第277話 「激怒する蛇」
【 さあ一年に一度の決戦のときがやってまいりました! 前大会以上の猛者が集結した今大会、果たして神樹セフィロトの祝福は誰の頭上に舞い降りるのか!! 司会・実況は不肖ながらこのわたくし、トリシーJr.が務めさせていただきます! 】
飛音石のマイクを片手に、トリシーが会場を盛り上げる。
住民たちは子供のように瞳を輝かせ、いまかいまかと開始の合図を待った。
【 例年通り、剣闘士の部から魔闘士の部へと、交互に試合を進めたいと思います。第六百回目を記念する武闘会初戦、誉れある第一回戦目の組み合わせは……このふたりだ!! 】
トリシーが目一杯に左手を伸ばし、初戦を飾る闘士たちの入場を促す。すると先ほどアモンたちも潜った大扉の中から、ふたりの闘士が並んで姿を現した。
【 トロアスタ軍の特殊戦術部隊長! 風魔法を得意とする卿ですが、剣術の腕前も師範級との噂です! 朝の日課は花の水やり――――――ロビネス卿~~!!!! 】
名前を呼ばれたロビネスが、観客たちへ向けて右手を上げる。
すると、惜しみない声援が観客席から降り注いだ。
【 対するは、ガーデン・フォール城を守護する鉄壁の警備兵長! その身に纏いし鉄鎧の重量は、成人男性を有に超えるそうです!! いままでの人生で負った傷は、奥様から受けた引っ掻き傷のみ! ラジェレ兵長~~!! 】
厚手の鎧を着たラジェレが両腕を上げる。
次の瞬間には、先ほどにも負けないほどの喝采が闘技場を包み込んだ。
両雄が石舞台の上で向かい合い、ふたりから渦巻く熱気は徐々に高まっていく。そして開戦を示す銅鑼の音が天高く響くのと同時に、場内の熱気は最高潮に達するのだった。
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廊下の奥から地響きのように聞こえる歓声が、否が応でも控室で待機する出場者たちを刺激する。ある者は武者震いし、ある者は萎縮しながら自分の名前が呼ばれるのを待った。
「けっこう娯楽色の強い大会なんですね。もっとお堅いものを想像していました」
「観客たちにとっては、いまでもエデンの数少ない娯楽のひとつに違いないでござる。しかし兵士たちにとっては、いつしか自分たちの軍力を誇示する場所になってしまいました。拙者としては、ただ力試しをする場で良いと思うのでござるが…………」
周囲を見渡せば、険しい顔の兵士もチラホラと見える。
それが所属する軍の看板の重みだと察するのは、すごく容易なことだった。
「ほら、彼女もそう言ってることですし……もっと気楽にいきませんか?」
アモンがそう声をかけたのは、ふたつの石像……もとい、石化したレトリアとティオスだ。初戦の相手を知ったときから、ふたりの魂は口から抜けかかっている。
『ダ、ダイジョウブよ? シヌトキマッタワケジャナイし……』
『エルノヤツが、イイキズグスリもモッテルシナ……』
魂で会話するふたりの顔色は悪い。
アモンは仕方なく、魂をふたりの口の中へと押し戻す。
「ハァ……どうしてセフィロト様はこんなにも試練を与えてくるのかしら……。よりによって、初戦からティフレールだなんて……」
「オレも……まだ心の準備が……」
深いため息が幾重にも重なり、控室内の空気をさらに重くしていく。
闘技者たちの試合を見学するのは自由だが、レトリアたちはとてもそんな気にはなれなかった。
試合は早ければ数分で終了するのもあり、敗者は控室に戻って来ないので、人数は見るからに少なくなっていく。勝者を告げるトリシーの実況が聞こえてくる度に、ふたりは決着のときを想像し俯くのだった。
「おやレトリア様? 試合を見なくてもよろしいのですか?」
「え?」
そんなふたりに顔を上げさせたのは、アモンでもシグオンでもない。
観覧席に続く階段から下りてきたグラシャによって、ふたりは半ば強制的に現実へと引き戻された。
「他者の試合など端から興味が無いというわけですか。さすがはアルバ様のご息女、大した自信だ」
「べ、別にそういうワケじゃ…………」
「まあ、よいでしょう。わたしがいる限り、あなたの優勝はあり得ない。アルバ様の寵愛を受けるのは、わたしです」
レトリアの頭ひとつ以上も高い位置から、グラシャの嫌な笑みが飛んだ。
天使に取るにはあまりにも不適切な態度だが、アルバの片腕である彼女に異を唱えられる者は多くない。何より渦中のレトリア自身が、何も言い返せないでいる。
「……ふ、それではまた」
鼻で笑いながら、グラシャはレトリアに背を向ける。
そして悠々と立ち去ろうとした――――――そのときだった。
「待てよ」
グラシャの大きな背中に向けて、小さいが迫力のある声が投げかけられる。レトリアが驚くように顔を向けたそこでは、ティオスが激しい怒りの表情を浮かべていた。
「何かな? おチビちゃん」
向けられた怒りの瞳を、グラシャは涼しい顔で跳ね返す。大将軍の右腕を担う彼女は、簡単には動じない。山の如く仁王立ちするグラシャの前へ、ティオスは憤然として立った。
「テメェがオレのことを眼中に入れてねぇのは構わねぇ。背のことをバカにすんのも、許してやる。でもな…………」
ティオスはズンと、足を踏み出した。
「レトリア様のことをバカにするのだけは許せねぇ!!!!!!」
飛び掛からんばかりの勢いで、ティオスが吼え猛る。
小さな体から迸った魔素は、人肌をチリチリと焦がし大気を震わせた。
そしてグラシャとティオスは、言葉も発さず睨み合う。やがて、レトリアがおろおろとティオスに手を伸ばしたタイミングで、侍女が皆の前に姿を現した。
「ティオス様、グラシャ様。どうぞ、石舞台の方へお願いいたします」
遂に訪れた、ティオスの初戦。
「決着をつけようぜ」
「ふん、望むところ」
ふたりは睨み合いを続けたまま、廊下の先へと消えていく。
レトリアはその後ろ姿に「頑張ってティオ!!」と声をかけたが、もうふたりが反応を見せることはなかった。
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【 今大会の大・大・大注目のカードです!! 参加する闘士たちの中で、一番の長身と短身のぶつかり合い!!!! おおっと、すでに両者は高低差のある火花を散らせているようです!! 】
紹介されるよりも先に、ティオスとグラシャは石舞台の上で睨み合う。そんなふたりの手には、武闘会の為に用意された武器が握られていた。
【 盾を持たぬ二刀流の剣士は、レトリア軍に所属する三叉の矛の一番槍!! 小柄ながらもばったばったと敵を薙ぎ倒す姿は、まさに圧巻! 昨年のリベンジを誓って現れたのは、蛇腹衆リーダーこと――――――ティオス嬢~~!!!! 】
観客たちの湧き上がる声も、ティオスの耳には届かない。
【 身の丈を超えるほどの巨大な戦斧を軽々と振り回し、すべてを破壊しつくす武の化身!! その美しき褐色の肌は、今大会でも血に染まってしまうのか!? ワルキューレ隊に“この人あり”と謳われた、前大会剣闘士部の覇者――――――グラシャ卿~~~!!!! 】
石舞台上のふたりは、ただ静かに心の弓を引き絞る。
【 それでは、因縁の対決を始めるといたしましょう!! 試合~~開始!! 】
そして開戦の合図とほぼ同時に――――――
「……ッ!?」
ティオスの振るった剣が凄まじい速度で伸びていき、グラシャの頬を掠めながら空を切る。ジャラジャラと音を立てながら縮んでいく様は、まるで大蛇のよう。
激怒した蛇の一撃を受けたグラシャの頬からは、一筋の鮮血が流れ始める。
「そうこなくてはな」
しかしグラシャは嬉しそうに言うと、頬を伝う血に舌を這わせるのだった。




