第27話 「ワイって、アホやってんなぁ」
時刻は午後七時少し前。
食堂には稲豊以外の屋敷メンバーは既に揃っている。
普段は主人の後に食事をとるナナでさえ、今日はルトの計らいで皆と同じ卓についている。皆思い思いの表情を浮かべ、出て来る夕食を待つ。
「…………むっ?」
漂って来る嗅いだことの無い匂いに、ルトは小さな鼻をスンスンと動かす。
その行儀の悪い仕草に「やれやれ」と頭を振るアドバーン。その仕草とほぼ同時に食堂の扉が開き、サービスワゴンと共に料理長が姿を見せる。
「茹でた野菜とも違う……かと言ってスープでも無い。イナホ殿これは一体?」
目の前に並んだ見たことのない料理に好奇心が隠せないアドバーン。稲豊は各々の前に皿を並べつつ、作った料理の説明に入る。
「こちらは野菜と鶏肉をある果汁で煮込んだ煮物と呼ぶ料理で、俺の国の定番料理です。そしてもう一つがその果汁を使ったポークソテーですね。極めつけは、果汁百%のジュースです。っと言っても、ただ濾しただけなんですけどね」
「にもの……初めて見る料理じゃが。なんとも言えん香ばしい匂いがするのぅ。――ええい我慢出来ん! 食べてしまえ!」
「お嬢様! お行儀が悪う……ええい! 食べてしまいましょう!」
「ズルいですよ! お二人共!」
食い意地の張った主人と執事が逸早く料理に手を付け、それを責めながらもナナが二人に続く。
「ホクホクとした食感が嬉しい芋に、これでもかと言うくらい味の染みた鶏肉! なんという滋味!? 妾の舌が喜びに震えておるわ!!」
「この果汁!! さらりとした飲み口に芳醇なかほり! くらっとくる感じが堪りません! 堪りませんぞイナホ殿ぉ~!」
「こんなに柔らかいお肉初めて食べました~! ナナの舌の上で豚さんがワルツを踊っています!!」
料理はどれも絶賛の嵐。ミアキスは相変わらず黙々と食べるだけだが、他の三人から伝わる興奮はとても大きい。試食をした稲豊でさえそこそこ旨いと感じたぐらいである。この世界の住人にとって不味いはずがない。
ヒャクは稲豊の想像を軽く凌駕する程に野菜と肉の臭みを取り、更には他の調味料が必要ない程の旨味まで追加してくれたのだ。その万能っぷりには頭が上がらない。伝説の名を冠するのも納得がいくというものだ。しかし日本酒に味が近いと言うことで、念の為にナナのグラスには水しか入れてない。酔うという能力も似ている可能性がある、と考えた稲豊の配慮だった。
「この料理はどれもこの世界の食材のみを使用しています。自分で言うのも何ですが想像以上に美味く出来たと思ってます」
ルトだけを見つめて真剣な表情で語る稲豊。
それは料理長から主人へのメッセージ。言われた通り約束を果たしたぞ? と稲豊は伝えているのである。
「うむ」
勿論その視線の意味をルトは正確に捉える。
グラスの果汁を飲み干した後、艶のある流し目を稲豊に送り。唇をちろりと舐める。そのあまりに色っぽい仕草に稲豊の心臓は大きく跳ねた。
「シモン……お前は自らの可能性を妾に示した。このような料理は王都ですら食す事は敵わぬだろうの。妾の自慢の料理長である」
ルトが席を立ち、稲豊の正面にまで来て賛辞の言葉を送る。
恐れ多いその言葉に、嬉しくもあり、恥ずかしくもなってしまう新米料理長。他の三人は生暖かい目で二人のやり取りを見守る。しかも、ルトからの嬉しい言葉はそれだけに留まらなかった。
「そうじゃのぅ――結果を残してくれたのだ。褒美を贈らんとな? 何か欲しい物を申せ」
更に褒美まで。
稲豊の頭を色々な願いがグルグルと廻るが、やがてそれは一つに落ち着いた。
「ま、魔法を教えて……い、頂けたら……」
「良いぞ。妾が手取り足取り教えてやろう」
何故か言葉に出すのが恥ずかしくなり、尻すぼみになる願い。
しかし、しっかと聞き取ったルトはその願いを聞き届ける。喜びを隠すこと無くガッツポーズをする稲豊。その姿を羨ましそうに見ていたナナが手を上げ発言する。
「はい! ナナも果実を取るの手伝いました! ナナもご褒美欲しいです!」
「ほう? そうか。ではナナにも何かやらなくてはな?」
ルトの言葉にきゃっきゃっと年相応に可愛らしくはしゃぐナナだが、良かったのはそこまで。次の主人の言葉でその表情は一変する。
「しかしのぅ。今日妾が屋敷の外に散歩に出ると、手入れ途中の花壇を見つけての?」
「――――――へ?」
「しかも……妾の今日着る予定のネグリジェもすっかり冷えておった。想像するに、いつもより取り込む時刻が遅かったようじゃ。それ以外にも屋敷の仕事が色々手付かずだったのぅ」
楽しそうに話すルトと顔面蒼白で汗を大量に流すナナ。
そして、その首がギギギと機械のように動き稲豊の方を向く。その飛来する視線から顔ごと目を逸らす稲豊、その仕草に表情を絶望でいっぱいにする少女。
そうなのだ。
稲豊が仕事中のナナを引っ張り出し、惑乱の森にまで付き合わせた事によって、ナナは自身の使用人としての仕事を全う出来なかったのだ。明らかに稲豊が悪いのだが、咄嗟に目を背けてしまう卑怯者。ルトはスローでナナに近付き、更に追い詰める。
「ナナ。言い分があるなら……と、言いたい所じゃがの。どんな理由であっても仕事を放棄したのはお前じゃ。仕置きは避けられぬ」
「は、は……はいぃ……」
涙目で震えるナナの姿を見て、罪悪感に負けた稲豊は止めに入ろうとする。――――が、ルトの次の動きでその体が石の様に硬直してしまう。
「ナニ……痛いのは一瞬じゃ」
あろうことかルトは人差し指に淡い光を灯す。
それは稲豊の額に当てた時と同じ光。つまりは虚無魔法……。
その未来を想像した稲豊の体が、ルトを止める為に走りだす。しかし、それを止める事は――――あと少しといった所で敵わなかった。
「まっ!!」
稲豊の言葉は最後まで発する事敵わく、仕置は執行された。
ルトは淡い光を放つ人差し指を、ナナの額に当て………………。
大きく弾く。
「いったああああぁぁぁぁい!!!」
食堂内に響くナナの悲鳴。少女は涙目になり、少し赤みを帯びた額を右手で擦っている。
予想していたのと違う展開に、稲豊は凍りついて動けない。
そんな男の様子を不思議に感じたルトが声を掛ける。
「どうしたのじゃ?」
「い、いや……今の……光は?」
「さっきの魔法か? 感覚魔法、相手の痛覚などの感覚を操作する魔法じゃな。ちなみに今のは痛み三倍でこぴんじゃ」
「い、痛いです~! 全然一瞬じゃない~」
しれっと答えるルトに呆然と佇む稲豊。その足元には未だ痛がる少女。
――――そう。
少年はずっと大きな誤解をしていた。ルトは虚無魔法を撃ち込むつもりなど元より無かったのである。厨房で稲豊に脅しをかけた時も、ルト本人はこのデコピンの事を言っていたのだが……。感覚魔法の光を虚無魔法の光と勘違いした稲豊が勝手に暴走してしまったのだ。
「なんじゃ……そりゃ」
呆れた声が自然に口から飛び出す。あんなに死ぬ死ぬ言っていた自分が途端に恥ずかしくなり顔を赤くする稲豊。そして次は自身の馬鹿さ加減に腹が立ってくる。それを罰してくれるのは目の前の主人しかいない。稲豊はルトに話し掛ける。
「ルト様。ナナを無理に連れ出したのは俺です。だから俺も罰せられるべきな訳で……」
「む? 素直に申し出るその心意気や良し。特別に五倍でこぴんにしてやろう」
「え……いやぁ、そこは特別にしなくても良いんじゃ――」
悪意ある笑みを浮かべたルトの五倍デコピン。それを受けた稲豊は、想像以上の痛みに大きな悲鳴を上げる。それを笑顔で見守るアドバーンと、ニヒルな笑みを浮かべるミアキス。お互いに自身の額を押さえる稲豊とナナは顔を見合わせ笑みを零し、ルトは皆の様子を満足気に眺める。
この日の夕食は稲豊にとって幸せに溢れたものとなって、終わりを迎えた。
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厨房で一人、試食に使った料理をテーブルに並べるコック。
それは既に冷めて固くなっていたが、お構い無しに口に運ぶ。
「――――ははっ……美味いわ」
それでもその味は優しく稲豊を包み。
胃に流し込まれては魔素を増加する働きをみせる。この果実がある限り、魔素が尽きて死ぬことは無いだろう。まるでこの世界が、異物である稲豊に生きる事を許してくれたような……そんな気さえする。
「うま……い……な」
熱いものが自然と稲豊の頬を伝う。
それは目的を達成した喜びなのか? 死の不安から解放された安堵なのか?
恐らくそれは両方。
「ふっ……あ……あ……ああ………くっそ……うめぇ……」
次々と溢れ出る涙に、遂には食事が喉を通らなくなる稲豊。
声を押し殺し嗚咽する彼の声は、静かな厨房にしばらく木霊していた。




