第278話 「小 VS 巨」
闘技者たちの使用する武器は、実戦では使わない謂わばレプリカ。
当然、毒を塗るなど以ての外で、どの武器も刃引きされている。だから“叩く”ことはできても、“斬る”ことはできなかった。
「でもそれは、あくまで普通の人間にとっての話。日々、肉体を鍛え上げたティオの力なら、あの剣でも“裂く”ことができる」
「しかし……それは相手にも言えることでござる」
戦斧をぐるぐると回転させるグラシャは、やがてその切っ先をティオスに向けて固定する。
そして――――――
「はぁッ!!」
弾丸が発射されるような速度で、グラシャは巨大な戦斧を突き出した。戦斧の先端部分は槍になっており、まともに受ければ体に風穴が空いてしまうだろう。
それを理解するティオスは、横っ飛びで戦斧を回避する。
「甘い!!」
だが突きの最中、戦斧の向きが縦から横へと瞬時に変わった。
下方から右方へと向きを変えた戦斧の斧部分は、横に飛んだティオスの腋をわずかに掠める。
「……ッ」
一瞬だけ表情を歪めるティオス。
掠めただけだというのに服は裂け、そこから横一文字に切れた皮膚が覗いている。
「……味な真似をするじゃねぇか」
「怖気づいたのなら、さっさと降参したらどうだ?」
「ざけんな!!」
ティオスの放った一撃が、グラシャの戦斧を穿ち火花をあげる。
それは『ここからが本番だ』という、彼女らによる開戦の合図だった。闘士ふたりの誇りを懸けた戦い。観覧席にいるレトリアは複雑な面持ちで、激しさを増していく試合を眺めていた。
「あの戦斧、まともに喰らえば怪我で済みそうにありませんね。これだけ苛烈な戦いだ、過去の大会では“不慮の事故”もあったのではないですか?」
アモンが訊ねると、レトリアの表情がさらに曇った。
その顔色を見るだけで、答えは百人が百人とも察するに違いない。
「…………医療班が数人掛かりで治癒魔法を施すから、大抵の場合は大事に至らないわ。でも…………」
「稀に当たりどころが悪く、死んだ者もいます。しかし、拙者たちは兵士でござる。魔物共と戦うと決めたときから、命などとっくに捨てているでござるよ。そしてそれは……ティオの奴も同じはず」
互いに相手の急所を狙う一撃必殺。
見ている方の息が詰まるような戦いが、眼前で繰り広げられている。
【 なんという攻防……もとい攻攻! どちらも攻撃に特化した、捨て身の攻撃を続けております!! 奇跡的な反射神経で致命傷を避ける両者! しかしふたりの全身は、すでに痛々しい切り傷がコレでもかと刻まれています!! 戦いの素人であるわたしでも、決着のときがそう遠くないことを予感せざるを得ません!! 】
白熱する実況と手に汗を握る観客たち。
そんな外野など視界にも入らない両者は、呼吸の為に一旦の距離を取った。
「ハァ……ハァ……ちっ、面倒な武器だ」
「足りめぇよ……! はぁ……力とリーチじゃ敵わねぇのは前回で学んだからな。このふたつの蛇剣は、その差を埋めるための秘密兵器だ!!」
言い終わるが否や、ティオスが十メートルは離れた位置から、今度は左腕の邪剣を突き出した。刀身は両端に繋がれたワイヤーによって、鞭のようにしなりながらグラシャを襲う。
「クッ……!」
蛇はくねくねと自在に空を駆け、上下左右から牙を剥く。
しかしグラシャも紙一重で牙を躱し、顔を歪ませながらも虎視眈々と反撃の機会を窺っていた。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァ!!!!!!」
それを知ってか知らずか、攻撃のギアを上げていくティオス。
いまや剣は双頭の蛇となって、縦横無尽に石舞台の上で暴れまわった。
【 石舞台の上で大蛇が猛り狂っております! あまりにも素早い蛇の動きに、グラシャ選手はまったく手が出せない!! しかし狡猾な蛇の攻撃は、じわじわとグラシャ選手を追い詰めていっております!! 】
腕に足に胴体。軽鎧から覗く褐色の体に、もはや切り傷のない箇所は見当たらない。やがて双頭の蛇の攻撃を捌ききれなくなったグラシャは、ついにその肢体を大蛇に捕らわれた。
「剣がわたしに巻きついて……何だこれは!?」
「これこそがこの剣の真骨頂よ! 馬が引いても切れねぇワイヤーだ。もがけばもがくほど、蛇の牙はテメェに食い込んでいくぜ!!」
ティオスの剣にはいくつもの“返し”がついており、一度それが相手の衣服に絡まると、簡単には外すことができない。しかも剣はグラシャの体に複雑に絡まっており、身動きを取ることすら困難だった。
【 ついに、ついにティオス選手がグラシャ選手を捕らえました!! 大蛇はがっしりと全身に巻きつき、離そうとしません! これは前大会剣闘士の部の優勝者であるグラシャ選手、万事休す! 武闘会初戦で、最大の番狂わせが起きてしまうのか!? 】
信じられないといった、実況のトリシーの表情。
しかしそれは彼だけでなく、観覧席で応援するレトリアも同様の表情を浮かべていた。
「すごい! すごいわティオ!! あのグラシャを圧倒するなんて!!」
「普段の努力の賜物ですね。彼女、夜遅くまで毎日がんばってましたから。他の誰でもない、レトリア……貴女の為に」
「私の……為に?」
アモンが深く頷くと、レトリアは驚いたような表情のままで、再びティオスの方へ視線を戻すのだった。
「この勝負、オレの勝ちだ!! レトリア様への暴言、いまここで取り消してもらおうか!!」
「……ふん、わたしは間違ったことは言っていない。アルバ様のお傍にありながら、彼女がいったい何を成し得たというのか? 天使という名の重みに耐えることのできぬ、軟弱者だ」
「テメェ!! まだ言うか!!」
剣を握った手に力を込めるティオス。
締め付けられたグラシャは武器を落とし苦悶の表情を浮かべるが、それでも不敵な笑みは崩さなかった。
「そもそも、天使ではないだろう。ククク……知っているぞ? あの女はセフィロトの祝福を――――――」
「だ、だまれッ!!!! その減らず口を二度と叩けなくしてやる!!!!」
ティオスは激昂し、その怒りのままに駆け出した。
左手の剣はグラシャを拘束している。なので右手の剣を強く握りしめ、止めを刺すべく地面を蹴る。
「天幕で寝てろデカ女ァ!!!!」
右手の剣の切っ先は、真っ直ぐにグラシャの胸元へ。
勢いを増すティオスは、矢のような速度で戦場を疾駆した。
永遠とも一瞬ともつかない刹那の時間。
時の凍りついた狭間の世界で、ティオスは確かに…………その声を聞いた。
「余興は――――――そろそろ終わりにしようか?」
ティオスには最初、何が起きたのか分からなかった。
左手の蛇剣の拘束が一瞬で緩んだかと思うと、眼前にはグラシャの悪意ある笑みが浮かんでいる。
そして少し遅れて、腹部に鈍い衝撃があった。
「…………あ?」
気付いたときにはティオスは地面に横たわり、押し寄せる腹部の激痛に悶ていた。
「ば……かな…………なに……が?」
全身に冷や汗を流しながら、それでも自分を見下ろすグラシャを睨みつけるティオス。手の届く距離に宿敵が立っているというのに、落とした武器を拾うことすら叶わない。
「なんだ? 気付きさえしなかったのか? ククク、ご自慢の武器をよく見てみるがいい」
グラシャに言われ、ティオスは地面の武器へと視線をスライドさせる。そこには無惨にもバラバラに千切れ飛んだ、蛇の残骸が散らばっていた。ワイヤーも完全に切れており、すぐに修復はできそうもない。
「残念だよ。わたしの力が馬如きと同列に扱われるとはな。このような貧弱な鉄糸でわたしを拘束など、本気でできると思ったのか?」
「……ち……くしょう……! てめぇ……わざ……と…………」
「当然だ。本気を出しさえすれば、貴様程度ものの数秒で沈められたさ。しかし、それでは観客たちも退屈してしまうだろう?」
これ以上ないほどの悪意を込めて、グラシャが頭上で笑う。
ティオスはいまだ収まらない激痛と恥辱に、唇を噛んで耐えることしかできなかった。
「貴様如きがわたしに勝てるはずがないだろう。身の程というものが分かったかい? おチビちゃん」
グラシャがそう言い放つのと同時に、実況のトリシーが皆に決着を告げる。そしてここに、ティオスの初戦敗北が決定するのだった。




