第285話 「勇戦の握手」
武闘大会の二日目は、昨日の晴天が嘘のような大雨だった。
しかし、そんなことで大会が中止になることはない。
闘士たちはリングの上で、あいも変わらず火花を散らし合っていた。
「はぁ!!」
「ぐえぇ!?」
【 レトリア選手の強烈な突きが炸裂!!!! ガンザ選手……立ち上がることができません!! 】
初戦を突破したことで勢いがついたレトリアは、二回戦を危なげなく勝利で飾る。そしてそれはアモンやアキサタナ、グラシャも例外ではなかった。
シグオンはあと一歩といったところで雨に足を取られ、敢え無く敗北。
翌日の準決勝では、応援する側に回った。
「さすがだわリア! 今日も絶好調ね!」
「これで次は決勝でござるな!」
「相手はやっぱ、あの女か」
トライデントの三人が見つめる先には、腕を組みリングのレトリアを眺めるグラシャの姿。グラシャは三人の視線に気づいたかと思うと、鼻で笑いながら、立てた親指を下へと向ける。その後ろには、恨みがましい目で手拭いを噛むスカルフォの姿もあった。
「あんにゃろ!!!!」
「まあまあ、その鬱憤は明日まで取っておきましょう。きっとレトリアが晴らしてくれますから」
「アモン様の言う通りよティオ。いまはリアのことを信じましょう?」
「ぐぐ…………そ、そうだな! 明日の決勝がいまから楽しみだぜ!」
いまはレトリアの勝利を祝おう。
そう考えたティオスは、リング上のレトリアにあらん限りの称賛の声をあげるのだった。
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そしてとうとう、決勝の日がやってくる。
最初に行われるのは、魔導士の部の決勝戦からだ。
今日も闘技場は、立見席がいっぱいになるほどの盛況ぶりだった。
「さて、では行ってきましょうかね」
「アモン様! エルブは全力でアモン様を応援していますわ!!」
「オレだって! いけ好かねぇあの野郎をぶっ飛ばしてくれ!!」
「ティオ……声が大きいでござる。でも、拙者も気持ちは右に同じく。武運を祈ります」
闘技場の入り口で、トライデントから声援を送られるアモン。
相手は稲豊と因縁の深いアキサタナだ。彼の得意とする爆破魔法は、エデンでも随一の破壊力を誇っている。
「小官にはどうしても欲しい物があります。だからここで負ける訳にはいかない。勝ちますよ、絶対に」
アモンは覚悟を決めた瞳で、そう口にする。
そして観客席へ向かう三人と別れ、控室の壁に背を預け、名前が呼ばれるそのときを待った。
しかし次の瞬間、視界の中に美しい黒髪が映り込む。
「さっきのセリフ、私のことも倒す……って意味かしら?」
冗談めいた口調で話すレトリアだが、その顔は笑ってはいない。
というより、明らかに強張っている。
「グラシャを倒す算段がついた、と解釈してもよろしいですか?」
「うっ……痛いところを突くわね……」
下を向き、表情を曇らせるレトリア。
「本当のことを言うとね、私の勝つ未来がまったく想像できないの。ここまで上がって来れたのも、運が良かっただけ……。グラシャに力も速さも劣っている私じゃ、きっと勝てっこないわ」
そう言って、レトリアは深いため息を吐く。
そこにはもう、『絶対に倒す』と誓った彼女の姿はどこにもなかった。
「では諦めるのですか? ここまで来て?」
「そ、そりゃあ諦めたくなんかないけど……。でも現実に、私に勝ち目なんかあると思う?」
「ええ、もちろん」
即答するアモン。
あまりの即答ぶりに、レトリアは驚きと希望の入り混じった表情を浮かべるが、次の瞬間には再びアモンから目を逸していた。
「…………気休めでしょ?」
「やれやれ、かなり重症なようですねぇ。仕方ありません。しからば、小官からヒントを与えましょう」
「ヒント!?」
身を乗り出し、瞳を輝かせるレトリア。
アモンは周囲を見回したのち、小ぶりなレトリアの耳に顔を近づける。
そして他の誰にも聞こえない小さな声で、“ヒント”を囁いた。
「――――――たしかに、その作戦ありかも……。でも、そんなに上手くいくかしら?」
「彼女はここまでの試合、すべて魅せる為の戦いを選んできました。恐らく派手好きなのでしょう。そこを逆手に取れば、勝ちの目が見えてきます。この決勝戦だからこそ使える戦術ですが、遂行できるかはレトリア……あなた次第です」
悩むような仕草を見せるレトリア。
しかしすぐに面をあげて、大きく頷いてみせた。
「大丈夫……やるわ。どっちにしろ、私に選択権なんてないんだから。絶対に成功させてみせる!」
「よろしい、その意気です! 小官も応援しておりますよ」
希望を取り戻したレトリアを見て、アモンも安堵の息を漏らす。
試合の時間はもうすぐ。ふたりの気持ちは、すでにリングの上に並びつつあった。
だがそのとき、ひとつの足音がふたりの下に近づいてくる――――――
「やあやあ。試合前だというのに、なかなかどうして……親しげに会話をしているじゃないか? ボクも混ぜてくれないか?」
「…………アキサタナ」
警戒の表情を浮かべるレトリア。
しかしそんなことは我関せず、アキサタナは舐め回すような視線でレトリアを見る。
「レトリア、君は今日も麗しいねぇ。だが試合中の君は、情熱的でさらに素敵だよ」
「あ、ありがとう。なんだか今日は、随分と機嫌が良いのね」
「くくく、そりゃあそうさ。ボクの晴れ舞台だ。数分後には、鳴り止まない歓声がボクに降り注ぐ! 想像するだけで、愉快でしょうがないよ」
嫌らしく笑いながら、アキサタナは横目でアモンの方を見た。
軍人としての失態が続き、公での活躍の場を奪われてしまったアキサタナにとって、一年に一度の武闘大会はアピールをする絶好の機会。失った大天使たちからの信用を取り戻すのに、これ以上の場所はなかった。
「どうした、大人しいじゃないか? 怖気づいたなら、ここで尻尾を巻いて逃げても良いんだぞ?」
「いえいえ、それには及びません。互いにスポーツマンシップに則った、良い試合にしましょう」
「ふん……その余裕、いまだけは楽しむが良いさ」
勝ち誇った顔をするアキサタナと、その熱い視線を真っ向から受け止めるアモン。
「アモン様、アキサタナ様。試合のお時間となりました、あちらの方へお願いします」
ふたりの心の準備が整っていることを知っているかのように侍女が現れ、ふたりは会場の大扉へ向けて、ほぼ同時に足を踏み出すのだった。
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【 魔導士の部も、ついに……ついに決着のときがやってまいりました!! やはりというべきか、決勝まで勝ち進んだのはふたりの天使です!! ここまですべて一撃で決めてきたアキサタナ選手。かたやど派手な魔法で勝ち上がってきたアモン選手!! 有終の美を飾るのは、果たしてどちらの天使なのか!? 】
より荘厳なファンファーレが鳴り響き、この戦いが特別なものであることをアモンは実感する。当然、観客たちの反応もいままでの比ではない。割れんばかりの歓声が、リング上のふたりに投げかけられた。
「ボクの予想通り、よくここまで上ってきたじゃないか。褒めてやるよ」
「幸運だっただけですよ。小官は戦いにおいて、素人のようなものですから」
「謙遜するなよ。ボクが男を褒めるなんてそうあることじゃない、素直に受け取ればいいのさ」
アキサタナはそう言いながら、右手をドアノブでも握るように、前へ差し出した。
「エデン王が見ているんだ、ボクが認めたアモンという男と、良い勝負がしたい。勇戦の握手でもって、開戦の合図としよう」
「それはそれは、なんとも粋な計らいじゃあないですか。よいでしょう。正々堂々、力を尽くそうではありませんか」
差し出された右手をアモンがしっかり握り、リング上のふたりは至近距離で視線を交差させる。闘士としての享受を感じさせる一幕に、観客たちは感嘆の息を漏らし、酔いしれる。
素晴らしい試合が見られるに違いない。
観客たちの胸の中に、そんな確信めいた思いが湧き上がった――――――その直後のことだった。
「――――――ッ!!??」
握り締めたアキサタナの手のひらから、紅蓮の光が漏れ出したかと思うと、それは瞳が瞬く間もなくアモンの視界と耳を塞ぐ。
光が収まったあとにアモンが見た光景は、空を舞う血飛沫と、肘から先が無くなった自身とアキサタナの右腕だった。
血飛沫の向こう側に見えるアキサタナは、これ以上ないほどに醜悪な笑みを浮かべると――――――
「ボクと遭遇した不運を嘆くがいい」
そう言い放ち、右腕を再生させるのだった。




