第284話 「天国の門で」
残りの試合も滞りなく終了し、武闘大会初日はお開きとなった。
歓声を上げていた観客たちが去った頃には、空はもう朱に染まり始めている。漂う群雲が、雨が近いことを知らせていた。
「それにしても……リングを破壊するなんて前代未聞ね」
「良いじゃないですか、小官が責任をもって直させていただきましたし」
「さすがはアモン様ですわ! わたくし、感服いたしました」
闘技場前の道には、レトリアたちとアモンの姿。
賑やかなその様子は、どこか仲睦まじくも見える。
「…………………………」
「いい加減に機嫌を直すでござるよ。“自分ひとり負けた”からといって、そこまで落ち込む必要はないでござる…………ぷぷ」
「わ、笑うなテメー!! お前は相手が良かっただけじゃねぇか! オレだって相手が普通の奴だったらよう!」
「まあまあ、良いじゃありませんのティオ。アモン様は昨年の準優勝者を倒し、リアは制覇者まで下したのだから。勝ち残ったどちらかが、きっとあなたの仇を討ってくれますわ」
エルブに慰められ、ティオスは曲げていたヘソを元へと正す。
そして皆より少し前へ進むとくるりと反転し、レトリアの前で足を止めた。
「リア! シグの奴はどうせ次でダメだ! だからオレの……オレの分まで頑張ってくれ!!」
「え、ええ……最善は尽くすけど」
「最初からダメだった奴に言われたくないでござる」
「んだとテメー!!」
子猫のじゃれ合いのような喧嘩を始めるふたり。
アモンはその様子を微笑ましく眺めたあとで、ひとり静かに足を止めた。
「アモン様? どうかなさいました?」
「小官は少し寄りたいところがあるので、この辺りで失礼させていただきます」
「寄りたいところ? 場所は分かる? 分からなければ案内するけど」
「大勢で行って楽しい場所でもありませんので、お気持ちだけで結構。それでは、また明日こちらでお会いしましょう」
レトリアらに背を向け、ひらひらと手を振るアモン。
その背中に各々の別れの言葉を受けながら、アモンはひとりである場所を目指し歩き始める。
それはコロッセオのある北区とは真逆の南区にあった。
タルタロス監獄が威圧を放つこの南区は、民間用の施設もあまりない閑散とした場所だ。だから普段から人通りは少なく、道で人とすれ違うことも滅多にない。
「おや?」
しかし目的の場所へと向かう並木道で、アモンは意外な人物と遭遇する。
「…………なんだ、貴様か」
顔を合わせるなり眉を顰めたのは、夕焼けとは関係なしに衣裳の赤いアキサタナだった。アキサタナは一度だけため息を漏らすと、手を三度ほど叩いてから口を開いた。
「一応、祝福はしておいてやろうじゃないか。決勝進出おめでとう」
「まだ初戦を突破しただけですが?」
「ボクの目は節穴じゃない。順当にいけば、貴様が決勝まで上るだろう。まあ例えそこまでいっても、結局はボクに倒されるワケだがな」
アモンと同様に、アキサタナも初戦での勝利を収めている。
それも剣士の部と魔導士の部を合わせても、最短での勝利だった。
「お帰りのところみたいですが、この先の場所にお用事でも?」
「バカを言うな。ボクのような華やかな男が、あんな辛気臭い場所に用向きなどあるはずが無いだろう」
「そうですか」
深く訊ねるのも、何だか憚られる場所だ。
そんな複雑な思考も相まって、どこか居心地の悪い空気がふたりの間を流れる。
「それはそうと……レトリアと随分と親しそうにいたじゃないか。貴様、彼女に気があるのか?」
探るような視線で、アキサタナが訊ねた。
しかしアモンは見つめ返すだけで、質問に応じる気配を見せない。
やがて痺れを切らしたアキサタナは、自分の方から視線を逸し言った。
「ふん、まあいい…………じゃあな」
「ええ、決勝の舞台でお会いしましょう」
ふたりはすれ違い、互いに逆の方向へ歩き出す。
この並木道は一本道、目的の場所はすぐそこだった。
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「着いた着いた、ここが……【天国の門】ですか」
大量の墓石が一定の間隔で並ぶそこは、アート・モーロで唯一の“墓地”。人の姿はどこにもなく、近くに教会のようなものも見当たらない。供えられた花が風で揺れる姿は、否が応でも哀愁を感じさせた。
墓地の中央には普通の墓石の何倍もある慰霊碑があり、慰霊碑の正面にはある戦士たちの名が深く刻まれている。
アモンは慰霊碑の前に立ち、その名前を口に出して読んだ。
「パルウェ……ネヴィ……フロンス=ビー…………」
慰霊碑に掘られた幾つもの名前。
それはアモンと同じ、『天使』と呼ばれた者たちの墓だった。天使といえど、激しい魔物との戦いに耐えられる者ばかりではない。交代を重ねながら、その役目を全うしてきたのだ。
「例外なのは、やはり三大天。彼らはエデン建国のときから、不変であり続けている」
数百年もの間、戦いを運命付けられた彼らは、いったいどんな境地に至っているのだろうか? 慰霊碑をぼんやりと眺めながら、アモンはふとそんなことを考えていた。
「――――――んん?」
そんなときだった。
アモンの視界の隅で、黄色い何かが揺れている。
少し気になったアモンは、何とはなしにその正体を確かめることにした。
「おっと、これはこれは。あなたでしたか」
慰霊碑から覗き込むように顔を出したアモンは、誰かの墓の前に立つ、ひとりの男を見つけて声をかけた。スラリとした体型をグレーの衣裳で覆ったこの男は、先ほどアモンが思いを馳せた者の中のひとり。悠久を生きる、エデンの顔役だ。
「……そのお墓、お知り合いの方で?」
「知り合いというか、何というか」
はにかみながら振り向いたのは、大勇者ファシール…………その人だった。
ファシールは右手で自身のうなじを撫でつつ、顔を目の前の墓へと向け直す。そしておもむろに、慈しむような口調で言った。
「イヴ=ラインウォール……僕の妻さ。不治の病でこの世を去ったのは、もう随分と前の話だけどね。何度か補修したから、墓石は綺麗なままなんだ」
その言葉に、アモンは少なからず動揺を覚える。
しかしよく考えずとも、アドバーンという息子がいる以上、それは当然のことかもしれなかった。
「君こそ、何用でこんな場所へ? 君にゆかりのある人物が眠っているとは思えないけど」
「魔物との戦いで命を落とした者たちを、この目で確かめに」
「へぇ……。それは懺悔かい? それとも悔恨かな?」
感情の読むことができない、いつもの顔で訊ねるファシール。
「いいえ、そのどちらでもありません。魔物への敵意を昇華し、己を奮い立たせる為です」
強く答えるアモンとは対照的に、ファシールの表情はどこか物憂げだ。
「敵意か……なるほど。やはり君は、あくまで人間側に立つつもりなんだね」
「無論です。あの汚らわしい怪物たちに、天の鉄槌を下すことこそ我が本懐。あなたは違うのですか?」
ファシールはすぐには答えなかった。
「そうだねぇ…………」
ファシールは時間をたっぷりと置いてから大きく背伸びをし、やがて意を決したように口を開く。
「結果的にはそうなのかもしれない。だけどねアモン、僕は君ほど魔物を憎んではいないよ」
射抜くような真っ直ぐな瞳が、アモンへ向けられる。
「僕が魔物と戦うのは、必要に迫られた結果さ。僕が勇者であり続けるためには、魔物と戦うしかないからね。いままで剣を向けてきた彼らには、申し訳ないとさえ思っているよ」
「何を仰るんですか。大天使がそんなことでは、下々の者への示しがつきませんよ」
「はは、そうだね。申し訳ない」
こうも朗らかに謝られては、これ以上を追及するのも野暮ったい。
仕方なくアモンは、話題を変えることにした。
「その黄色い花は――――リリウムですか?」
「良く知っているね。彼女が好きな花で、毎年この時期には持ってきているんだ。この花のように、ころころと笑った顔が愛らしい……素敵な女性だったよ」
慈愛のある瞳で、ファシールは供えられた黄色の花を見つめる。
だからアモンはそれが当然のように、相づちを打った。
「奥様のこと、愛していらしたんですね」
するとファシールは、子供のようにきょとんとした表情を覗かせたかと思うと、次の瞬間には爽やかな笑みを浮かべながら言った。
「――――――いや、まったく。彼女に愛情を抱いたことは一度もないよ。夫婦になったのは……そうだね、義務や責任感にも似たような感情さ。それもまた、必要に迫られた結果のひとつだね」
ファシールは悪気もなくそういうと、妻だった者の墓に背を向ける。
そして眼帯に覆われていない方の目で、アモンの方を見た。
「君の闘いを見ていると、魔王サタンのことを思い出すよ。彼とは戦場で何度も衝突したけど、その度に心が踊った。いつか君とも、手を合わせてみたいものだね」
それだけをアモンに告げると、ファシールは墓地を後にするのだった。




