第293話 「晩餐会で」
武闘大会最終日の夜――――――
激戦を繰り広げ、エデンの民に勇気を与えた選手たち。
王はその栄誉を讃え、皆をガーデン・フォール城で開かれる晩餐会に招いていた。
一階の大広間には純白のクロスが映える長テーブルがいくつも置かれ、その上には贅の限りを尽くした極上の料理が所狭しと並べられている。
「皆の衆、今宵は無礼講。身分も場所も気にせず、大いに楽しむが良い」
玉座に腰を据えるエデン王。
そのとなりの席に座るモンパイが口火を切り、豪勢な晩餐会が幕を開ける。
剣魔闘士もヒャクのワインを片手に、盛り上がった試合の話に花を咲かせた。
「素晴らしき試合でございました天使様。特にあの勇者様との一戦は熱くならざるを得ませんでしたよ。もし構わなければ、祝福をいただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん」
「つ、次はオレともお願いします!」
武闘大会のファンである貴族や選手たちが、次々と握手を求めてくる。
アモンはその度に黒手袋に覆われた手を差し出し、笑顔を浮かべる彼らの対応に追われるのだった。
「お疲れさま。人気者は大変ね」
ちょうど握手を求める列が途絶えた頃、レトリアが誂うような笑みを浮かべながら現れる。その後ろにはトライデントの三人の姿もあった。
「初出場で初優勝なんてスゲーぜ!! さっすがアモン様!!」
「最初はアモン様を疑っていたくせに…………」
「う、うるへー! アモン様はグラシャのヤローをギャフンと言わせるのに協力してくれたからな、もう身内みたいなもんだぜ!」
「レトリア様の部下としては複雑な気持ちですが、アモン様ならわたくしも異論はありませんわ。おめでとうございますアモン様」
口々に投げられる称賛の言葉。
レトリアは「私は異論ありありよ!」と不服そうに言ったが、次の瞬間には祝福の言葉を口にしていた。
「みんな、申し訳ないけど……良いかしら?」
バツの悪そうな顔でレトリアが言うと、三人が顔を見合わせる。
そして――――――
「では拙者たちは食事を再開するでござるよ」
「まだまだ肉を食い足りねぇ! 全種類の肉という肉を制覇するぜ!!」
「アモン様も、またあとでお話を聞かせてくださいませね?」
三人は意図を汲んだ様子で、ふたりの側を離れていった。
喧騒から少し離れた、静かな時間。アモンとレトリアは壁に背を預けながら、ふたりだけの会話を始める。
「…………生きていたのね」
「いいえ、以前の小官は死にました。いま貴女の目の前にいるのは、生まれ変わった私なのです」
「そう……みたいね。でも例えそうだとしても、やっぱり私は嬉しいわ。もう二度と、あなたには会えないと思っていたから」
そう語るレトリアの瞳は、どこか遠くを見つめている。
「私があなたを……いえソトナを最後に見たのは、タルタロス監獄の中だった。いったい、あのあとに何があったの? いまのあなたは……まるで別人のように見えるわ」
ずっと気に掛かっていた、当然の疑問。
しかしそれを言葉で説明するのは、憚られることだった。
洗脳の魔法の影響だと知れば、レトリアはエデンに不信感を募らせるに違いない。そして何より、ここは軍の幹部やエデン王、貴族などが集う社交の場。滅多なことは口にできない。
「……これが小官、本来の姿です。貴女の知っている以前の私こそ、偽りの姿に他なりません」
「本当に?」
「ええ」
顔を覗き込んでくるレトリア。
その瞳には、懐疑の色が多く含まれている。
「小官のことよりも、貴女はどうなのですか? 神籬の力……欲していたのでしょう?」
「うっ……痛いところを突くわね……」
話題を逸らしたいが為に、逆に質問するアモン。
レトリアは本当に痛みに耐えるような顔をしてから、深いため息を吐いた。
「たしかに神籬の力は手に入れられなかったけど、ただ遠のいただけの話よ。いずれ自分の力でモノにしてみせるわ! 剣闘士の部で優勝できたんだもの、きっとそう遠くない内に声が掛かるはずよ」
「その意気です。母君のアルバ将軍も、貴女を見直している頃だと思いますよ」
「そ、そうかしら? ふふ、そうだったら――――良いわね」
満更でもないといった様子で、レトリアがはにかむ。
強い自分を目指す彼女にとって、アルバは理想の女性そのもの。憧れの存在であるアルバに認められることは、レトリアの描いた夢のひとつだった。
「ねぇアモン、ひとつだけ……教えて欲しいことがあるの」
「なんでしょうか?」
「あなたに……その……ソトナの記憶があるのなら……」
レトリアはそこで言葉を切り、少しだけ悩むような仕草を見せる。
だがやがて、意を決した表情で口を開いた。
「ソトナは私のこと……どう思って」
しかし、そのとき――――――
「センパーーーーーイ!!!!!!!!」
この場に似つかわしくない大声が聞こえたかと思うと、アモンの左腕に華奢なふたつの腕が絡みつく。驚きに目を剥いたレトリアの瞳に飛び込んできたのは、喜色満面でアモンに抱きつくティフレールの姿だった。
「ちょ、ちょっとティフレール!? あなた何を……!?」
「アモン先輩、優勝おめでとうございま~す! あーし感動しちゃった!!」
レトリアの言葉を無視し、黄色い声をあげるティフレール。
「先輩? 小官が天使になったのは、ティフレール卿よりも後の話では?」
「そんな堅っ苦しい呼び方はつまんねーから、ティフで良いよ。年齢的にも魔法使い的にも上、だからセ・ン・パ・イ。あーし、先輩にとっっても興味があるの」
上目遣いで、ティフレールがアモンに迫る。
その光景はレトリアにとって、当然のように面白くのない光景だった。
「な、何なのよもう! いま私が彼と話をしているところでしょう!」
「ああ、いたのレトリアちゃん? 優勝おめでと」
「完全についでじゃない!!」
憤慨したレトリアの反応もどこ吹く風、ティフレールは再びアモンの方へ顔を戻すと、また甘えた声を出しながら顔を寄せる。
「あーし好みのかわいい顔してるんだから、こんな仮面なんて外せばいいのに。アモン先輩このあとヒマ? もっと解放的になれる場所、あーし知ってんだよね~」
「解放的に?」
「そこでゆ~~~っくり、先輩の話が聞きたいなぁ」
「も、もう…………勝手にしなさい!」
ついに堪忍袋の緒が切れたレトリアは、頭から湯気を立ち上らせながら去っていった。ドスドスと響く足音から、その怒りようは誰の目から見ても明らかだ。
「あーあ。レトリアちゃんもガキね~」
楽しそうにけらけらと笑うティフレール。
アモンは「やれやれ」と頭を振ったあとで、腕に抱きつくティフレールを見下ろした。
「さて、貴女の目論見通りレトリアは退散しました。小官と“ふたり”で、どういった話をご所望で?」
「さっすがアモン先輩、わかってんね」
ティフレールは絡みついていた腕をパッと離すと、アモンの正面に立ち、右手の人差し指をクイクイと前後に動かした。それが『顔を近づけて』という所作であることを、アモンはすぐに理解する。
仕方なく、アモンはティフレールの方へと顔を寄せた。
これでふたりの会話は、もう他の誰の耳にも届くことはない。
「実は先輩にね、お願いがあるの」
「“お願い”?」
「先輩…………秘密は守れる?」
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「まったくもう! なんなのよ!!」
怒りの収まりきらないレトリアは、喧騒を離れテラスの方まで足を運んでいた。夜の湖面に月が浮かび、その神秘的な光景を楽しむ者もまばらにいる。しかしいまのレトリアには、頬を冷たく撫でる夜風の方が心地よかった。
「ふぅ………………あ」
夜風を楽しんでいたレトリアだったが、その時間は唐突に終わりを告げる。近づいてきた足音が、彼女の後ろで止まったからだ。
振り返ったレトリアの前に立つ人影は、彼女のよく知る人物だった。
「優勝を飾った割には、随分と機嫌が斜めのようだ」
「なによ…………そんなことを言いに来たの? グラシャ」
レトリアの前に立っていたのは、剣闘士の部の決勝で戦ったグラシャだった。いつも軽鎧で身を覆っていた彼女も、今晩は彼女の背丈に合わせた、白のドレスに身を包んでいる。
神妙な面持ちで立つ姿は、普段の粗野な雰囲気とは真逆の印象を受けた。
「先ほど、貴女の部下に会ってきた」
「部下? もしかして……ティオスのこと?」
グラシャは肯定も否定もせず、ただじっとレトリアの方を見ている。
そしてしばらく見つめ合うだけの、奇妙な時間が続く。先に痺れを切らしたのは、レトリアの方からだった。
「えっと……再試合なんて言わないでよ? また戦ったら、もう勝てる自信なんてないんだから――――――って、え?」
レトリアが話している最中に、グラシャが急に片膝をつく。
そして深く頭を垂れながら、思い掛けない言葉を口にした。
「いままでの数々の非礼………この場にて詫びさせていただきます。己の立場も弁えず、誠に申し訳ございませんでした」
嘘や偽りの類ではない、グラシャの真剣な謝罪。
まったく想像していなかった展開にレトリアは狼狽し、すぐに返事をすることができなかった。
「先ほど貴殿の部下にも詫びてきました。勝手な言い分で申し訳ありませんが、これまでの無礼をお許しください」
「ちょ、ちょっと待って!? どういうことなのかよく分からないけど、面を上げてちょうだい。その……別にそこまでしてもらわなくても……」
「いえ、これは“けじめ”です。私は貴女との戦いに破れた。ワルキューレにとって、強さこそ絶対の指標。認めましょう、貴殿はアルバ様の後継者に成り得る人物だと」
そう口にしながら、グラシャは立ち上がる。
そして目上の者にするように、敬礼をした。
「……ありがとう。私にとって、最高の賛辞の言葉だわ」
心の底から、喜びが湧き上がってくる。
レトリアは万感の思いで胸をいっぱいにし、顔を綻ばせた。
そしてグラシャも同様に笑みを浮かべたかと思うと、くるりと背を向ける。そして――――――
「しかし、来年は負けませんよ?」
それは負け惜しみのようなものではなく、良きライバルに対しての宣戦布告。だからレトリアも微笑みを湛えたまま、「私だって」とフランクに返すのだった。
「では、また」
言いたいことをすべて告げたグラシャは、再び喧騒の中へと戻っていく。レトリアはいまの満たされた気持ちを味わっていたいがため、バルコニーに残ることを選んだ。
先ほどの鬱憤などは、一息で吹き飛んでしまった。
目に映るものすべてが愛おしい。レトリアはそんな喜びを噛み締めている。
しかし、彼女の記念すべき夜は、まだ終わりではなかった。
「レトリア、ここにいたのね」
「お母様……!?」
グラシャと入れ替わるように現れたのは、レトリアの母で大天使を担う将軍アルバ。その全身から溢れる威圧感は、大将軍と呼ばれるに相応しいものであった――――――が、今夜のアルバは少し違っていた。
「あの……お母様?」
いつもの他者を怯ませる覇気は鳴りを潜め、その表情もどこか柔和に見える。そしてレトリアがそう感じたのを裏付けるように、アルバは信じられないほど穏やかな口調で言った。
「良く頑張ったわね。それでこそ、私の娘です」
短い言葉だったが、アルバに褒められるのは思い出せないほど昔のこと。それはレトリアが感極まるのには、申し分のない言葉だった。
「お母様……私……わたし……」
アモンとの戦いに破れたので、いつものように叱られるものかと思っていた。だが予想に反し、アルバは優しい言葉をかけてくれた。
それがあまりに嬉しくて、レトリアは目に涙をためて言葉を詰まらせる。
「何も言わずとも良いのよ。そうそう、レトリア……頑張ったあなたに、今日は“贈り物”を持ってきたのです」
「贈り物……ですか?」
手拭いで涙を拭きながらレトリアが訊くと、アルバは微笑んだまま頷いた。自分には勿体ない言葉だけでなく、贈り物まで貰えるなんて。レトリアは表情を明るくし、手拭いを瞳から離す。
「ええ、そうよ。入っていただけるかしら?」
アルバがそう口にしながら顔を向けたのは、大広間の方だった。
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「なるほど、貴女の目的は理解しました。小官の能力ならばそれも可能でしょう。しかし……なぜ小官に?」
「トロアスタのハゲジジイにもできるかもしんねーけど、でもあのジジイはダメ。本当かどうかなんて分かったもんじゃねー。だけど軍に入って日も浅いアモン先輩なら、まだマシでしょう?」
「理解できなくもありませんが……まあ、良いでしょう。それでは取引成立ということで」
「さっすが先輩! 頼りになるぅ!」
再びアモンに抱きつくティフレール。
しかしアモンの視線は、遥か別の方を見ていた。
「報酬の話は追々するとして、少しよろしいですか?」
「うん? あ~ね、行ってらっしゃい!」
アモンの視線の先を見て、ティフレールはすぐに理解する。
そしてぴょんと離れると、右手をひらひらと振ってアモンを送り出した。
アモンは人波を掻き分けるように、奥の席を目指して歩き始める。
その物々しい雰囲気に幾つかの視線が集まったが、それでもアモンは止まらない。やがて幹部の席を通り過ぎた頃、アモンの瞳の中にはひとりの人間の姿だけが映り込んでいた。
「アモン殿、それ以上は控えていただきたい」
声を掛けたのは目の前の人物ではなく、幹部席にいたモンパイだった。
モンパイが警戒心たっぷりにやってきたのは、それだけアモンの近づいた人物が大きな存在であることを示している。
そう、いまアモンの目の前の豪華な椅子に腰を下ろすのは、エデンの最高権力者に他ならない。
「何用であるか、天使よ」
老人特有のしわがれた声で言ったのは、エデン王だった。
魔王国で『引きこもりの王』と揶揄された人物だが、アモンの目の前に堂々と座る王からは、噂とはにわかに違う存在感のようなものが漂っている。
アモンはそのただならぬ王の前に膝をつくと、厳かに口を開いた。
「エデン王様、小官は此度の武闘大会で優勝したアモンにございます」
「そうか、アモン。大儀であった。その口ぶりから察するに、優勝の褒美の件……であるか?」
「さすがは王様、話が早くて助かります」
「して、アモン……お前の望みの物とは如何なる物か?」
となりにいたモンパイはアモンの態度の軽さに焦っていたが、エデン王は微動だにしていない。その懐の深さを試すように、アモンはそれを口にする。
「小官の望む物はただひとつ。【魔女の書庫】……その鍵を私に」
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アルバの声を受けて現れたのは、真紅の服を着た男。
「やあ、ご機嫌麗しゅう――――――レトリア」
にやにやとした醜悪な笑いが、レトリアの表情から笑みを奪う。
「お、お母様……? どうしてここに……彼が?」
困惑するレトリアに向け、アルバは再び笑顔を向ける。
そして何ら躊躇することなく――――――
「あなたはこのアキサタナと結婚し、夫婦になるのよ。レトリア、それが私からの贈り物です」
はっきりとそう告げるのだった。
【 第八章 ~勇戦の魔人~ 終】




