第291話 「エキシビジョンマッチ」
【 勇者様からのエキシビションマッチの提案です! わ、私としてはもちろん歓迎でございますが……。しかしこんなことは武闘大会の長い歴史上、前例がありません!! ほ、本当によろしいんでしょうか……? 】
トリシーが困惑の声をあげ、恐る恐ると王が居るであろう天幕の方を見る。すると視線に気付いたモンパイがいったん天幕の中に入り、十秒ほどしてから再び皆の前に姿を現した。
モンパイは皆の前で、一度だけ大きく頷いた。
それはすなわち、王の許可が下りたことを意味している。
「君も問題はなさそうかな?」
ファシールが楽しそうにアモンに訊ねる。
「別に拒絶する理由もありませんが、いったい何のために戦うのですか? この戦いに、それほど意味があるとは思えませんが……」
「言ってみれば、僕なりの歓迎といったところかな。僕は君の力に興味があるし、それに一度も“本気”を出していないまま大会を終えるのは、君も不完全燃焼だろう?」
「…………なるほど、そういうことなら」
アモンとファシールのやり取りに、観客たちはざわざわと騒ぎ始める。
トリシーが「静粛にお願いします!」と声をかけ、ようやく彼らの声が小さくなっていった。
【 コホン! え~……予想もしていなかったビッグマッチです!! 剣魔の部の覇者であるアモン選手に対するは、エデン最強の我らが英雄――――大勇者ファシール様!! 武闘大会エキシビジョンマッチ! 試合開始でございます!!!! 】
合図の鐘の音が鳴るのと同時に、ファシールは腰に下げている鞘から、聖剣トワイライトを抜き取った。陽光を浴びて白銀に輝く刀身は、活躍の場ができたことに歓喜しているようにも見える。
「真剣…………ですか」
「申し訳ないが、僕はこの剣でないと力が発揮できないんだ。急所を狙うような真似はしないから、許してほしい」
「構いませんよ。小官だって、貴方に怪我では済まない傷を負わせてしまうやもしれませんので」
「はは、それは恐ろしいな」
言葉とは裏腹に、遠慮なく歩み寄るファシール。
レトリアとの試合のときのように、ファシールは手が届きそうなほどの距離で足を止める。
だがしかし、感じる圧力はレトリアの比ではない。
「…………それでは、全力でいかせてもらいますね?」
「気にせずどうぞ。君の前に立つのは、“最強”なのだから」
にこりと微笑むファシール。
その、およそ一秒後のことだった。
ヒュンと風を斬る音が鳴るのと同時に、アモンの右腕が宙を舞った。
飛んだ右腕の人差し指は白色に輝き、いまにも光線を放つ寸前といった様子だ。
『速いな』
そう思考するアモンのすぐ側には、回避動作中のファシールがいる。
光魔法の光線で先手を打とうとしたアモンだったが、ファシールの剣の方が少しだけ早かった。それはまるで、事前に攻撃が来ることを分かっていたような迅速さだ。
「まだまだ」
しかしアモンも、回避されることは予想の範疇。
即座に足裏に魔素を集め、詠唱も無しに石床を踏む。
次の瞬間には、石床から大量の氷柱が飛び出しファシールを襲った。
「おっと」
だがそれも、超反応でのバックステップ。
かすり傷ひとつ負わせるに至らない。
「さすがは大勇者……素晴らしい反応ですね」
「はは、ありがとう。だが、これからが本番さ。そうだろう?」
「無論ですとも」
アモンは右腕を瞬く間に復元し、今度は両の腕に魔素を集める。
「小さな魔法では簡単に避けられるようですので、大きめのをお見舞いしましょう」
言うや否や、両手の魔素は激しく膨張し、巨大な渦を巻いた。
そのあまりの魔素の凄まじさに、観客たちは完全に言葉を失っている。
「広域水魔法」
アモンが呪文を唱えると、魔素が膨大な水へと変わる。
水はやがて太陽を遮るほどの巨大な高波となり、その巨影でファシールを覆った。
「なかなか……でかいな」
逃げ場所を探すまでもない。
闘技場の端から端まである高波など、どこにも退避する場所などないのだから。
高波はファシールを飲み込まんと、凄まじい速度で迫っている。
しかし誰から見ても絶体絶命のその状況でも、ファシールはどこか楽しそうに笑っていた。
「思い出すなぁ。“彼”との闘いを」
ファシールは片手に持った聖剣を掲げると、それを縦一閃に振り下ろす。
するといともたやすく高波は裂け、四方八方へと散っていった。魔法で生み出した水は地面を濡らすだけ濡らして、留まることなく蒸発する。
これには観客たちも、大歓声の称賛を送った。
【 まさに無敵ッ!! アモン選手の超々大魔法も、聖剣で一刀両断です!! やはり幾度となく魔王サタンと渡り合ってきたその実力は、伊達ではありません!! 】
「次は僕の番だね」
言うが早いか、ファシールは地面を蹴る。
そして瞬きを一度する間に、その体はアモンの眼前まで迫っていた。
斜め下からの斬り上げ。
このままでは先ほどの高波のように、真っ二つにされるのは自明の理。
アモンは素早くマントで壁を作り、高密度の盾にして受け止める。
「なるほど、それは斬れないな」
さしもの聖剣も、硬いだけでなく、しなやかに力を受け流すマントを斬ることは叶わない。しかもマントは次の瞬間には大小無数の棘を生やし、無防備なファシール目掛けて弾丸のような速度で伸び始める。
「ッ……!」
息をつく暇もなく、後ろへ飛ぶファシール。
迫りくる棘を聖剣で払いながら、それでも紙一重で窮地を脱した。
「危ない危ない。しかしこの緊張感、久しく忘れていたよ。やっぱり強者と戦うのは楽しいね」
朗らかに笑うファシールだが、眼帯の下には棘の掠めた切り傷がひとつ。
一筋の血が頬を伝って落ちていった。
いつ決着がつくのか、誰にも予想できない。
両者の一挙手一投足から目を離せない緊張感の漂う試合に、観客席にいるエルブは気が気でなかった。
「ああ……アモン様……。どうかご無事で……!!」
「すげぇ……あの大勇者とほぼ互角だぜ!」
「しかし、どちらもまだ余力を残しているように見えるでござるな。本気を出せば一体、どれほどのものなのか……」
焦燥感、好奇心、崇敬。
様々な感情が入り混じった闘技場内。
リング上のふたりは互いの胸の内を探り合うように、弧を描きながら対峙する。――――――が、不意にアモンがその足を止めた。
「んん? どうかしたのかい?」
おもちゃを取り上げられた子供のように、いかにも不服といった様子でファシールが言った。
「いえ、こういう機会でもないと……聞くことができないかもと思いまして」
「こんなときに質問かい? ああでも……それで思い出した、僕も君に訊きたいことがあったんだ」
ファシールは剣を下ろし、空いている方の手で“お先にどうぞ”とアモンに促す。
「では、お言葉に甘えて小官から……」
そう口にしながらも、アモンは瞳を伏せ少し考えるような素振りを見せる。しかし、やがてはまっすぐにファシールの方を向き、確かな口調で話し始めた。
「小官がエデンにやってきた日……貴方と共にクロウリーの屋敷を襲撃したときのことを覚えてますか?」
「もちろん。魔王の娘と、何よりアドバンと会話した特別な日だ。しっかりと記憶しているよ」
「そうですか」
「まさかとは思うが、質問っていうのはそれだけかい?」
ファシールの問いを、アモンは「いえ」と否定する。
「あの日のことを覚えているのであれば、単刀直入に伺いましょう」
「ああ、良いよ。何かな?」
いつものように、爽やかに笑うファシール。
アモンはその笑顔に若干の違和感を覚えながら、それでもハッキリと質問を口にした。
「あのとき、なぜ………………人間の少女を刺したのですか?」




