第28話 「手紙だと口調変わるタイプなんだ」
落ち着いた彼は食事を手早く済ませ。
洗い物を済ませる。その際に視界に入ったヒャクの種。それは胡桃に良く似ている。
屋敷に持ってきた紫水晶は一つ。
育てられるヒャクの樹の数は一本が限度だろう。種の中から特に大きいのを一つ拾い上げ。明日の朝にでも植えに行こうと大切に袋に仕舞いこむ。
「さてと……」
わざと余らせた煮物を大皿に全部入れ、屋敷の裏手に持って行く稲豊。
大きな木製の扉の中、その柵の中央で、この良き日の功労者は眠っていた。
「マルー、起きろ……感謝の煮物だ。さすがにポークソテーはあきらめた。なんか嫌だから」
鼻の近くに煮物入りの大皿を置く。するとフゴフゴと鼻を鳴らしながらのんびりと瞳を開き、マルーはその大きな口で煮物に食らい付いた。相変わらず目付きの悪い猪だが、稲豊がどさくさに紛れ撫でても嫌がらない所を見ると、そこまで嫌われていないようだ。瞬く間に空になった皿を手にし、「ありがとな」と一言告げ稲豊はその場を後にする。
「洗い物終わった後だってのに……手際悪いな俺は」
まだまだ未熟な自分だが、今はその手間すら苦にならない。
もっと腕を上げて他人に喜んで貰える料理を作りたい。空に浮かぶ月を見て、稲豊は不意にそんな事を思った。
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風呂に入った後、自室に戻った稲豊は大の字でベッドに倒れた。
開けた窓から流れてくる風がとても心地良い。
天井をぼんやりと眺めながら、彼は恐ろしく濃密だった二日間を振り返る。
ルトに脅され。
この世界の理に苦しめられ。
翡翠の竜に四度殺されかけて。
メイドの少女に精神的外傷の存在を打ち明けた。
これがたった二日の間に起きたのだ。
今までの十七年の人生の中で、間違いなく一番色々な事が起きた二日間だった。更に遡れば異世界に飛ばされたのだから、その人生は数奇と呼ばざるを得ない。
「波乱万丈って……こういうこと言うんだろうな」
ベッドの柔らかさに触れていると、ここが異世界である事を忘れそうになる。
元の世界にいる様な錯覚を覚えると共に、両親の顔を思い出しその現状に思いを馳せる稲豊。
二人は自分がいなくなってどんな顔をしているだろう? きっと心配な顔をしてくれている。元の世界に届くポストがあるのなら、迷わず手紙を出しに行く。その時は手紙にこう綴ろう。
『俺は元気です。色々大変だけど、今は少しだけ充実しています。いつか必ず帰ります。その時は、笑顔で迎えて下さい。俺は負けません。絶対に帰ってみせます。だから笑っていて下さい。俺を迎える時に、笑顔を忘れていないように。今でも笑っていて下さい。俺も笑います。いつかあなた達の元に帰った時に笑えるように。それまで待っていて下さい。志門 稲豊は、必ず帰ります』
これから先にどんな苦難の道があろうとも、踏破してやる。
そんな決意を込めた手紙。薄くぼんやりとしていく意識の中で、浮かんだのはルトの顔。魔法を教えて貰える約束をした。「ふっ」と笑みを零す稲豊。手紙の最後に魔法使いになることを追記したら、両親はどんな顔をするだろうか? ふとそんな考えがよぎったのだが、それは彼の記憶に留まる事無く。夢の中へと霧散した。
幸せそうな笑みを浮かべ眠る少年。
しかし彼はまだ知らない。
この二日間で経験した絶望の数々。
これから彼の身に降りかかる絶望に比べれば。
それを絶望と呼ぶには、あまりに小さな出来事だったと言う事を……。
志門 稲豊は――――――まだ知らない。
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【第二章~エピローグ~】
惑乱の森の騒動から一週間が経過した、ある晴れた日の昼。
志門 稲豊は、数日前に芽を出したヒャクの樹を見に行くのが日課になっていた。
深い森を真っ直ぐ北に向かった場所にある高台の広場。そこからは小さくなった屋敷が遠くに見える。中々な絶景を拝める所で、稲豊はそこを一目で気に入りヒャクの種を一つ植えた。その隣には透明の瓶に入った紫水晶。瓶が動かないように固定して、雨に濡れないように屋根も作った。
その日も昨日と同じ様に、コックとしての仕事の合間に森に足を踏み入れる。
徒歩で一時間、とかなりの距離があるが、ヒャクの臭いがキツイので仕方がないと割り切っていた。運動にもなるので、そう悪いことばかりでは無いとも言える。
昨日と同じ様に足を動かし、昨日と同じ様に高台を目指す。
しかしそこで見た光景は、昨日と同じ様にとはいかなかった。
「マジかよ」
高台広場。
そこに佇むのは目を丸くする稲豊と、十数個の白い果実を枝につける、劇的な成長を遂げたヒャクの樹だった。
二章終了!
後はキャラ紹介と幕間劇を投稿してから三章に入りたいと思います。
さあ、物語を動かすぞ!っと。




