第298話 「既成事実」
レトリアの婚約を知ってから、半刻後。
アモンの姿は、アルバ邸宅の巨大な門の前にあった。その後ろには、三叉の矛の三人が、一様に不安気な表情を浮かべて立っている。
「それでは……面会は適わぬと?」
アモンが訊ねると、門の向こう側に立つ中年女性が、礼儀正しく頭を下げた。
「申し訳ございません。『例え誰であろうと、婚約の日まで合わせてはならぬ』。主よりそう仰せつかっております」
頭を下げながらそう口にするのは、メイド長のカナンだった。
「同じ天使である、小官の頼みでもですか?」
「はい。どなたであろうと……でございます」
カナンがきっぱりと告げると、ティオスが今度は不服そうに眉を顰める。
「どうしてもダメなのか? ちょっと会うだけで良いんだ!」
「はい。どう足掻いても、ダメなものはダメでございます」
まったく取り付く島もない。
アモンがエルブの方へ顔を向けると、エルブも頭を振って説得が不可能なことを示した。
「仕方がありませんね。マダム、お忙しいところを申し訳ございませんでした」
そう言いながらアモンはカナンの腕を取り、その手の甲に口を付ける。そして困惑の表情を浮かべるカナンに背を向け、四人はアルバ邸を離れた。
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「我々でも面会できないとなると、いよいよもって不可解でござるな」
「そうですわね。何やら、不穏なモノを感じますわ」
シグオンとエルブが、同時に表情を暗くする。
「納得がいっていないようですねぇ」
「あ、当たり前だろアモン様! こんないきなり婚約だとか言われて、しかも当人に会わせても貰えねぇなんて……納得できるワケねぇぜ!!」
「ああ、いえ……そうではありません」
アモンが首を振ると、ティオスが狐に摘まれたような顔をした。
「先ほどのメイド殿、どうやら彼女自身も……この婚約には疑問を感じているようです」
「わかりますの? アモン様」
「ええ。理由まではわかりませんが」
「しかしそれが真ならば、お世辞にも円満な婚約ではなさそうでござるな」
やはりいくら考えても、納得のいく答えは見つかりそうになかった。だが事情を知っているであろうレトリアには、会うことさえ適わない。
「気は進みませんが、仕方ありませんね。もうひとりの方から、事情を伺うことにしましょう」
アモンが嘆息しつつ言うと、どこからか神経を逆撫でするような高笑いが響いてくる。その声を耳にするだけで、アモンのため息はさらに深みを帯びていった。
「この声って……まさか……?」
「いつも狙ったかのようなタイミングで現れますね。ですが丁度いい、もうひとりである彼に話を聞いてみることにしましょう」
四人は振り返り、高笑いが聞こえる方に体ごと向きを変えた。
すると正面のレンガ道の遠く、声の主の姿が少しずつ明らかになってくる。
その全身が四人の前に現れた頃には、皆の視界は朱色で覆われていた。
「辛気臭い仮面を見かけたと思ったら、やはり貴様だったか」
顔を合わせるなりそう毒を吐いたのは、両脇にふたりの従者を従えたアキサタナだった。三叉の矛の三人は、即座に敬礼の仕草を取る。
しかしアキサタナの視界には、そもそもひとりの人間しか入っていなかった。
「くっくっく! こんな所で立ち呆けている理由、分かっているぞ。門前払いを喰らったんだろ? 彼女の家まで行っておきながら、負け犬のようにすごすごと引き返してきたんだろう?」
アキサタナは心の底から楽しそうな笑みを浮かべ、囁くようにアモンに訊ねる。そしてアモンが答えないでいると、さらに醜悪に口元を歪めた。
「お前にはそれがお似合いだ。道端で指を咥えながら、明後日の婚約の儀の光景でも想像しているが良い! 貴様に招待状が送られることはないだろうからな。くはっはっは!!!!」
エデン中に響きそうな高笑いをしたあとで、アキサタナは「おい、行くぞ」と従者たちに声をかける。そして一瞥をくれることもなく、アモンの横を通り過ぎていった。
「――――――武闘会のとき」
ふたりの間が数歩分ほど離れたところで、唐突にアモンが口を開く。
「貴方は確か、こう言いましたね。『確かにボクは試合に負けた。…………しかし、勝負に勝ったのはボクだということを……覚えておくがいい』…………と」
言葉を聞いたアキサタナの足が止まる。
「あのときには既に、裏でこの婚約の話が進んでいた。だから貴方はあんなことを口走った。違いますか?」
「…………ふん、だったらどうしたと言うんだ?」
「武闘会のときのレトリアは、婚約の話を知っているようには見えなかった。ならば、この婚約は誰の手により、どのようにして結ばれたのでしょうか? エンカウント卿……本当にレトリアは、この婚約を了承しているのですか?」
アモンの質問に、アキサタナからの返事はない。
誰も声を出してはいけないような重い空気が、しばらくの間この場を支配する。
やがて――――――
「大切なのは既成事実を作ることだ。そうすれば、いずれ彼女はボクの方へ振り向くに決まっている。時間なら……そう、無限にあるからな」
自分に言い聞かせるように言いながら、アキサタナは振り返る。
そして憤怒の瞳をアモンへとぶつけた。
「もう一度だけ言ってやる。貴様は指でも咥えて、そこで見ていろ。勝ったのは――――――ボクだ」
低くドスの利いた声で告げると、アキサタナは今度こそ去っていった。




