましたか?」
「と…………か?」
眼前にいきなり現れた、悪魔の顔面。
トリシーは両目を丸眼鏡と変わらぬほど大きく見開き、ドラゴンの咆哮に負けずとも劣らない叫び声をあげた。
「ななななななな!? な、なぜにアモン様がこここ、このような所へ!?」
腰を抜かしながら、これ以上ないほど狼狽するトリシー。
アモンは両耳に当てていた手を外しながら、物でごった返したトリシーの私室へと進入する。
「昨夜の味をしめて……いえ、何でもありません。おや? お仕事中でしたか?」
左手に握られている記事の原本を見たアモンが、申し訳なさそうに言う。
トリシーの全身から、滝のような汗が吹き出した。
「ぜぜ、ぜんっぜん仕事なんか! ええ! 仕事なんかしてませんですとも!! こ、これはその……オレっちの朝食に違いないッス!!」
言うが否や、トリシーは記事の原本を丸めて口に放り込んだ。
そして目を白黒させながら、それを一息に飲み下す。
「…………新聞記者というのは、朝食に紙を食べるものなんですか?」
「え、縁起担ぎッスよ! ハッハッハ! そそ、そんなことより、オレっちに何か用事でも? こんな朝早くに……」
「ああ、そうでした。貴方を敏腕記者と見込んで、頼みたいことがあったんでした」
恨みがましい目を向けていたトリシーだったが、敏腕記者と言われては機嫌を良くせざるを得ない。幾分か表情を明るくし、「オレっちに?」とトリシーは自分を指さした。
「ええ。内密に調べて欲しいことがあるのですよ」
「内密…………ッスか?」
「はい、内緒で極秘で口外厳禁な調査です。無論、その分の成功報酬は弾まさせていただきますよ。ズバリ、金貨20枚!」
「き、金貨20枚!?」
それはトリシーの年収にも匹敵する大金。
一度の仕事で得られる報酬としては、破格の金額だった。
トリシーは自然と頬を綻ばせるが、次の瞬間にはハッと何かに気付いた様子で頭を振った。
「いま……成功報酬って言ったッス? じゃあ、失敗したときは報酬は…………」
「報酬に関しての心配は必要ありませんよ。失敗したときは最悪の場合、二度とお金を使うことはできませんから」
「そ、それって……………………死…………」
そこから先の言葉は出なかった。
顔をみるみるうちに青ざめさせたトリシーは、頭を抱えて部屋の隅でしゃがみ込む。
「金貨20枚…………しかし…………さすがに…………いやでも…………オレっちは敏腕記者………………」
葛藤を言葉に出し、誰にも聞こえない声で自分と相談する。
しかし当然、答えはすぐに出るものではない。
トリシーは短くない時間そうしたあとで、アモンの方をゆっくりと振り返った。
「アモン様…………………………そのネタってのは………………特ダネッスか?」
額にびっしょりと汗を浮かべながらも、トリシーは真剣な眼差しで言う。アモンはしばらくその視線を吟味していたが、やがて静かに頷いた。
その瞬間、トリシーの両眼が見開かれる。
「新聞記者として産まれたからには、特ダネから逃げるなんて選択肢は…………無いんスよオレっちには! き、聞かせてくださいアモン様! オレっちは……何を調べれば良いんスか!?」
握り込んだトリシーの拳は、その決意の強さを表している。
記者としての魂が、恐怖を上回ったのだ。
アモンは納得したように大きく頷き、トリシーの方へと歩み寄った。
そして――――そっと顔を寄せ、調査の内容を耳打ちする。
「え? うぇぇッ!?」
素っ頓狂な声をあげ、いままでで一番、目を丸くするトリシー。
アモンはにこにこと笑顔を浮かべながら、「それでは、お願いしますよ」とだけ告げ、再び窓から帰っていくのであった。
:::::::::::::::::::::::
トリシーと別れたアモンが次に向かったのは、ガーデン・フォール城の正門前だった。早朝なので人影は少ない。城を守護する衛兵たちを除けば、そこにはアモンを含めた四人の姿しかなかった。
「失礼、お待たせしました」
アモンが頭を下げると、待っていた三人の内のひとりが両手を振った。
「いえ、我々もいま来たところですわ」
そう口にしたのは、神妙な面持ちのエルブだった。
エルブの両脇に立つシグオンとティオスも、肯定するように頷いた。
「んなことよりもアモン様! オレたちをここに呼び出したってことは……昨晩レトリア様に会えたってことで良いんだよな!?」
ずいとティオスが一歩踏み出し、他のふたりも気になっていた質問を投げかける。誰かの息を呑む音が、アモンにも聞こえた。
「ええ、やはりこの婚約はレトリアの本意ではありません。しかし今回は、強制する力が遥かに大きいようです。そう、彼女の力ではどうしようもないほどに」
屋外にいる手前、アモンが遠回しに言う。
だが三人には、それが誰のことを言っているのかすぐに理解できた。
「やっぱりこの婚約の裏には、アルバ様が………………」
三人の表情が目に見えて曇る。
信じたくはなかったが、もはや疑いの余地はない。
この婚約は、アルバが裏で糸を引いている。
そしてそれが分かってもなお、自分たちはどうすれば良いのか分からなかった。
「そこで貴女たちにお願いがあるのですが」
アモンが敢えて明るい口調で告げる。
三人は最初こそ呆気に取られた表情を浮かべていたが、次の瞬間には、何かに縋るような瞳でアモンのそばに駆け寄っていた。
「わたくしたちにできることがあるなら、何なりと!!」
「お、おうよ!! 何でも言ってくれアモン様!!」
さっきまでとは違い、希望に満ちた顔をする三叉の矛の三人。
アモンはその顔を一瞥したあとで、右手の人差し指を二度ほど手前に動かした。
その意図を理解し、三人はアモンの方へ顔を寄せる。
「貴女たちには、それぞれ調べていただきたいことがあります。まずエルブ、君にはタルタロス監獄での聞き込み、及び調査をお願いします。医療に従事する顔の広い貴女なら、恐らくそう難しくはないはず」
「タルタロス監獄…………ですか?」
「次にシグオン、貴女はアキサタナの現・元兵士たちに聞き込みを。ああ、時間が余ったら女性用の衣料品店にも聞き込みをお願いします」
エルブだけでなく、シグオンまで首を傾げる。
しかしアモンはそのまま、顔をティオスの方へと向けた。
「最後にティオス、貴女は食料品店へ行ってください」
「しょ、食料ってアモン様……オレは別に腹は減っちゃいねぇぜ?」
「まあまあ、理由はもちろん説明します。まずそれぞれが聞き込む内容ですが――――――」
:::::::::::::::::::::::
いよいよ、婚約披露宴まで24時間を切った。
だがガーデン・フォール城の私室に戻ったアモンの表情は、依然として優れない。
「三人に頼んだ聞き込みから、可能性は限りなく高い。しかし――――肝心なモノが…………」
ブツブツと呟きながら、部屋を練り歩くアモン。
窓からの月明かりが、急かすようにその黒衣を照らし続ける。
こうしている間にも、刻一刻と時間は過ぎているのだ。
「どこか盲点に…………だが、大抵の場所は探した。それにこう暗くては…………」
焦燥感が、遅効性の毒のように体内を巡る。『いざとなれば、強硬手段に』。アモンがそんな打開策を検討し始めた、そのときだった――――――
「…………ん?」
誰かの気配を感じる。
それはどうやら、この部屋にある唯一の扉…………その向こう側からだった。
アモンは耳をそばだてながら、何者かの次の行動を待った。
「……………………………………」
しかし、ノックが鳴るわけでも、扉越しに声が掛けられることもない。
気配はただじっと、扉の前で立ち続けている。
やがて痺れを切らしたアモンは、自ら扉を開けることにした。
扉の前まで進み、躊躇なくドアノブを握る。
「おや?」
だがそのとき、遂に廊下の気配は動きを見せた。
ドアノブを握った右手越しに、アモンの視界に白い何かが映る。
それは白い小さな封筒。
どうやら、扉の下から差し込まれたようだった。
「ふむ」
アモンは拾い上げ確認してみるが、差出人が何者か分からないことを除けば、どこにでもあるようなただの封筒。何か魔法が込められているわけでも、呪いが掛けられているわけでもない。
もちろん封筒の中身は気になったが、アモンにはその前にやることがあった。
「トリシーの使いの方ですか?」
謎の来訪者の正体を確認するべく、扉を開ける。
しかし返事どころか、廊下に人の姿は影も形もなかった。
仕方なくアモンは扉を閉め、封筒の中身をあらためることにした。
何の抵抗もなく開かれた封筒の中には、一枚の便箋が入っている。
ここまできたら、読まずに捨てるはずもない。
アモンは封筒から便箋を取り出し、ふたつに折り畳まされたそれをおもむろに広げた。
「これは……………………」
そこに記されていたものは――――――――――――




