第287話 「剣闘士の部――――決勝」
魔導士の部の優勝者も決まり、今日の試合も残すところ剣士の部の決勝のみ。壊れたリングの修復と掃除中、レトリアは控室でひとり、イメージトレーニングに余念がなかった。
「…………え?」
そんなとき、自分の方に向かってくる大勢の気配を感じ取ったレトリアは、静かに瞳を開いた。
「あなたたち……どうして?」
レトリアが顔を上げた先に立っていたのは、メイド服を着た集団だった。彼女たちはアルバ家に仕える使用人たちで、もちろんレトリアとも顔なじみだ。
反応を待っていると、やがてその中のひとりが歩み出る。
「申し訳ございません……レトリア様」
そう言って頭を下げたのは、メイド長のカナンだった。しかし、彼女だけではない。メイドたちはその誰もが申し訳の無さそうな表情を浮かべ、洗練された様子で次々と頭を下げていく。
困惑し首をひねるレトリアの前で、カナンが再び口を開いた。
「本当ならば、すべての試合の応援に駆けつけたかったのでございますが……。私どもの不徳により……こんなにも遅れてしまいました。誠に申し訳ございませんでした……お嬢様」
メイド一同は、また頭を下げた。
「良いのよカナン。応援に来られなかった理由なら……見当はついているわ。止められていたのよね? お母様に」
カナンは瞳を伏せ、唇を噛む。
しかしその所作こそ、質問が真実であることを物語っている。
しばらくの葛藤の後で、カナンは意を決したようにレトリアを見た。
「…………仰る通りでございます。『お前たちの仕事は、ベルトビューゼ家の秩序を守ること。武闘会への出張は過分である。分を弁えなさい』……と」
「だったら……なぜ? この大会にはお母様がいるのよ? 必ず見つかって、あなたたちは……きっとお咎めを受ける。いまならまだ間に合うわ、早く戻って――――――」
「いいえ、戻りません。私共が間違っておりました。レトリア様の晴れ舞台より優先すべきものなど、この世のどこにありましょうか」
カナンの顔には、ある種の覚悟が表れている。
それは他のメイドたちも、同様のようだった。
「いかなる罰も受けましょう。ですが、いまこのときだけは……お嬢様の心に寄り添いたいのです」
「カナン……みんな…………」
レトリアの瞳に、大粒の涙が浮かぶ。
するとカナンは手拭いを服のポケットから素早く取り出すと、それをレトリアに差し出しながら言った。
「まだ早いですわ、お嬢様。涙は勝負の後まで取っておいてくださいませ」
「ええ、そうね。ありがとう――――――みんな。見ててね? 私、絶対に勝ってみせるから!」
「それでこそ、アルバ様の御息女にあらせられますとも!」
罰を覚悟してまで、応援に来てくれた使用人たち。
その思いに応えたい。いや、応えてみせる。レトリアは改めて、心の中でそう誓いを立てた。
「アリーナの修復作業が終了いたしました。レトリア様、準備の方はよろしいでしょうか?」
侍女が現れ、決勝の準備が整ったことを告げる。
レトリアは「はい」と一度だけ深く頷くと、そのままメイドたちの方を見た。
言葉はなくとも、心は繋がっている。
もはやグラシャへの恐怖も、大舞台への緊張も感じない。レトリアは誇らしさに胸を張りながら、決戦場への扉を潜っていくのだった。
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【 先ほどの試合の熱も冷めやらぬなか、もうひとつの血湧き肉躍る戦いが始まろうとしています。前大会の敗戦を教訓に、ここまで堅実な勝利を収めてきたレトリア選手。かたや前大会に続き、並外れた破壊力で勝利を重ねてきたグラシャ選手。対極的なおふたりですが、きっと魔導士の部に負けないほどの、熱き戦いを見せていただけることでしょう!! 】
場内のボルテージは最高潮。
トライデントやメイドたちの声援もさることながら、グラシャを応援するワルキューレ隊の声もよく響いている。
熱気はリング上にも当然のように伝わり、試合開始の合図はまだだというのに、ふたりはすでに視線で火花を散らせていた。
「まさか本当にここまで上がってくるとは……。さすが、天使に名を連ねるだけはある。しかし、レトリア様は初めての決勝だ。この決勝戦だけの特別ルール、ちゃんと把握されておりますか?」
グラシャが小馬鹿にした態度で訊ねる。
いくら前大会で初戦敗退に喫したレトリアでも、そんなことは百も承知。
レトリアは少々の苛立ちを覚えながら、それでも表情を変えることなく口を開いた。
「剣士の部は決勝戦に限り、『肉体強化魔法の使用を許可』する。この大会を見たことある者なら、誰でも知っていることよ」
「その通り。試合を盛り上げるための措置ですが、それはつまり……このグラシャが全力を出せるという意味でもある。取り返しのつかない怪我を負う前に、降参することをおすすめします」
グラシャの戦斧が、鈍い音を立てながら床石を削った。
ただでさえ破壊的なグラシャの力が、強化魔法で倍増する。当たり所が悪ければ、大怪我では済まないかもしれない。否が応でも、視線はその巨大な刃先に吸い寄せられた。
「気遣ってくれてありがとう。でも、あなたの方こそ大丈夫なのかしら?」
「…………なに? どういう意味でしょうか?」
いつもとは違う強気な態度のレトリアに、グラシャが眉を顰める。
「知っての通り、私は戦闘が得意じゃないわ。軍人としての実績も評価も、あなたの足元にも及ばない。この戦いだって、あなたの勝ちを疑っている人はほとんどいないでしょうね。でもそれは裏を返せば、あなたはこの勝負で負けるわけにはいかないってこと」
レトリアは敢えて、相手の神経を逆なでするような口調で言った。
「ご心配なく。千に一つも、その可能性はありませんから」
「でも万に一つ、あなたがもし私ごときに負けるなんてことがあったら……お母様はさぞ失望するでしょうね。昨年を優勝で飾ったあなただから、なおさらだわ」
「…………安い挑発ですね。何を企んでいるのかは知りませんが、その手にはのりませんよ」
口ではそう言い放つグラシャだが、表情は明らかに苛立っている。アルバに心酔する彼女にとって、その名を出しに使われるのも気に入らなかった。しかも相手は、戦闘において格下のレトリアなのだ。
レトリアはグラシャの周囲を漂う怒りのオーラを感じ取り、心の中で『よし!』と拳を握り込む。グラシャを苛立たせるのは、彼女の作戦には不可欠の要因だったからだ。
『作戦の第一段階は成功! 後はもう、私がどれだけ頑張れるか……ね』
自分にそう言い聞かせるレトリア。
そんなとき、マイク越しのトリシーの声が鳴り響く。
いよいよ、勝負の時間である。
【 それでは皆々様、長らくお待たせいたしました! エデン第六天使のレトリア=ガアプ選手対、名実ともに大将軍の右腕を担うグラシャ選手!! 両選手、心の準備はよろしいですね? それでは武闘大会四日目、剣士の部……決勝戦!! 試合~~~~開始~~~~!!!! 】
開始の合図と共に、鳴り響くふたつの号砲。
レトリアは片手剣、グラシャは戦斧を構え、激しく闘気を衝突させる。
だが、すぐに攻撃を仕掛けたりはしない。
この決勝戦では、その前にやることがあるからだ。
「腕力強化魔法」
グラシャが腕力の強化魔法を唱え、ただでさえ丸太のように太い腕が、一回り大きく膨れ上がる。
「速度強化魔法」
レトリアが負けじと唱えたのは、速度の強化魔法。
器用で小回りの利く、彼女らしい選択だった。
「本当に降参せずともよろしいんですね? 強化されたこの力、どんな“事故”が起きても知りませんよ?」
嫌な笑みを浮かべ、脅し文句を口にするグラシャ。
しかし、それでもレトリアの表情は変わらない。
「虚仮威しならもうたくさん。あなたのご自慢の戦斧は、どうやら観賞用だったみたいね」
グラシャのこめかみに、青筋が走る。
周囲を漂う空気も明らかに変わり、息を呑むような緊張感が場を支配した。
「この斧が観賞用かどうか……その身を持って知ると良い!! 行くぞ!!!!」
鬼の形相のグラシャの、全力の突進。
それは魔王国の巨猪にも劣らぬ速度で、瞬く間に距離を詰める。
そして皆の見ている前で――――――
「うぐッ!!!???」
巨大な戦斧が、レトリアの腹部に突き刺さった。




