第292話 「竜と剣撃」
『タルトちゃんダメ!! ウ、ウチの後ろに早く!!』
ファシールの記憶の中で、女が叫ぶ。
場所はクロウリー家の廊下。
時間はアモンの救援に駆けつける少し前。
人間の少女を背中に隠し、両腕を広げて少女を庇う赤い服の女がいた。
『不思議なこともあるものだね。魔物が人間を守るのかい? それも……人間の僕から?』
赤い服の女――――マリアンヌはハッと驚いたような表情を浮かべたが、次の瞬間には再び警戒の顔でファシールを睨みつけた。
『やったら約束してや! この子には手ぇ出さへんって!!』
『君に言われずとも、危害を加えるつもりなどないよ』
『な、なら……』
ファシールの言葉を信じたマリアンヌは、目だけを動かし、横目で怯えるタルトの方を見た。
『ここはウチが食い止める、やからタルトちゃんはどっかに隠れといて!! ナナちゃんと一緒に、後で必ず迎えに行くから!!』
マリアンヌの決死の頼みをタルトも理解し、小さくながらも頷きを見せる。
そして少女は恐る恐ると振り返り、ふたりから離れるように廊下の奥へと駆けていく。
しかし、そのときだった――――――
『……え?』
マリアンヌが顔のすぐ側を何かが通ったと感じた瞬間、それは少女の背中を目指しまっすぐに伸びていった。そしてマリアンヌの見ている前で、タルトは仰け反るように跳ねたあと、廊下の中央に音もなく倒れ込んだ。
よく見れば、その小さな背中から歪な突起が生えているのが分かる。
『…………え………………え?』
我が目を疑う光景に、マリアンヌはそれが何かの間違いではないのかと、何度も瞬きをした。しかしいくら瞬きをしたところで、目の前の光景は動かぬ事実としてそこにあった。
タルトの背には凝った意匠の柄が生え、その先にあるであろう刃先は、少女の背中に深く深く食い込んでいた。
『…………どうして……? ど…………どうしてッ!!!!!!!!』
絶望と憤怒の入り混じったマリアンヌの絶叫が、そのまま現在のアモンの質問へと置き変わる。
:::::::::::::::::::::::
「貴方ほどの者ならば、少女が人間であることぐらい理解していたはず。なのに……なぜ少女にナイフを……?」
ファシールの表情から感情を読むことはできない。
だからその口から出る言葉をアモンは待った。
やがてファシールは諦めたように息を吐くと、どこか厳かに口を開く。
「“試し”だよ」
「………………試し?」
アモンの問いに、ファシールが簡潔に頷く。
「僕の同情を引くために少女を庇った可能性があったからね。果たして彼女が本当に少女のことを想っていたのか……珍しい状況だったので試してみたくなったんだ」
「それだけの為に……少女に短剣を投げたと?」
「いいや」
ファシールは頭を振る。
そしてゆっくりと右手を持ち上げ、聖剣の切っ先をアモンの方へと向けた。
「僕が真に試したかったのは――――――君だよアモン」
薄氷のような笑みを浮かべながら、ファシールは続ける。
「次は僕の質問に答えてもらおう。君はどうして、少女を助けたんだい? その場に魔王の姫がいたにも関わらず、君は倒そうともせず……少女に治癒魔法を施したね?」
アモンの脳裏に、あの日の光景が蘇る。
呆然と眺める女と、いまにも死にかけている少女。
気がついたときには、淡い光が少女を覆っていた。それが自身の発動した治癒魔法だとアモンが知ったのは、少女が息を吹き返したときだった。
「人間か、魔物か。君はどっちなのかな? アモン」
顔は笑っているが、その瞳だけは笑っていない。
返答によっては、どのような結果が待っていてもおかしくはないだろう。
そう感じさせるだけの何かが、いまのファシールにはあった。
「理由は答えずとも構わないよ。語り合うよりも、ぶつかり合うことで通じるものもある。次の一撃に君の想いをのせてくれれば……それで良い」
ファシールは言いながら、アモンと距離を取る。
そして十メートルほど離れた位置で、剣を鞘に収めた。
しかしそれは闘いを放棄した訳ではなく、むしろ逆。
居合抜きのような構えを取ったファシールからは、かつてないほどの闘気が漂っている。
「分かりました。小官も全力を……出させていただきますね」
ファシールの想いに応えるように、アモンも全身に魔素を滾らせる。
やがて全身を巡る魔素は両腕に集まり、左手の先からは紫、右手からは赤いオーラを立ち昇らせた。
その凄まじさは、離れた観客席からも見て取れるほどだ。
【 い、いったい何があったというのでしょうか!? 何か会話をしたあと、突然ふたりが戦闘態勢をとりました!! しかも周囲を漂う魔素は……いままでの比ではありません!!!! 】
興奮した声をあげるのは、何も実況のトリシーだけではない。
「やべぇ!! 次で試合を終わらせる気だぜ!!」
「これまで見てきたどの試合よりも、激しい魔素の奔流……。とんでもないのが来るでござる」
「ああ……アモン様……!」
幾つもの感情が渦を巻く闘技場内で、文字通りすべての決着の瞬間。
期待や羨望、不安や畏れの瞳が向けられるなかで、遂に渦中のふたりが動き始める。
「紫電の紅竜」
アモンの呪文に呼応して、両手の魔素が混ざり合う。
最初は赤く染まった恐ろしい顔、次に鋭い爪。太い胴と長い尾が現れれば、それが人を一飲みにできるほど巨大な、炎の竜であることが誰の目からも分かった。
炎の竜は紫電を纏い、ばりばりと何かが弾けるような音を立てながら、ファシールへ向けて突進する。
「火と雷の…………竜……!?」
驚きに目を剥く観客たち。
しかしファシールだけは動じることなく、静かに竜を迎え撃った。
「宵の明星」
その技はハーピーと沼を斬った、ファシールの必殺の剣。
鞘から解放された聖剣の放つ、居合抜きの絶技。魔素に剣撃を乗せた凄まじい切り上げは、石床を割りながら、紅竜に正面からぶつかった。
【 うわわ! 眩しい!? 】
竜を裂かんとする剣撃と、剣撃ごとファシールを飲み込まんとする竜。
ふたつの衝突は、激しい音と眩い光で闘技場内を包み込んだ。恐ろしい放電と熱が周囲へ飛散し、リングを囲う結界が悲鳴をあげる。
しかしそれでも、互いの“必殺”は退こうとはしなかった。
「お、おい!? まさか…………結界がッ!?」
驚きに声をあげるティオスの目の前で、強固な結界に罅が入っていく。
「七十二人の魔道士で作り上げた、特別な結界……でござるのに……」
罅はどんどん大きくなり、やがて結界のほぼすべてに落雷のような模様が広がった。そして――――――
「きゃあッ!!!!!!???」
轟音と激しい明滅と共に、結界が破裂する。
観客たちの中には、その凄まじい衝撃で椅子から崩れ落ちる者さえいた。
時間にして、十数秒。
音も光も静まったあとで、目を瞑っていた観客たちが……恐る恐ると瞳を開く。
「これは…………?」
率先して目を開けた者が発した第一声は、困惑の色を含んでいた。
半壊したリング上には、元凶となったふたりが先ほどと変わらず向き合っている。どちらにも怪我は見当たらず、その表情も拍子抜けしたような、緊迫感の欠片も存在してはいない。
そのうち、ファシールがやれやれといった様子で口を開いた。
「結界が耐えられなかったようだね。残念だけど、これじゃあ…………」
アモンも周囲を見回したあとで、こくりと頷き言った。
「…………ええ。エキシビションマッチ、ここまでのようですね」
ファシールの提案から決定した、突然のエキシビションマッチ。
激しかった闘いとは裏腹に、その終わりは静寂に包まれた、あっさりとしたものだった。




